環境にやさしい原子力発電所~CO2悪玉論によるエコ商法が日本を破滅の危機に
2011年 03月 27日
電力会社を筆頭に、政府、官僚、産業界が、
原子力発電所を何が何でも普及させるためにでっちあげた、
ここ数年のロジックだ。
なぜ原子力発電所が環境にやさしいのか?
その論理を可能にしたのは地球温暖化問題のCO2悪玉論である。
環境問題と一口に言ってもさまざまあるはずなのに、
(それこそ放射能汚染だって重大な環境問題なはず)
近年、環境問題といえば地球温暖化問題だけに限定するような風潮が作られた。
しかも地球温暖化の原因はCO2排出にあるとされ、
環境にやさしい=CO2排出量を少なくすることに一元化された。
各企業がCO2排出削減をPRするような広告も増えた。
これは経済成長に息詰まった先進国が、
さらなる経済成長を遂げるために生み出した、
エコごっこによる環境商法バブルだ。
CO2排出削減の取り組みによるさまざまな商法が生まれ、
それによって経済成長を遂げようという思惑だ。
いわば金儲けを正当化するために、
地球環境問題=温暖化問題=CO2排出削減ビジネス、
という風に環境問題が矮小化されたのである。
つまり、すべての善悪基準はCO2排出量が多いか少ないか。
CO2排出量が多ければ悪。
CO2排出量が少なければ善とされた。
そこで、原子力発電所が世界的に近年脚光を浴びるようになり、
世界中で原子力発電所建設計画ラッシュが始まった。
なぜか。
原子力発電所はCO2排出量が少ないからだ。
火力発電所はCO2をいっぱい排出します。
だから環境に悪い発電方法です。
しかし減力発電所はCO2をほとんど排出しません。
だから環境に良い発電方法ですと。
地震やテロなどによる放射能汚染という環境問題は、
ここには一切、考慮はされていない。
なぜなら環境問題=温暖化問題=CO2排出だからだ。
そもそも本当に温暖化しているのか。
仮に温暖化していたとしてもその原因がCO2なのか。
CO2の排出量を削減すれば温暖化は解決できるのか。
こうした疑問は都合が悪いから無視され、
とにかく放射能汚染問題があろうが、
CO2の排出量が少ないのが環境にいいことだということが、
ここ数年、世界中で宣伝され続けてきた。
それが原子力発電所を増やす正当化させるロジックになってきたのである。
こうした欺瞞の環境商法による原発推進に対し、
警鐘を鳴らす人たちは多くいた。
実に皮肉な話だが、昨年8月に発売された、
「原子炉時限爆弾」広瀬隆著では、
地球温暖化対策のもとで、原発がクリーンエネルギーとして脚光を浴びている。
エコの名の下で、日本人は疑問を抱くことなく
電力会社の宣伝文句に踊らされているが、
日本の原子力産業が突進しようとしている未来には、
とてつもなく巨大な暗黒時代が待ち受けている。
その正体こそ、地球の地殻変動がもたらす「原発震災」の恐怖である。
スマトラ島沖地震、四川大地震、新潟県沖地震等々は、刻々迫る東海大地震の予兆である。
この日本列島に阪神大震災をはるかに上回る巨大地震が襲うのは確実で、
そうなれば浜岡をはじめとする原発が大事故を起こし、
首都圏崩壊、さらには日本全土が壊滅するおそれが高い。
という内容が書かれている(アマゾンの内容紹介より転載)。
東海大地震ではなかったが、
まさにこの通りの事態が今、日本で起こってしまった。
大地震や津波という天災は防ぎようがない。
しかし今、日本を苦しめているのは、
原発問題という“人災”だろう。
「大地震や津波だけだったら甚大な被害とはいえ、
日本は復興できただろうけど、原発の問題があるからな・・・」
と先週取材した多くの企業が嘆いていた。
日本に大地震が起こるというのは、
想定外のことではなく想定内のことであったはず。
<大地震が多い県と原発>
1位:新潟県*原発あり
2位:宮城県*原発あり
3位:北海道*原発あり
4位:静岡県*原発あり
5位:岩手県
6位:長野県
7位:鹿児島県*原発あり
8位:青森県*原発あり
9位:福島県*原発あり
しかも、宮城県沖で869年に起きた大地震による大津波の再来があると、
2009年の原発の耐震安全性を検討する経済産業省の審議会で、
専門家が指摘していたにもかかわらず、
東電も政府も軽視していたという。
