日本と韓国における政治的危険度
2002年 07月 01日
決勝トーナメント1回戦で負けた日本と、強豪を破り3位決定戦にまで進んだ韓国の何が違ったか。
サポーター・国民の熱狂。
試合の日には休日にして、みんなで応援した韓国と、
誰もが気になりながら、仕事の合間に中途半端に観戦した日本。
サポーター・国民の熱狂ぶりをみても、
ただバカ騒ぎして日頃のストレス発散をするだけのバカサポーター日本と、
国民が一致団結して応援する韓国とでは、雲泥の差。
実力や組み合わせを考えても、どちらも同じところまで進める可能性があったにもかかわらず、
同じ開催国でありながら、日本がベスト16で終わり、韓国がベスト4まで進んだ違いは、
サポーター・国民の差であったように思う。
でも、ここで注意しなければならないのは、
考えてみればたかだかサッカーなんてボールの蹴り合いの試合に過ぎないということだ。
サッカーの試合ごときで休日にしてしまったり、
広場に何百万人も集まってみんなで熱狂する姿や、
試合に勝っただけで国民の最も重要な義務である、兵役を免除してしまう韓国というのは、
実はある種、政治的には非常に危険な国家であり、国民が国家のために命を投げ出してしまう、
極めて民主主義度の低い、前時代の国民なのではないかという疑念が湧きあがった。
確かに日本の応援は中途半端で散漫で、
かつ単に「ワールドカップブーム」にのっただけの一過性のものだったからこそ、
決勝トーナメントで勝ちきれなかったわけだが、
国家の威信をスポーツにかけて、ナショナリズムを煽ったり、
国家の団結を促すような政治的手法は日本で通用しないほど、
ある意味、日本は前時代の国家至上主義から打破した国民なのではないかとも受け取れる。
サッカーは所詮サッカーでしかない。
日の丸代表なんて騒いでも、
アホな女性たちは「ベッカム!」だとか「イタリア伊達男集団」に熱狂したりする、
それはそれで別の問題があるにせよ、いわば自国代表以外は応援できない、
極めて偏狭なナショナリズムに支配されていない数少ない国が日本ではなかったか。
そう思うと、たかがスポーツの1つサッカーに、
あれほど国民が一致団結して国家高揚を行った韓国という国は、
何かあったら盲目的に国家の指示に従って、
自分の命を犠牲にしても国家のためにドンパチきな臭いことを、
平気でやるような国民ではないかという疑念が、今回のサッカーの応援ぶりをみて思ったのである。
サッカーをやって韓国がいい成績を上げたように、 戦争をやったら韓国の方が絶対強いだろうけど、
国民の幸福や自由度を考えると、
たかがボールの蹴り合いの応援ごときで団結しなかった日本の方が、幸せな社会といえるだろう。
ワールドカップのおける日本と韓国の国民の熱狂ぶりとその成績の違いから、
ナショナリズムや軍国主義の素地を見て取れたように思うが、いかがだろうか。
※追記
トルコが3位になって「日本が負けたのはトルコが強かったからだ」と思った人も多いだろうが、
そんなことはない。
あの世界3位のトルコに日本は十分勝つ可能性があった。
にもかかわらずトルシエの采配ミスで、試合の前に勝敗が決してしまったことが原因である。
トルコが3位になったことで日本の負けの正しく分析しなければ、 今後の日本サッカーに成長はないだろうな。
ちなみにトルコ戦に負けた後のマスコミは、こぞって「お疲れ様」に終始し、
トルコ戦に負けた分析をしたのはフジテレビ「特ダネ」の金田さんぐらいであった。
誰かがこんなことを言っていた。
「トルコ戦に終わった選手に『お疲れ様』と声を掛けるのは最も失礼なように感じた。
というのも、選手がこの試合、納得して取り組んでおらず、かつ不完全燃焼だったから」
韓国もトルコも3位決定戦に出たのに、実力的にはなんら遜色のない日本があの場に入れなかったことが、
ほんとうに悔しくてならない。
そういった「悔しさ」がなければ、多分日本は4年後、
アジア予選で負けてワールドカップになんか絶対に出れないよ。
