個人と組織
2001年 11月 08日
いつみてもトルシエジャパン・サッカー日本代表チームはおもしろい。
なぜなら、ここに個人と組織の関わり合いの妙が見られるからだ。
選手交代をタブー視しないトルシエによって、日本代表チームは大きく成長した。
昨日行われたイタリア代表戦。
イタリア・セリエAでプレーする中田英寿は先発スタメンではなかった。
これが日本人監督だったらブーブーだろうが、トルシエの個人と組織を考えた戦術論からすれば、
何の不思議もなかった。
日本サッカー代表の最大の課題はストライカーがいないことだ。
だから強いチームとやって善戦はできても、良くて引き分けどまり。
逆に決定力がないから、格下との相手にもせった試合をしてしまう。
点をとれないフォワードに、どんなにいいパスを出しても意味がない。
決定力のないフォワードでは、スペースやチャンスをつくる動きができない。
だから日本代表では中田はうまく機能しない。
逆にトップ下に入れた森島は実によく機能していた。
彼はパサーではなく、日本の動きの悪いフォワード代わりにあちこち動き回って相手をかくらんし、
どんなバカでもシュートを決められる場面を演出できる。
森島の入った試合が各段と攻撃にリズムができるのはこのためだ。
パルマでもそうだし、日本代表でもそうだが、中田はほんとかわいそうだ。
彼のイマジネーションについていけるフォワードがいないがゆえに、
彼のパスや動きがミスとして目立ってしまう。
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ガリレオが地動説を唱えてバカ扱いされたように、
常人を覆す発想力を持ってしまった天才は、周りがついていけないので、迫害されてしまう。
今回のイタリア戦。前半の森島と後半の中田を見ると、実にそれがよくわかる。
早すぎた天才は、変人にしか見られない。
特にサッカーというゲームは個人技より組織力を問われるスポーツだ。
かりに野球のような団体スポーツなら、たとえチームが負けに負け最下位になったとしても、
自分の打撃成績だけは、チームメイトに関係なく残る。
そこがイチローと中田の違いであり、喜劇と悲劇の差となって表れているのだ。
イタリア戦の中継で最も印象に残ったシーンは、 試合が終わった後、観客に挨拶する日本人選手の中で、
このところずっと試合に出れずにいる中村俊輔と中田英寿が、二人して肩を組んで歩いている姿だった。
中村俊輔も次代を担うスーパープレーヤーだ。
あの天才的な才能は絶対に真似できない。
にもかかわらず、彼もチャンスを逃し、ベンチをあたためている。
中田と中村のツーショットが、周りに理解されない天才プレーヤー、
そう、まさしくニュータイプコンビに僕は見えた。
ガンダムでいえば、中田がシャーで、俊輔がアムロといったところか。
彼ら二人がいかんなく実力を発揮できるようなチームになった時、
はじめて日本のサッカーはワールドクラスになるのだろう。
それまでにあと何年かかるだろうか?