2001-2002 tubuyaki SPECIAL(12/28~1/7)
2001年 12月 28日
今年の年末年始はカレンダーにめぐまれ、9連休が取れる。
さて一体何をしようか。
また青春18切符でも買って東海道線ロードに出ようかと思ったが、 せっかくの9連休なのにもったいない。
でも年末年始に海外旅行は高いしもう取れないだろうしと思っていた矢先にテロが起きた。
「これはチャンス!」と思い、僕は格安航空券会社に飛び込んだ。
しかし思いのほか値段は高く、しかもキャンセル待ちだという。
でも一度、旅行に行こうという火を消すことはできず、
値段が手頃で取れそうなところということでギリシアを選んだ。
ところが、12月に入っても一向に取れたとの連絡がない。
電話してみると、もう取れる見込みはないという。
そんなアホな!!!
ギリシアをあきらめざるを得なくなってしまい、とにかくどこでもいいから航空券を取ってくれと頼んだ。
「アメリカに興味はありませんか?」と言われたが、はっきりいって興味はない。 それだったら日本にいた方がましだ。
カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーのどこかでお願いしますと言っておいた。
しかしどこも厳しいという。今からではとても取れないという。
ああ、年末年始、せっかく海外旅行に行けると思っていたのにとがっくりしていたところに、
旅行会社から思わぬ提案があった。
「笠原さん、メキシコってどうですか?」
アメリカ・ロサンゼルス経由、帰りはロスに1泊するメキシコ。
なるほど旅行会社も考えたな。
ただアメリカといわれたら嫌だったが、メキシコなら大歓迎だった。
そんなアイディアがあったとは。
結局、テロが起きようが、飛行機の空席状況はアメリカ方面が減っただけで、
他の国はマスコミで騒ぐほど減ってはいないようだった。
しかも年末年始料金だとか土日出発料金などしっかり加算されて、 メキシコ往復173000円!
こんな金あったらアジアを1ヶ月旅できるのになあと思いつつも、
僕は思わぬエキゾチックなおもしろそうな国、メキシコ行きを快諾したのだった。
1日とはいえアメリカに足を踏み入れることも楽しみだった。
前につぶやきで書いたように、いつか僕は現代社会の悪の権化となっている、
アメリカという幻想国家をこの目で見にいかなければならないだろういうことが、早くも実現したのだ。
今、僕は猛烈にフラストレーションをためている。
それをカメラという兵器を使って機関銃のように乱射していっぱい写真を撮ってきたい。
それが今、僕の一番したいことだな
先日真鶴1泊して120枚近く写真を撮った。
さてさてメキシコでは何枚撮るだろうか。
念のため36枚フィルムを36本、約1300枚スタンバイして、 12/29~1/6まで旅行に行ってきます。
ということで、その間のつぶやきを一挙にアップしていきます。
今年に引き続き、また来年もつぶやきかさこをよろしくお願いします!
●神なき時代に~2001年から2002年に向けて
<バベルの塔崩壊>
2001年を振り返って、まず思い起こさせることは、個別事情はさておくとするならば、
なんといっても現代のバベルの塔、世界貿易センタービルの倒壊ではないだろうか?
