ニュータイプの苦悩
2001年 11月 02日
類稀なる才能と努力で、飽くなき挑戦と、 自己のレベルアップを目指しつづけるニュータイプ。
日本を代表するニュータイプ、サッカー中田英寿が苦悩している。
今朝のスポーツ新聞の一面に、「中田放出」の記事がでかでかと載っていた。
鳴り物入りで移籍したパルマ。 しかしチームは低迷。監督解任劇へ。
それに伴って、中田も新生パルマの戦力として考えられなくなっていた。
ここ最近、ずっとパルマの試合を見ていたが、ほんとひどかった。
チームがばらばら。
フォワードはことごとくシュートを外し、ディフェンスはミスばかり。 間をつなぐ中盤も機能していない。
苛立つ選手はこうなったら個人技でと無理無理に突破しようとして、相手に数人に囲まれ自滅する。
そんな悪循環が続いていた。
それでも能力のあるチームだけに、後半になるとやっとチームが機能しはじめ、
前半にミスした分をとりかえすものの、時すでに遅しで、引き分けまで持っていくのが精一杯。
中田一人のせいにするのは、コクというものだ。
サッカーはチームプレーであり、組織力が問われる。
ゆえにいかに個人個人が卓越した能力を持とうとも、それが勝利につながるとは限らない。
中田はニュータイプだ。まわりの人間とは人種が違う。
それゆえ、先回りしたキラーパスを出したところで、
それに応えてくれる選手がいない限り、中田の能力は活かせない。
中田はキラーパスを出しつづけ、それを受け取れない選手を叱る。
しかし監督からは、逆にそれは独りよがりの独善パスだと叱られる。
能力が突出しすぎてしまったゆえの、ニュータイプの苦悩だ。
ニュータイプの言葉を生んだ「機動戦士ガンダム」でも同じようなことが起きる。
ニュータイプの代表であるアムロは、ホワイトベース艦長ブライトとしばし対立し、
しまいには独房に入れられることもあった。
組織の長としては、突出した能力で勝手に動かれる人間は、いくら結果が良くても使いにくいのだ。
ハイハイ言うことを聞く、平均的な能力のイエスマンの方が、上意下達の組織では好まれる。
ガンダムに出てくるニュータイプのもう一人の代表、赤い彗星のシャアは、さらに独善的に振舞う。
時には味方を見捨て、裏切ったりさえする。
能力もないのに肩書きや家柄だけで権力の座に居座るものが許せないのだ。
ニュータイプは苦悩する。
自分は組織のためにその突出した能力を発揮しているのに、
それを押さえつけられることに我慢がならないのだ。
<2>なぜ中田は容赦なくキラーパスを出しつづけるか。
ニュータイプは自分の飽くなきレベルアップが最終目標。
それゆえ、その間に他人を構っている暇はない。
試合(本番)は、それぞれが自己研鑚を積んでその実力を発揮する場と、ニュータイプは考える。
組織は、自己の能力を高めた個人が集まった集団であって、
互いに傷を舐め合い、甘えあう関係ではないと、ニュータイプは考える。
独立した個人が集まって、1+1以上のものを出すことが組織の存在理由であって、
1+1=2の組織は、害悪であって必要はない。
目的意識のない、自己のレベルアップを図らない人間に合わせたパスを出すのはおかしいという考え方だ。
「遊び」ではなく「仕事」である以上、それぞれが高い意識で仕事(試合)に望まなければならない。
自分にも他人にも厳しくシビアな視線で、常に自己の能力の限界へ挑戦する。
だから彼はキラーパスを容赦なく出し続けるのだ。
もしかしたら僕もニュータイプなのかもしれない。
僕はもしかしたら容赦なく周囲にキラーパスを出し続けているかもしれない。
それを受け取れない味方選手を叱っているかもしれない。
でもそれは組織の長からみれば独善的なパスとして退けられるかもしれない。
天才的な能力を持った一部の人だけがニュータイプなのではない。
ニュータイプとは能力の問題ではない。
意識の問題なのだ。
高い意識を持てば、誰だって自分の能力に合わせた才能を開花することができる。
しかしその意識がないために、ニュータイプになりえないのだ。
ニュータイプは人の革新であると、ガンダムのジオン大君は言った。
意識の革新が起これば、人は誰もがニュータイプになれる。
しかしそれはまだ圧倒的な少数のために、独善的だと迫害を受けている。
ニュータイプの苦悩は続く。
中田選手にはぜひがんばってもらいたい。