
未だに僕は飛行機に乗る度に不思議に思う。
なぜこんな物体が空を飛べるのだろうかと。
科学的な説明を聞けば論理的に納得できたとしても、
動物的感覚からするとどうにも信じがたいのだ。
小学校低学年の頃、近所の友達とこんな論争を繰り返していた。
「飛行機と列車のどちらが安全か?」
友達は飛行機の事故率の低さから、いかに飛行機が安全であるかを説いた。
それに対して僕は、飛行機での事故が起きた時の死亡率の高さを指摘し、
事故の多さではなく死亡率を考えれば、飛行機ほど危ないものはないと反論した。
僕は未だに人間の科学文明は信用していない。
21世紀を迎えてますます重要になってくるものは、
超科学文明ではなく動物的感覚であると思う。
大地震や大洪水や台風が来たとしても生き残れるサバイバル力。
科学文明の脆さを今一度認識しておく必要がある時代に、
差し掛かっているのではないだろうか。
それにしても飛行機はものすごい便利な乗り物である。
たったの6時間で日本からベトナムという全くの異世界へと連れていってくれるのだから。
駱駝や馬や船を使って延々と旅した昔の時代から考えれば、とんでもないマシーンに思えるだろう。
「旅は移動にあり」ー僕はそう思っている。
旅とは目的地で何かをすることではなく、目的地に辿り着くまでが旅なのだ。
つまり現代社会における旅とは、実に短いフライト時間のことなのだ。
だからこそ飛行機会社は価格を無視して、旅の時間を楽しんでもらおうと、
あの手この手を使って旅人を楽しませようとサービス合戦を繰り広げているのである。
飛行機によって誰もがいろんな場所に行けることになったのは非常に素晴らしいことではあるが、
そのことによって旅の浪漫が失われてしまうのなら、それはそれで実に寂しいことである。
だからこそ一度陸路で国境を越える旅の感動をぜひ味わって欲しいと僕は願う。
人間は愚かである。
便利になった代償として支払ったものの存在の大きさに気づかないことが多い。
一体僕たちはどこに向って飛んでいるのだろうか?
しかしここにパラドックスが潜んでいる。
先進国から後進国への飛行機の旅は、タイムマシーンとしての機能を果たしているのだ。
つまり我々が今まで便利を得るために犠牲にしてきた失われたものを後進国で見ることができるのだ。
なんて皮肉な現実。
それにしても僕は未だに飛行機に乗るのが恐い。