ワークシェアリングを考える
2001年 12月 18日
今更ながら政府では、失業対策の秘策としてワークシェアリングを話題にしている。
そんなこと、とっくの昔にかさこ総理が言ってるやん!と思いながらも、
この機会に「ワークシェアリングとは何か?」をここでもう一度、整理しておこう。
失業や倒産は増える一方、会社勤めの人の労働時間は一向に減らない。
それどころか、不況を盾に少ない人数で大量の仕事を押しつけられている。
働いている人は仕事に追われ、仕事を辞めてしまった人は暇をもてあます。
こんな効率の悪い社会はない。
両者の幸福のためにも「ワークシェアリング」という発想は当然の帰結といえる。
たとえば1週間休みなく働かされている人と、プ-になってしまった人で仕事を分担する。
単純に月・火・水・木はAさん、金・土・日はBさんとする。
当然一人でやっていた仕事を二人でやるのだから給料は減る。しかし休みはぐっと増える。
そうなれば今の会社だけの人生から、会社・家族・地域の3面的な生活が送れ、人生は3倍ゆたかになる。
給料が減る分「金だけがすべて」の社会から脱却が自然にできる。
政府いわく、ワークシェアリング導入で大きな問題となっているのが社会保険だという。
1人ならば社会保険料1人分で済むが、同じ仕事を2人でやると保険料は2倍かかってしまう。
しかしそんなことまったく懸念する必要はない。
今、国保も年金も医療代も、国が運営する保険システムは大赤字ですでに崩壊している。
だから国がやる保険は全部撤廃。
各個人が各々の自己判断に基づき、各々で保険なり将来のための積み立てをすればいいのだ。
そうしたら一挙両得。
ワークシェアリング導入でひっかかっている問題もなくなり、保険・年金問題も片付く。
さらにはその保険や年金にかかわっていた無駄な役人や特殊法人を撤廃できるから、さらにちょうどいい。
遅々として進まぬ特殊法人改革など瞬く間だ。
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ワークシェアリングを検討するのは結構なことだが、
失業率を低下されるためだけの目先の利益だけを追った緊急非難的な政策であってはならない。
ワークシェアリングこそ、構造改革、日本の大いなる社会変革の1つと位置付けるべきだ。
一つドミノが倒されれば、これまでの腐りきったシステムは次々と破綻していく。
そして新しい仕組みを作るべきときが今なのだ。
「おたくの会社は、3000人もいる大企業やろ。 それが一担当者が休んだぐらいで、
たかだか500万円の融資の決済が伸びてしまうっていうのは、どないなことやねん?
おかしいんと違うか」
残念ながらこれが日本の実態である。
どんなに大きな企業だろうが、一人一人の抱えている仕事は意外に多く、
しかもそれを他の担当者が変わることはなかなか難しいのが現実だ。
実のあるワークシェアリングの導入を今こそすべき。
めざすべきは、GNPが何%成長したかではなく、
個々人の自由な時間がどれだけ増えたか。どれだけ働かずにすむ社会が作れるか。
金儲けの利益ではない「豊かさ」を考えるべきだろう。