飛行機が2機、高層ビルに突っ込んでいく映像はあまりに悪魔的だった。
21世紀という輝かしい新しい時代は、まだまだ先にあり、
未だに先の見えない世紀末的頽廃が社会を席巻している。
(写真:1000ピースパズル「バベルの塔」)
<自然=神>
自然がなせる高さは、人間が作った愚かしさがなく、
そこには人間にはできない畏怖がある。
富士山がどこからも見える町を訪れた時、
僕はその強大な存在に、恐ろしさと同時に安心感を感じた。
いつでもどこにいても、富士山が僕たちを守り、そして見張っている。
目の前にそびえる富士山を見て、僕は「自然は神だ」という藤原新也の言葉を思い出した。
(写真:山梨県山中湖)
<「神」の目的>
人間の最大の発明は「神」であると僕は思う。
「神」はその土地土地によって様々な種類があるが、作られた目的は同じであると思う。
愚かなる人間社会を平和に維持していくためには、エゴにまみれた人間を越えた絶対的存在が必要なのだ。
人間は実在しない神を作り上げることによって、互いの愚かなる行為を統御しようとした。
それでも中には物わかりの悪いやつもいるから、
架空の神を存在させるために、像を作ったり、儀式を作ったり、神殿を作ったりして、
実在するかのように見せたのだ。
それはキリスト教だろうが仏教だろうがイスラム教だろうがヒンズー教だろうが、
ココナッツ教団(ベトナム)だろうが、富士山信仰だろうが、
その土地に住む人々に合わせたトリックの違いが宗教の違いであって、
「神」を作り出した目的は何ら変わることはないのだ。
人の目を盗んで悪いことをしようとする。
そんな人間の根本的な犯罪性を抑止するのに、
あの圧倒的な存在、富士山を神とすることは実に効果的なことである。
誰彼も富士山を神と意識しなくとも、誰かに見張られているという感覚を持ちえるのではないだろうか。
<見張り役>
いつでもどこでも人間を監視できる山があるように、
ネパールの首都カトマンズにはスワヤンブナートという目玉の寺院が、
盆地のひときわ高い丘に建ち、その役割を果たしている。
巨大な目は盆地全体を見渡し、人々が犯罪を犯さないように見張っているかのようだ。
その寺院こそは、いわば富士山の代わりとなる、
人間が秩序維持のために生みだした発明品「神」であるといえる。
(写真:ネパール・カトマンズ)
<愚かなる戦争>
しかしこうした「神」は、時代が進むに連れ、
科学的合理的な解釈によって、その架空性や神秘性を剥がされていった。
科学の進歩が「神」の存在を否定してしまったのだ。
そんな神なき時代に、人間はスワヤンブナートのような寺院ではなく、
「我こそが神だ」と誇示するかのように、高層ビル戦争を開始した。
どこのビルよりも高く。
まるで人間が神であるかのごとく。
聖書によれば、古い時代、神に逆らって、神に届くがごとく高い塔を建てた人間たちの所業が、
神の怒りにふれ、人間が2度と神に逆らわないようにと、言葉を混乱させ、その建設を中止させたという。
まるで古い神話が現代に生きかえったように、現代のバベルの塔は倒された。
この神なき時代を作り上げているアメリカという国家に、
「神」への苛烈なまでの信仰勢力がバベルの塔を崩壊した。
神なき信仰も神への過剰な信仰も、どちらも間違っているとは思うが、
愚かしい人間どもの近年エスカレートしていく自然(神)破壊に、
神が人間同士を戦わせ、自然(神)を守らせようとしているともとれる。
イスラエルとパレスチナの問題も、いわば「神」という名の大義名分を使った、人間の愚かしい争いに過ぎない。
さて、もっとも神なき社会・日本は、精神的な支柱を失ったまま、現代をさまよい歩いている。
だからこそ新興宗教という愚かな「神」が猛威をふるった。
健全な神が息づく町に、過剰な神は息づかない。
過剰な神は、神が人間の作り出した「トリック」から大きく逸脱し、神だけが一人歩きしてしまう。
<神なき時代に未来はあるか>
神なき社会に突き付けられた問題。
人間の心はすさみきっている。
果たして21世紀、この神なき時代は一体どのようになっていくのだろうか?
もしかしたら人間は滅びるかもしれない。
自ら作りだした最大の発明品「神」を葬り去ってしまったから。
自らが生きている自然(神)を崩壊させてしまったから。
人間は今、問われている。
人間社会を平和にするための最大のトリック「神」を現代にあった形で復活できるか否かを。
●2002かさこ年賀状
神なき時代に、世界を旅し、社会を観察し、
新しい時代を作る契機となるために、
何事もタブー視しない容赦ない批評と、
常識にとらわれない新しい提案をし続ける、
毎日更新かさこワールドを、今年もよろしくお願いいたします。
(写真:ベトナム・チャンパ遺跡)