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メキシコ(2)遺跡考学

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(写真右:紀元前2世紀頃から建造された、
ラテン・アメリカ最大の宗教都市国家・ティオティワカン遺跡)
(写真左:7世紀、ティオティワカン文明消滅後に現れた、
トルテカ文明の中心都市トゥーラ遺跡)

なぜ時代をさかのぼればさかのぼるほど、遺跡は強大なのか?
ひょっとすると昔の方が、
今よりはるかに高度な文明が発達していたのではないだろうか?
遺跡の前に立つと、そんなことを考えさせる。

しかし世界で3番目の規模を誇るピラミッド擁する、
ティオティワカン文明を滅ぼしたのは、
一説によると、これよりはるかに小規模な遺跡しか残されていない、
トゥーラのトルテカ文明だったという。

同じく、広大な都市遺跡・モンテアルバンは打ち捨てられ、
人々は小さな田舎村ミトラへ移っている。

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(写真右:中央アメリカ最古の遺跡・モンテアルバン)
(写真左:モンテアルバンを放棄した後、宗教の中心地となったミトラ)

時代が進むごとに、遺跡は小型化する傾向にあるのだ。
時代が進めば進むほど、遺跡の規模が小さくなるのはなぜだろうか?
きっとそれは、昔の方が権力の集中が著しかったからだろう。
圧倒的な力を持つ少数の権力者が大多数の奴隷を支配して、自分の権力誇示のために大規模な史跡を作り上げた。

遺跡の規模は民主主義度に反比例する。
民度が高ければ高いほど、権力の集中は少なく、遺跡は必要最低限の小規模なものになる。
一方、支配者の権力が集中していればしているほど(民度が低ければ低いほど)、遺跡は巨大化する。
だから僕らは単純に、遺跡の大小で、文明度を図ってはいけないのだと思う。

不況にあえぐニッポン。
にもかかわらず、田舎の市町村にいけばいくほど、不必要な立派な庁舎や無駄な施設があることが今も問題となっている。
豪華な庁舎がある市町村ほど、それだけ為政者が好き勝手に税金を使うことができるという、
民主主義度の低い地域であることを指し示しているのではないだろうか?

<2>エジプトピラミッドとの比較
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(写真右:世界で3番目の規模を誇るティオティワカンのピラミッド。階段があり、頂上までのぼることは大変ではない)
(写真左:まっすぐに伸びる道を中心に、遺跡群が計算され尽して並べられているティオティワカン遺跡)

ピラミッドといえば言わずと知れたエジプトのピラミッド。
エジプトに行った時、絶対にピラミッドに上ろうと思ったが、目の前にしてそれが無理であることを悟った。
積み上げられた一石一石があまりにも巨大であるからだ。
それに比べてこのティオティワカンのピラミッドは、高さはそんなにかわらないにもかかわらず、楽に上ることができる。
階段があることもその要因であるし、エジプトのピラミッドと違って、巨石が積み上げられているわけではないこともその要因である。

エジプトのピラミッドとの相違点は、ピラミッド周辺に残された遺跡との連関が極めて明白であるということだ。
遺跡の保存状態の問題なのかもしれないが、
このティオティワカン遺跡は、1本の死者の道を中心に各遺跡が精緻に並べられていることがわかる。

エジプトのピラミッドは、どこか神々の仕業、宇宙人の仕業ではないかと思わせるような、
人間技ではない、超自然を感じるが、このティオティワカンでは、計算され尽くした人間の大規模事業だと感じた。

<3>人類の叡智と愚かさ
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世界各地に残るピラミッドは、一体誰が何の目的で作られたのだろうか?
それは今だはっきりとは解明できぬ世界の謎である。

しかし、人はピラミッドを眼前に立ち尽くすと、
 もっとシンプルな結論に行きつくことになるだろう。

 “ピラミッドは、のぼるためにある”

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どんなテーマパークより、
スケールのでかい遺跡に子供を連れてきた方がはるかに喜ぶことだろう。
ビーチは人を虚無にさせるが、遺跡は人に想像力を与えてくれる。

モンテアルバンに、日本人の家族連れが来ていたのが印象深かった。
年末年始、テロのご時世、メキシコの田舎町の丘の上の遺跡まで、
小さな子供を二人も連れて家族で旅行している、
そんな家族に僕は敬意を表したくなった。
ハワイでアホみたいに高級ホテルにふんぞりかえって、
殿様気分に浸る子供を育てるより、
2000mの高地で人類の叡智と無謀さが現れた遺跡を見ることの方が、
どれだけ子供のためになるだろう。

とはいうものの、現実は理想論通りにはいかない。
人間とはいかに愚かしい動物であるかを知る。
遺跡のすごさに感動しているものの、
ティオティワカンで最も印象深かったことは、
疲れ果てて休憩したお店での、アイスクリームのうまさであった。

by kasakoblog | 2002-01-10 21:16 | 旅行記

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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