20年後に大戦争が起こる
2001年 08月 10日
今年の6月にベトナムに旅行することになり、
何かベトナムを知る本はないかと思って手に取ったのが、開高健の「ベトナム戦記」である。
正直いって、今更ベトナム戦争のことを読んでも、同時代と感じる事はできず、
すでに歴史の教科書を読むようなはるか遠い昔の感覚に、我々の若い世代はなってしまっている。
戦争を知らない世代なのだということをつくづく実感させられた。
なんでこんな愚かしいことをするのだろうか?
なんでこんな無意味な人の殺し合いをするのだろうか?
こんな馬鹿げたことは21世紀になった今、起こるはずがないと普通なら思う。
日本では、北海道広尾町で起きた子供の殺害事件が連日のように報道されている。
小学校で刃物で斬り付け無差別に児童を殺した事件などもつい最近の話。
こういった凶悪事件があまりに多くて、驚きよりも「またか」という気持ちが大きい。
リアリティを失った現代世代。
バーチャルな世界に取り囲まれ、行き場を失い、人間性を失い、閉塞した社会で生きる現代世代。
この世代が、どうしようもない今の日本社会の中で、自分が生きている証を証明しようとした時、
最もリアリティを感じることができるのが「死」である。
現代世代は自殺するには臆病だから、人を殺す事によって、自分の中に人間性を取り戻そうとする。
そういう衝動は、現代社会の中には満ち溢れている。
事件になるのは氷山の一角に過ぎない。
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ふと思う。
この世代がもっと大きくなった時に、失われたリアリティを取り戻すために、
国家全体で殺人を近い将来行うのではないかと。
つまりは戦争である。
「死」と隣り合わせになってはじめて人間は「生」を感じる事ができる。
現代社会のような無菌国家、無機質国家、機械化国家に生きる世代が、
リアリティを取り戻す方法を集団化させれば、戦争になるだろう。
ベトナム戦争も太平洋戦争も我々の世代には遠い。
戦争の悲劇というものを本で読もうが、実感としてはわからない。
だからこそ、便利で物があふれて人間関係が極めて希薄化した社会の中で、
近い将来起こりうる現代社会の悲劇は、間違いなく戦争であると思うのだ。
人類は愚かなる過ちを繰り返す。
しかし今度起きる戦争は、領土を獲得するというある意味では合目的な目標のためではなく、
自分の中にリアリティを取り戻したいという極めて個人的で精神的な動機から、戦争を起こすだろう。
そこには勝利も敗北もない。
人の死が、仲間の死が、時には自分の死があれば、戦争の欲求は満たされるという、
極めて倒錯した理由によって人殺しがなされる時代になるだろう。
機械化が進む世の中で、希薄化した社会の中で生きる我々は、
個人的な狂気による凶悪事件が集団化し、血にまみれた戦争を起こすに違いない。
なんて不幸な世の中なんだ。