図工・家庭科の時間
2002年 05月 17日
「結婚したのに、つぶやきネタにあまり変化がな~い」
いろいろ変わったんだけども、なんせ月日がまだ経っていない。
唯一目に見えて変化を感じることは、「毎日風呂に入れる」ことと、
オートロック式のマンションのために、
朝、新聞を取りに3階から下に降りて取りにいかなければならないということか。
引越したものの、まだまだ物がなく、(僕の膨大な資料やら本やら写真やらは、収拾がつかず散乱しているが)
毎日、部屋の片付けというか模様変えをやっているような感覚なので、まだ落ち着かないんだけど、
その際に感じた話を一つ。
パソコンデスクだとか収納ボックスだとか、
組み立て式のものを買って来て、ドライバーやらボンドやらを使って、
作っていると、小学校の頃の夏休みの自由工作の宿題を思いだす。
その時の経験はまるで役に立ちはしないが、
様々な工具の使い方を教えてくれた、学校の図工や技術の時間って、
小中学生であれほど懸命になって勉強した「五教科」なんかより、
はるかに貴重な体験だったんだと思うと、今までやってきたことの虚しさになんだか悲しくなる。
服のボタン付けやら料理やら洗濯やらなんやら、
そういった家事についても家庭科でやったことって、結構重要だったんだなと思い返す。
男は家庭科の時間が女より少なかったが、
今もうほとんど思いだせない暗記授業の勉強なんかより、はるかに重要だったんだな。
<2>
昨今「ゆとり教育」のために大幅に義務教育の内容が削られている。
毎週土曜日の休日化にも伴い、小中学生は「ゆとり」を持つようになった。
ただ授業の中身の削減は実にくだらん争点で行っている。
たとえば円周率を昔は「3.14」とならったが、「ゆとり教育」のために「およそ3」にしたという。
そんな内容の削減を積み重ねたものが「ゆとり教育」だという。
その一方で年々バカな大学生が増えていることも問題になっている。
分数の計算や小学校で習ったはずの学力がないのだ。
核家族化・地域社会の断絶化・少子化といった様々な要因から、
まともなしつけ・教育が家庭でできなくなっている。
一方いくら学校で内容を軽減したところで、学歴信仰の受験勉強がある限り、
意味のない丸暗記教育をしなければならない。
「ゆとり教育」云々の前に、教育の質の向上や学校の役割の変化を考えた方がいいのではないか。
五教科より図工や家庭科。
今にして思うと体育も結構重要なんだなと思う。
あとは現代社会や政経の授業とか、
ようはその当時、受験教科と関係無く軽視(時には無視)されていた授業が、
今になってみると本当はちゃんと勉強しておくべきことだったんだと思い返す。
円周率をいくつにするかといったくだらん議論の前に、
そもそもの教科内容の見直しをした方がいいんじゃないか?
歴史の年号を覚えているより、りんごの皮むきができた方がいい。
ようはそういうことだ。
ということを結婚して感じた。