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名もなき詩~見返りを求めるのは“愛”ではない

“愛”はギブアンドテイクではない。
見返りがあるから何かをしてするのではなく、
見返りがなかろうが、好きだからやってしまう。
それが“本物の愛”なのではないだろうか。
にもかかわらず、“愛”をまるでビジネスと同じように、
ギブアンドテイクを求めてしまいがちだ。

私はプレゼントしてあげたのだから、
あなたもプレゼントをくれないのはおかしい。
私が優しくしてあげたのだから、
あなたも優しくしてくれないのはおかしい。
私がメールをまめに送っているのだから、
あなたもすぐにメールを返信しなければならない・・・。

見返りを求める“愛”って、多分、“本物の愛”じゃない。
“本物の愛”とは、その対象が大好きだから、
何の見返りも求めず、何でもしてしまうことではないか。

※ここでいう“愛”とは恋愛に限った話だけでなく、
親子、友人、知人、ペット、趣味、ファン、道具など、
自分が好きなものになる対象物と考えていただければと思う。

「私はいろいろしてあげたんだから何かお返ししろ」とか、
「私はこんなに尽くしているのだから、あなたも尽くしてほしい」
というのは“本物の愛”ではなく、
相手に尽くしている自分がかわいいだけの、
自己愛の変形バージョンに過ぎないのではないか。

「愛はきっと奪うでも 与えるでもなくて
気がつけばそこにあるもの」
(「名もなき詩」ミスターチルドレン)

この歌詞にはっとした人は多いはず。
愛とは与える、与えられるといった、
ギブアンドテイクの関係ではない。
何かを犠牲にして奪うものでもない。
「好き」という感情は、
言葉なんかで説明することなんかできず、
理屈を越え、自然にわいてくる心のありようだ。

でも「自分には恋人がいる」ということ自体に満足感を覚えていたり、
結婚するということ自体に憧れを持っていたりすると、
「愛」は「愛」でないものに変形し、
それは自然な感情というより、
まるで仕事のような義務的な関係、
対価的な関係になっていく。
本当に好きかどうかはともかく、
単なる“形”が欲しいだけだ。

仕事の関係はギブアンドテイクが基本だ。
商品やサービスを買うにはその対価を支払わなければならない。
どちらが一方的に与えるということはない。

最近の社会は何でもかんでも、
短期的な利益、数字、結果を求めるようになったせいか、
物事すべてを損得勘定で考える人が増えてきた。

「あいつと知り合いになったら就職に有利かも」
「私が贈り物をすれば私にももらえる」
そうやって人間関係までもが損得判断に置き換わっていく。
そして与えたのに見返りがないと、「損した」と思う。

ビジネス上の付き合いだけで、
互いにギブアンドテイクの関係として、
割り切って付き合うのなら、
見返りがないことに不満を持ち、
見返りがなければ縁を切ればいい、
という発想になるのかもしれないが、
何かを好きになる=“愛”という感情は、
そういうものではないはずだ。

恋人でもそう。親子でもそう。
ファンとアーティストでもそう。
自分が与えたものと同等、またはそれ以上の見返りがないと、
満足できないと感じてしまったら、
それは相手を思いやる愛ではなくなっている可能性が高い。

「私はこんなこともしてあげた」というのは、
果たして相手がそれを望んでだことなのだろうか?
相手から頼んできたことなのだろうか?
ありがた迷惑、押しつけ、余計なおせっかい。
下手したら大迷惑だと思っているかもしれない。

相手のことが好きで、心の底から喜ばせたいと思うのなら、
尽くしている自分に酔うことではなく、
自分がしたいかどうかの前に、
相手がそれを望んでいるかを考え、
相手が望んでいることをすればいい。

プレゼントでもそう。
どんなに豪華なご馳走を用意してくれたとしても、
その人がその食べ物を嫌いだったらどうしようもない。
それを「用意したのに食べないのはひどい」
というのは見当違いもいいところだ。

なぜ事前に相手の好みを聞かなかったのだろうか?
自分の話ばかりして、相手の話をちゃんと聞いていただろうか?
それは、相手の真意を理解せず、
自分で一人芝居を演じているだけだ。

自分の愛と相手の愛の量は、
必ずしもイコールになるとは限らない。
自分の愛の量と同じだけの愛を、
相手に義務づけることはできない。
なぜなら愛とはそこにあるものだから。

自分の愛の表現の仕方と、
相手の愛の表現の仕方はイコールになるとは限らない。
まめにメールを送ることが愛だと思う人もいれば、
頻繁にメールを送って束縛するようなことは愛じゃない、
と思う人もいる。

しかし本当の愛を知らない人は、
自分の愛を振りかざす。

自分の愛と同じ量を相手にも求め、
それが少ないと文句を言う。
自分の愛の表現の仕方をまねてくれないと、
相手に文句を言う。
でもそれはきっと愛ではない。
自分が好きなだけだ。

別に自分を犠牲にして、
相手に見返りを求めず、尽くせといっているのではない。
相手がしてほしいと思っていることを、
自分も自然に、好きでできること。
それが“本物の愛”なんじゃないか。

自分はそんなことしたくないけど、
相手が喜ぶからといって、
犠牲的精神や苦痛を感じながら、無理やりすることは、
きっと相手のことが好きなんじゃないんだと思う。
本当に好きなら、相手が望むことを聞き、
それを自ら率先してやり、
そこに見返りがなくても不満を言うことはない。
だって自分が好きでやっていることなんだから。

本当は好きでもないのに、
自分の好きでもないことを、
恋愛ごっこの義務感から無理やりやっているから、
相手への不満がたまる。

ねえ、ホントに相手のことが好き?
ホントに相手のことを思っている?
あなたの愛は違うんじゃない?

愛はギムアンドテイクではない。
相思相愛だけが愛ではない。

愛とは相手が望むことを、
自分から好んで楽しくやってしまうこと。

そんな“愛”を見つけたら、
きっと幸せな人生を送れるだろう。

愛に見返りを求めるようになったら、
自分の気持ちを疑った方がいい。

by kasakoblog | 2011-01-27 12:19 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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