大地震を望んでいる?
2003年 09月 24日
地震を予知し、随分メディアに取り沙汰されていた。
別にその予知が外れて起らなかったじゃないかという気はさらさらないし、
もしかしたら、日にちがちょっと遅れているだけで、 もうすぐ起るのかもしれない。
それは今の科学では誰にもわからない。
この日本社会の閉塞状況から立ち直るウルトラCとしては、
北朝鮮に核かミサイルぶっぱなされて、都市社会が壊滅的な打撃を受けるか、
関東・東海に大地震でも起きた方がいいんじゃないかという意見を、 何度か、述べてきた僕だが、
今回の地震予知騒動に関するニュースで、
その僕でさえちょっと虚をつかれることがあった。
「実は国民の多くは大地震など、大きな天災が来て欲しいとどこかで望んでいる」
その時、はっとした。
もしかしたらそうなのかもしれない。
だから地震予知なんてのも結構話題として広がるのかもしれないし。
もちろん、地震が実際に起れば、誰も地震が起きてほしかったなんて思わないだろう。
それは大地震を経験したことがないから、そういえるのであって、
もし経験していたら「望んでいる」なんて思いもしないだろう。
しかし国民の深層心理で、地震や天災を望んでいるというのは、 確かにうなずける。
日本の社会で今、一番の問題なのは閉塞感。圧迫感というかな。
別に飢え死にする人が多いわけじゃないし、
猛威をふるう伝染病で人々がばったばったと死んでいるわけではない。
食糧が不足しているわけではないし、物はいくらでもある。
でもそういう「豊かさ」とかではなくって、なんか根本的な、
生きていく上での心理面での圧迫感というか閉塞感っていうのは、相当なものだと思う。
しかもその悪の正体がわからない。
だから異常な犯罪にはしったり、異常なオタクにはしったり、
メール依存症になったり、携帯依存症になったり、
ひきこもりになったり、うつになったりする。
そういう心理状況の中で、何もかもが滅茶苦茶に破壊され尽くす大地震っていうのは、
国民心理としては、確かに望むところなのかもしれない。
滅茶苦茶になってしまえば、住宅ローンの悩みもくそもないよなとか、
仕事の人間関係なんてちっぽけな悩みにしか過ぎなくなるよなとか、
今、いろいろな意味でしがらみにとらわれているものが、
すべてチャラになると思い込んでいる(実際には大地震が起きてもならないとは思うが)。
だからなんだろう、地震予知のニュースや、
東海大地震が起るかもしれないってニュースが、
国民受けするのか、何度も何度もことあるごとに流される。
ちなみに東海大地震は、僕が小学校の頃から、
まことしやかに「この2、3年には絶対に起る」なんていわれていた。
今から約20年も前の話である。
つまり日本人はこの20年間、ことあるごとに大地震を持ち出し、話題にし、
自分たちの行き場のない閉塞感を打ち破るカタルシスとして期待していたということだ。
(カタルシス:簡単にいえば悲劇を見ることでストレスを発散させること)
しかし僕らは知っている。
東海大地震が年がら年中騒がれる中で、
誰も予想だにしなかった阪神大地震が起った。
予知の科学的技術は進歩しているんだろうし、
地質学的な意味で東海地方に地震が起る可能性が高いにせよ、
僕らがわあわあ騒いでいるのとは違った場所で大地震が起きていることも忘れてはならない。
昨年、朝日新聞はかなり大々的にまことしやかな科学的データをあげて、
「富士山大噴火と東海大地震の連鎖」みたいな記事を何度となく取り上げていた。
確かにもうそろそろ起るのかもしれないけれど、
そういった大地震関連が騒がれ出すのは、
やはり読者に大地震が起きて欲しいという思いがどこかにあって、
そういった記事を読みたいという「需要」があるから、
まいどまいど騒がれるんだろうな。
大地震がいつどこで起きるか起きないか、それは誰にもわからない。
でも起きて欲しいとどこかで願っている人が多いという事実があるっていうのは、
覚えておかなければならないことだなと思った。
みんな、カタルシスが見たいんだ。
でもそれは実際に起らず「話題」にして「想像」しているだけだから、
一時的なストレス発散になるだけなんだろう。
本当に大地震が起きれば、そんな「甘い幻想」は吹っ飛び、
大惨事の現実を目の前にして、社会やそこに生きる人たちは、
「本当に」変わらざるを得ないことだろう。