アメリカたびばな(2)
2002年 02月 26日
サンタモニカからロサンゼルスの空港へ行くのに、タクシーを呼んでおいた。
そのタクシーおやじが、朝早いというのに終始フレンドリーだった。
タクシーという密室の中で、見知らぬ人同士が一定の時間、空間を共有することにおいて、
初対面からめちゃくちゃフレンドリーであることが、アメリカでは唯一犯罪防止の手段なのだろうかと思うが、
そんなことはさておき、とにかく親しげにいろいろと話してくれた。
それが他の外国で感じるような「日本人であるから」ではない。
やはりそういう態度が習慣化しているのだろう。
空港に到着すると、まるで親しい友達が送ってくれたがごとく、快活に「バイ!」と手を振った。
そのフレンドリーさは実に心地よかった。
このタクシーおやじが運転中、一度だけ怒りだした出来事があった。
それは前方の車がウインカーを出さずに車線変更したことだった。
それほど危ないと思ったわけではないが、快活なおやじは態度を一変し、この車に執拗に怒りはじめたのだ。
「突然ウインカーも出さずに車線を変更するというのはとんでもないことだ。
もし事故にでもなったらどうするんだ。あんな危険な運転の仕方はない。ああいうドライバーは絶対に許せない」
はじめは僕も「危ないですよね」と相槌を打っていたものの、
延々文句を言い続けるあまりのしつこさに、僕は同意するのも面倒になり、ただぼっと外ばかり見ていたが、
それでも彼はそのドライバーを批判し続けた。
「どんな奴が運転しているか、つらを見てやる」
といってスピードを上げ、彼の車を追いぬこうと必死になった。
「おいおい、そんなムキになって運転する方が危ないんじゃ・・・」
と思いながらも、多分今は何を言っても聞かないだろうなと思い、 ただ事故だけは起こさんでくれよと祈りながら乗っていた。
なかなか追いぬくこともできずにいたが、相手が再び車線を変更し、
違う方向へ走っていった時に、そのドライバーの横顔が見えた。
「じじいだ!」
結構な歳をいった老人が、前しかみずに運転している様子が、僕からもよく見えた。
「じじいがあんな風に運転するのは危険だよ。絶対にあんな運転はいかん」
しばらくじいさんドライバーへの批判が続いていた。
たいしたことではないのに、これほど快活なおやじが腹を立てるっていうのはどういうことなんだろう。
ずっとそれを僕は考え続けていた。
たまたまそんなことに遭遇して、この一例を国民性として拡大解釈するとすれば、
きっと多種多様な人種の住むアメリカ人にとっては、
ルールを守ることっていうのは絶対的な条件なんだろうなと思った。
アメリカは何かと言うとすぐに法である。
あれだけ法がしっかりしているというのは、
同一の価値観や同一の民族性を持たないバラバラの人々の秩序を保つためには、
何事も法によって取り決めがなされないといけないのだと思う。
だからこそ争いが起きた場合にはすぐに裁判になり、迅速に行われる。
その点、日本は島国で他の国との関わりも少なく、
ほとんどが同一民族で誰もが生まれた時から日本語を話す日本人であるわけだから、
細かくルールを決めなくとも、なんとなくそれはいけないとか、なんとなくそれはいいだろうといった、
明文化されないルールっていうのが根付いているから、いちいち契約や法で取り決めなくとも、裁判しなくとも、
互いの思いやりや話し合いでどうにかなってしまうところがあるに違いない。
あんなにも快活なおやじが、そんなに危険でない運転にあれほどまでに激怒した理由って、
やっぱり何でも法律社会のアメリカだからこそなのではないかと僕は思った。
