「喪失の国、日本」2
2001年 10月 15日
インド人エリートビジネスマンが日本での赴任経験を語った体験記。
昨日のつぶやきに続き、今度は日本への興味深い示唆を紹介しよう。
●空港から東京に向かう道路を見て
道路には花に埋もれていながら、動物の姿がないのが不思議だった。
空には鳥も飛んでいなかった。
経済的に豊かな国であれば、動物があふれていると思ったのだが、私の予想は大幅に外れてしまった。
動いているものといえば、クレーンや自動車といった機械ばかりで、
人間が動かしているもの以外はほとんど見られない。
「豊かな国」の意味を投げかけてくれる。
「豊かさ」とはGNPがどうのとか、経済成長率がどうのという問題ではない。
自然に満ち溢れ、動物と人間とが共生できる社会。
それこそが「豊かさ」なのではないか。
動物がいない国など、豊かでも何でもないということがわかるだろう。
●東京に着いて
閉口したのは、建物のどの窓も密閉され、外気が完全に遮断されていることだった。
清潔な空気を確保するために行われているんだろうが、息苦しく感じずにはいられなかった。
本当の意味での「清潔な空気」というのは、人口的に機械で管理されたものではないはずだ。
窓も開けられない高層ビルというのは、もうその時点で人間性を放棄した建物だといえる。
また密閉して空気を管理せざるを得ないぐらい、東京の外気は汚いということだろう。
窓を開けて自然な空気の出し入れもできないことに驚く彼の指摘は、
現代社会のあり方を根本的に考えさせられる。
●ホテルのバーに行って
都市の再開発にあたって、日本は一見無駄に見える余剰空間のもつ人生上の効用を認めなかった。
その結果、人々は、暮れゆく大自然のかわりに、きらびやかな人工照明に浮かび上がる室内を、
星星のきらめきのかわりに窓の外に明滅するネオンサインを背景に人生を語ることとなった。
自然を潰してできた人工空間に一体真の豊かさを見出せるだろうか?
真のやすらぎを見出せるだろうか?
●ホテルの西洋式トイレについて
私の知りあいで、便座に直接尻を下ろした者はいない。
非常に不潔な感じがするので、誰もが便座の上に靴のまま上がる。
便器に直接皮膚をくっつけるという不潔な行為で国際人の仲間入りするのは悲しかった。
私たちが当たり前だと思っていることをもう一度疑って考える必要があるのではないか?
僕はインドで外で大をしたことがあるが、正直言って臭くて狭いトイレなんかでするより、
外の野原でまるで牛や馬のようにする方が清潔なのだと思ったからだ。
西洋式トイレの彼の感想は実にユニークだ。
●ホテルのトイレについて(2)
正直いって私は恐れた。トイレ一つにもさまざまな操作知識が要求される。
すべてがデジタル化されていて、私はコンピュータの技術訓練学校に行かないまま
本番に臨んだ生徒のように、やけっぱちな気分を味わった。
日本はインドのように、石器時代の名残をどこにも残していない。
すべてがデジタル化されていく社会。
時々思う。
自動ドアって必要なんだろうか?
蛇口のない、手をかざすだけで水が出る水道って必要なんだろうか?
結構故障も多いし、自分で細かい調整ができないので。かえって不便だったりする。
デジタル化・ボタン化すれば便利だという幻想は捨てた方がいい。
時には手動の方がはるかに便利なこともある。
●ホテルのフロントでの光景
自分の荷物を置いたまま傍らを離れるという風景は、私には特に信じがたかった。
このように「信頼が先行する文化」を実現している国は、世界的に非常に稀だと思う。
日本にはこうして異国にはない良さがある。
そういったことをもっと意識して社会を作っていく必要があるのではないか。
しかし残念なことに、西欧化・近代化・機械化することによって、
最近ではこういった「信頼が先行する文化」が失われているような気がしてならない。
逆に日本の常識を海外に行っても通用すると思い、同じように振舞うから、
荷物を簡単にかっぱらわれたりすることもある。
●物をなくした場合
自分の過失で財布を落としても警察に届けることができるという奇妙な論理が成立する。
考えてみればおかしな論理だ。
日本はよくもわるくも「自己責任」の社会からは程遠い。
何か問題が起こると、その人自身のミスではなく、管理している組織や行政が問われる。
しかし当事者の責任能力も問われるべきだ。
自ら注意を怠ったり、危険なところに行ったりすれば、事件にあうのは当然の帰結ともいえる。
●町を歩く女性を見て
(発情する女たち・みんな娼婦と見間違えるほどだった)
肌を露出させ、香水を振りまきながら、同時に防犯ブザーを持ち歩くという大いなる矛盾。
男を刺激しておきながら「スケベ」と怒鳴らなければならないなんて、あまりにリスクが大きい。
自分が何をしているのかわかっていないんだ。
自己責任という概念を今の若い女性は本当にわかっていない。
痴漢や性的犯罪が増える昨今、女性の肌の露出度はそれに比例するかのように増えている。
犯罪を招くような欲望を煽りたてるファッション。
極端な話だが、もし日本がイスラム教国にように、
女性たちが肌を一切露出せず、顔にもベールをまいていたとしたら、性犯罪はぐっと減るのではないか。
確かに犯罪を犯す男性は悪いが、
昨今の女性の過激な露出こそが犯罪を増やす原因となっていることは間違いない。
●若い女性について
未来に希望が持てないという焦りからか、
優雅な一人暮らしを楽しんで、婚期を逃した女性が増えている。
海外旅行にしょっちょう出かけ、いいホテルに泊まり、美味しいものを食べ、
エアロビクス教室に通い、ワインとブランド品に精通し、
アーバンな生活にアイディンティティを感じてしまった女たち。
若い女性は消費社会に踊らされているのか。
それともこの社会には未来に希望が持てないから、
だったらいっそうのこと難しいことを考えるのは一切やめて、
バカになって今を楽しんで踊らされてやろうじゃないかと、故意に自発的に刹那主義をとっているのか。
欲望消費社会を終わらせ、新たなる価値観に基づく人間性豊かな幸福社会をめざすためには、
若い女性は自発的にせよ非自発的にせよ、欲望消費社会に踊らされるのはやめてほしいな。
そうすれば愚かな金儲け企業はつぶれ、
表層のファッションではなく、本当に大切なものがわかる時代になるだろう。
●酒とたばこ
すでに喫煙の害と周囲への無言の暴力は指摘されて久しく、
酒にいたってはインドの場合、精神への害が指摘されてすでに数百年になるというのに、
(日本人が男性女性を問わず酒・たばこの習慣を見るにつけ)
人間にとって自由とは、時として何と愚かなものだろう。
最近たばこを吸う女性をよく目にするが、いかにそれが愚かなことかわかっていないのだろう。
ベトナムに行って現地人ガイドがこんなことを言っていた。
「酒とたばこを吸う女性なんて、ベトナムでは娼婦だけですよ。
まっとうな女性は酒やたばこはもちろん、コーヒーさえも飲まない」
子供を生む体を大切にしなければならない女性。
格好つけるためだけに酒・たばこを吸っているなら、辞めたほうがいいと僕は思う。
酒は飲みすぎなければ問題ないとは思うが、
たばこに関しては男性女性問わず、法律で禁止した方がいい。
たばこを吸わない人がその煙によって迷惑をこうむることが許されていいはずはない。
このインド人を今の日本の構造改革大臣として迎え入れたいぐらいだ。
彼の指摘は、日本の良さを再認識させてくれるし、
殺伐とした今の社会を変革する示唆のある提言がふんだんに盛り込まれているからだ。