坂本龍一絶賛ボーカリスト・五阿弥瑠奈(Ooze)インタビュー
2007年 11月 23日
キューピーのCMナレーションや、JR東日本のCMに楽曲提供している。
「音楽で食べていきたい」若者は腐るほどいるが、
彼女はその階段を確実に昇りはじめている。
なぜ彼女がチャンスをつかめたのか、
彼女は何を想い、音楽をつくっているのか。
そのバックグランドに迫った。
(取材日:2007年11月2日)
●1:営業:100社レコード会社にCDを送ろう!
2007年7月、東芝EMIの第35回ウィークリー・レコメンド・アーティストとして紹介
2007年9月、坂本龍一のJ―WAVEraidoSAKAMOTOにノミネートされ、
坂本龍一本人より賞賛コメント。
キューピーのCMナレーション担当に、JR東日本のCMに楽曲提供……。
私は五阿弥瑠奈さんのミクシィの経歴を見て、目を疑った。
23歳の大学生。
それほど頻繁に、精力的にライブ活動をしているわけでもないのに、
音楽でこれほどの「実績」をあげている。
彼女と出会ったのはあるライブ会場。
私が知っているバンドのボーカルの彼女として紹介された。
ボーカルの彼に東京男子撮影をお頼いする話が出た時に、
「よかったら彼女も東京少女で」という話になった。
彼女もバンドのボーカルをやっているとは聞いていたが、
撮影前に彼女のプロフィールを見て、こんなにすごいのかと驚いたのだ。
どちらかといえば弱々しく思える、とても可憐な女の子。
そんな彼女が、仕事と結びつく音楽活動を精力的に行っていることが意外だった。
これだけの音楽的な「実績」を残すには、偶然や運だけでは勝ち取れないはず。
ただ音楽的才能があるだけでなく、
そこには営業・宣伝活動に力を入れているはずだと私は思った。
音楽で食っていきたいという若者はごまんといる。
しかし実際に音楽で食っていけるのはごくわずか。
音楽を仕事として成功する秘訣を聞きたい。
なぜ彼女がこんなチャンスをつかんだのか聞きたい。
そこでインタビューをお願いした。
私の問いに対する彼女の答えは、意外にもシンプルなものだった。
「2007年5月頃、100社レコード会社にCDを送ろう!って決めたんです。
それでまず15社にCDを送ったんですけど、
そのうち6社からすぐに返事が来て。
それでいろいろなことが動き出したんです」
認めてくれない社会が悪いとか、
デビューしている奴なんかより、俺らの方が才能あるのにみたいな、
文句だけいって行動しない輩が多い中、
彼女は特別なコネクションがあるわけではなく、
レコード会社にCDを送るという、
最も「原始的」な方法でチャンスを勝ち得たのである。
夢を実現するためにすべき行動を起こして、
自分に才能があるなら、こうしてきちんと評価されるということを、
夢ばかりみて行動しないで文句をいっている輩は、見習ってほしいなと思った。
営業の成否を決めるのは数であると、
私はかつての営業経験から思っている。
彼女ははじめ100社送ろうとした。
それが成功したポイントではないか。
はじめから自分が気に入ったところだけ、
2、3社しか送らなければ、こんなに反応はなかったのではないか。
「数うちゃあたる」とは営業の世界では鉄則。
面倒くさいことをしたがらない、
なるべくラクして効率よくやろうと思う人間に、まずチャンスは来ない。
「ただ数多く営業するだけでなく、
レーベルやレコード会社の傾向にあった曲を選出し、
一曲一曲に想いを込めて、一社一社に心を込めて送りしました」
彼女は自分の売り込みを、量、質ともにしっかりやった。
だからその結果が出たに違いない。
「今までずっと、自分は外の世界に開いていなかった。
完璧主義だったせいもあって、
レコード会社にCD送るなんてまだ早いんじゃないかと思っていました。
営業や宣伝するより、
自分の内面的な成長や技術的な鍛錬が最重要だと思い、
ひたすらそれに向き合う時間を作ることに重きを置いていました。
音楽作品の完成度をとことん上げることが先決じゃないかと」
彼女の心は葛藤で揺れていた。
まだ自分の作品を営業する段階には早いのではないか。
それは自信がなかったともいえるし、
逆にもっといいものを作れるはずだという思いもあったからだろう。
でもずっと作品を自分の中で作り続けている限り、
世の中の目に触れるチャンスはない。
「20歳を過ぎた頃にふと気づいたんです。
完璧なんてどこまでいってもないんだから、
今あるベストなものを、外に向かって知ってもらってもいいんじゃないか。
作品づくりと宣伝活動を同時並行ですべきじゃないか。
人との出会いを大切にして、
多くの人に自分の音楽を知ってもらう機会を、
自分からつくならければいけないんじゃないかって」
彼女が大学時代、自分たちの音楽を、
多くの人に知ってもらうために行った興味深いことがある。
2005年のこと。入学時に配布される大学の機関紙に、
9曲入りミニアルバム「Zwerg」を付録CDとして、2000枚提供したのだ。
2000枚ものCDを無料で配ってしまうということに、
普通は抵抗感があるんじゃないか。
ライブをやってそこで数枚でもCDを売れば、
音楽活動費の足しになるのに、
2000枚のCDを無料で配った方が、
目先の利益にならなくても、中長期的に見れば、
ファンを多く獲得できる可能性があると考える広告的発想を、
よく当時21歳の大学生ができたなと。
「音楽は自分の魂をこめた大切な作品ですから、
そこにお金をつけるべきだとも考えました。
でも魂をこめたものなのだから、値段は関係ないのかなと。
とにかくまずは多くの人に自分の音楽を知ってもらわなきゃと思い、
CDを付録でつけることにしました」
そもそもこの機関紙に、
彼女のバンドOozeを紹介する記事が掲載される予定になっていた。
「音楽っていくら言葉で語っても、文字を書いても、
聴かなければわかってもらえない。
仮に記事にホームページのURLを載せたところで、
わざわざURLを打ち込んでくれる人なんてほんのわずかでしょうし。
音楽を知ってもらうには聴いてもらうしかない。
だからCDをつけようと思ったのです」
私もこのジレンマについて考えてしまう。
私が音楽についての記事を書いている、
たとえばミスチルのライブレポートにしても、
メリディアンローグのライブレポートにしても、アルバム紹介にしても、
曲を聴いている人には伝わる記事かもしれないけど、
音楽を実際に聴いたことがない人に、
どれだけ言葉を弄して「素晴らしい」といったところで、
聴かない限りその良さはわからないんだよなって。
彼女は、機関紙で紹介される絶好の機会を、
ただ読み流されてしまう記事にするのではなく、
音楽を聴いてもらう好機に変えるために、CD付録を思いついた。
営業・宣伝的観点から考えた、実にいいアイディアだなと思った。
レコード会社にCDを配布するだけでなく、
ミクシィの音楽関係のコミュニティに参加し、
そこで書き込みして宣伝したことで、
音楽の仕事に結びついたものもあるという。
彼女は2006年11月10日のミクシィの日記にこう書いた。
「私は内に向かいすぎていた・・・(中略)・・・
だけど今私に必要なのは 外へ出ていくこと」
内なる才能を秘めた彼女が、
それを外に向かって発信しはじめたことで、
彼女の音楽的世界はぱっと開けていったのだった。
人生、受け身じゃだめ。
待っていても、誰も、何も来ない。
自ら発信すること。自ら行動すること。
この当たり前のことを彼女はこの日記タイトルで、
「わかった!」と書いているように、痛感したのだろう。
インタビュー下記につづく
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