ノスタルジア~ベトナム(3)
2001年 06月 20日

空港を降りるとそこには「異国」というより「昔」の世界が広がっていた。
なぜか懐かしい。どこか懐かしい。不思議な感慨に襲われる。
今の日本のお父さんお母さんの世代が、アジアに出会った時、
「子供の頃の日本とそっくりだ」と昔を懐かしむのはわかる。
しかし我々の若い世代は生まれた時から、すでに無機質な現代社会に取り囲まれ、
昔のニッポンの姿を知らないにもかかわらず、なぜか「懐かしい」と感じてしまう。
人間には機械で囲まれたアンドロメダ星的近未来社会より、
多少泥臭くて不便な社会の方を人間としての「ふるさと」として、
生理的にも本能的にも認識する力が備わっているのではないだろうか?
お父さんお母さんの世代には生まれ育った田舎があり、帰るべき故郷があり、
そこにいけば何もわざわざアジアなどいかなくとも、昔の古き良き時代を思い出すことができる。
しかし我々の若い世代はもともと都会で生まれ育ち、愛着を覚えるほどの場所がない。
帰るべき故郷がないのだ。
だからこそアジアにその幻影を求めている。
アジアに行けば昔の日本に出会える。アジアに行けば帰るべき故郷として感じることができる。
だから若い世代はこぞってアジアを旅するのではないだろうか?
そこで若者は何を感じるのか。
日本が経済成長と引き換えに失った多くのものを見るかもしれない。
日本が便利を最優先してなおざりにしてきたものを見るかもしれない。
まだアジアにはそれが残っているから。
しかしそれを見ることができるのは時間の問題かもしれない。
なぜならアジアすべてが「ジャパンドリーム」を軌跡を辿ろうとやっきになっているからだ。
そこのじいさん、懸命に働いて今のニッポンみたいに精神的に貧しい国になっちゃいかんよ。
ジャバンドリームは完全に失敗だったことが今になってやっとわかってきたのだから。
たとえ物が豊かになり、GNPが倍増したとしても、
今のニッポンみたいにわけもわからず小学校の子供を無差別に殺してしまう世の中になっちゃ、おしまいだからな。
だからじいさん、このままのんびりマイペースでいこうや。
日本人観光客がなぜいっぱいくるかって?
決まってんだろう。みんなここが懐かしくて懐かしくてたまらないんだよ。
故郷でもないのに、故郷の幻影をここに見出しているんだよ。