スターバックスの本末転倒
2002年 08月 06日
一時は前代未聞の入場制限までしたユニクロだが、今はすっかり店内は閑古鳥がないている。
安くて高品質、かつある意味ファッショナブルだったことが受けた要因だが、
最近のめまぐるしい低迷ぶりは、安い製品はデザインの質が明らかに低化し、
デザインの質を維持したものは価格が高く、ユニクロの利点が全くなくなってしまったからだろう。
一方スターバックスは未だに大繁盛のようだ。
どこにいっても満員だし、いまだに出店ラッシュが続き、
こんなところにもできたのか、と驚くことがよくある。
僕はコーヒーが大好きであるし、
かつ執筆活動の一部はファーストフードやコーヒー店でやることが多いので、コーヒーにはちとうるさい。
たまたま空いているスターバックスをみつけたので、普段はあまり入らないが、行ってみることにした。
ホットコーヒー・スモールで250円。たいしてうまくない。
というかこの味だったらはるかにドトールの180円コーヒーの方がうまいし、
それどころかモスバーガーの150円コーヒーの方がうまい。
なぜか?
それはカップに入れず、紙コップに入れているからだ。
マクドナルドが「プレミアムコーヒー」と題して、これまでにまずいコーヒーから質の向上を図ったものの、
未だにうまくないのは紙コップだからである。
明らかにスターバックスの方が質のいいコーヒーを使っているのに、
おいしく感じないのは紙コップだからであり、ドトールやモスがうまく感じるのはカップだからである。
スターバックスのレジには「スターバックス成功物語」なる本が置かれている。
アメリカでスターバックスが成功した話が書かれている。
僕は2年前にこれを読んで「企業の盛衰」なる、弟の大学のレポートを書いているから、
そこに書かれている成功物語と、日本における現実のスターバックスのギャップに嘆くばかりである。
その本によるとスターバックスが成功した理由は、
安易な低価格低品質低雰囲気路線に走らなかったからだ。
もともとコーヒー豆販売メーカーだったスターバックスは、店内で出すコーヒーの品質に徹底的にこだわった。
その一つの戦略として紙コップをつかわず、
コストが高くてもカップを必ず使うようにしていることが書かれている。
つまりのっけから紙コップでコーヒーを出す日本のスターバックスは、
いわば本末転倒なコーヒー店であり、スターバックスの名を汚した恥の店だといえる。
確かに雰囲気はいいかもしれないが、高品質なコーヒーという意味では、失格である。
成功物語を書いたCEOの涙ぐましい努力とは裏腹に、いとも簡単に紙コップで出してしまっている。
まあはっきりいって自ら品質向上を放棄しているとしかいいようがない。
ファーストフードがカップではなく紙コップでコーヒーを出すのは、
コーヒー専門店ではないし、客の出入りも激しく、
盗まれる可能性や、コーヒーが中心ではなくあくまで食い物が中心だから、致し方がないが、
コーヒー店でカップで出さない店なんて聞いたことはない。
ドトールだってベローチェだって、180円・150円と低価格でありながら、
コーヒーが主たる商品であるから、テイクアウトにしない限りは絶対に紙コップではでてこない。
なぜスターバックスたろうものが平然と紙コップでコーヒーを出してしまうのか。
理解に苦しむ点である。
ひょっとして日本人はなめられてるじゃないか。
どうせ日本人は流行やトレンドに流され、質や価格の吟味ができない無能国民だから、
何もわざわざカップで出すことなく紙コップでいいんじゃないかという、
社会学的見地から紙コップ使用になったのではないか。
「飲めば痩せる」なんてアホみたいなダイエット食品にひっかかるような国民ならば、
コーヒーの質などわからない。
ただなんとなく格好良さそうな「スターバックス」というブランドさえ掲げていれば、
質が低化していようが日本人は金を出す。
国際紛争が起きた時でも、
中身を吟味できずアメリカのいいなりで金を出す日本の国民性を見ぬいた、
アメリカ・スターバックスの日本店戦略として、
コストのかからない、まずい紙コップコーヒーを平然と出していると思うと、
スターバックスでまずいコーヒーに金を出すことは、
アフガニスタンの罪のない国民を誤爆し続けるアメリカの弾薬のために、
日本人が金を出しているとの同じむじなではないかという気がしてならない。