
食は旅の楽しみの一つ。
ここベトナムでは、ドリップ式のコ-ヒ-が名物です。
コ-ヒ-を頼むと、アルミフィルターに挽いたコーヒー豆が入っていて、
そこに熱湯を注いで、その場で落していきます。
目の前にゆっくりと落ちていくコ-ヒ-を眺めながら、地元のビ-チでのんびりと過ごす。
外国人観光客用のビ-チではないから、
夕方になると学校を終えた地元の子供たちがわんさか集まって、
海辺のサッカ-に興じます。
僕はコ-ヒ-が落ちるのを待つ間、子供たちのサッカ-ボ-ルの行方を、
なぜか必死で目で追っていきます。
きっとここではそれしかすることがないからでしょう。
海辺の波の音を聞きながら、
プロの試合でも何でもない子供たちのサッカ-をぼんやりと眺めます。
こうしているとニッポンという国がはるかに遠い。こんなことしていていいのだろうかとふと思う。
きっとニッポンではその間に仕事が動いている。
でもこれが・・・旅。旅という名の免罪符が、無限の無責任と無限の自由の世界へと誘うのです。
現代人に最も必要なこととは、もしかしたら意味のないことをすることなのかもしれません。
無為な時間を過ごすこと。何の意味もない時を過ごすこと。
すべて数値化され、すべてに意義や成長を求める現代社会に生きる私たちの、
人間性を回復する唯一のリハビリなのかもしれません。
まだコ-ヒ-が落ちきりません。
無為な時間に慣れていない僕は、つい我慢しきれなくなって、挽いた豆ごとお湯をコップに入れてしまいました。
あわてて店のおばさんが飛んできて、僕のそのあまりにとんでもない行動にあっけにとられて、
怒る気力もなく、あきれてただ笑っているばかりでした。