大地震が起きて原発事故が起きた結果論で、
批判していると思うかもしれないが、
地震が起きる前に原発の危険性を指摘した人はいっぱいいた。
しかし「CO2を排出しないから原子力発電所は環境にやさしいんだ」
という論調のもと、原発の本来の環境リスクは無視され、
日本の原発メーカーが次々と世界で受注して、
金儲けができるんだから余計なことを言うんじゃない、
といったような風潮があったのではないか。
ただ東電と政府だけを悪にして、
国民は被害者だという態度ではいられない。
今回の事故でわかったことだが、
いかに国民が無駄な電気を使っていたことか。
私は2006年7月14日に、
「スーツ着用するから原発がいり、戦争がいる」
http://kasakoblog.exblog.jp/14493943/
という日記を書いている。
猛烈な暑さにもかかわらず、スーツを着ているせいで、
クーラーががんがんかけられていて、
そのせいでまた都市は暑くなるわけだが、
電力消費が増えてしまうわけである。
するとどうなるか。
極めて危険な原発をばんばん立てなければならなくなるのだ。
そこでかさこ内閣は、スーツ着用禁止法を制定する。
夏季、企業に勤める会社員はスーツおよびネクタイは着用禁止。
会社員でスーツを着用した場合は、
地球環境悪化罪および電力消費負担増加罪で、
その企業に罰金を取ることにして実効性を高める。
・・・・・・
当時では「何をバカなこと書いているんだ」と
思った人も多いかもしれないが、
今年の夏はまさにこのような法律が制定されるかもしれない。
夏の電力不足解消を補うため、
枝野首相、違った、枝野官房長官は単なる節電だけでなく、
国民の生活様式を抜本的に変えねばならない、
というところまで踏み込んだ発言をしている。
暑いのに男性がスーツを着ているせいで、
薄着の女性は寒いのにクーラーの設定温度が低く、
そのために電力消費が増えるといった愚かな行動が、
原発事故が起きてはじめて辞められるかもしれない。
「地球環境に貢献する原子力発電所」について、
2006年10月23日の日記ではこのように言及している。
自分の生活態度は改めず、二酸化炭素を放出し続けているくせに、
原子力発電所というだけで「そんな危ないものダメ」と反対する。
だったら、自分の生活を改めて、
自動車に乗らない、電気の使用量を減らすなど、
二酸化炭素の放出量を減らす生活できますか?
ほら、できないでしょ。
だからね、原子力発電所が必要なの、っていう論理が、
説得力を持ち、必要性を増してしまう。
・・・・・
国民が生活を改めない限り、
原子力発電所だけを批判することなんてできない。
今回の事故が起きてはじめて、
家庭や企業は節電の重要性を認識したのではないか。
2006年12月23日の日記、
「温暖化がなぜいけないの?~apbankfesDVD発売を契機に考える~」では、
http://kasakoblog.exblog.jp/14496215/
家庭でやるべき環境対策って面倒なことじゃないし、
環境対策のためにやるって意識がなくても、
無駄な金を使わず節約しようというモチベーションが働きやすい。
環境のためというより無駄金使わず節約になり、
自分の好きなものにお金を使えるようになるといった観点から取り組めば、
お金も節約でき、地球環境にも優しいということになるんじゃないかなと。
環境対策を進めることは、戦争と原発事故を減らすことにつながる。
石油をめぐる戦争を減らすことができる。
CO2削減に役立つという名の下、原発が日本も含め世界的にバンバン建設されているが、
それを止めることができる。
環境対策は単に自然災害防止ではなく、戦争と原発事故という、
人類に破滅をもたらしかねない人為的災難を減らすことにもつながる。
と書いているが、電力を大量に使う生活があったからこそ、
「原発事故という人類に破滅をもたらしかねない人為的災難」を
避けることができなかった。
地震による原発事故という意味では、
2007年の新潟県中越沖大地震による、
東電の柏崎刈羽原子力発電所事故では、
ずさんな原子力発電所の管理体制と隠蔽体質が明らかになった。
2007年8月10日の日記、
「このくそ暑いのにスーツ~だから原発事故がなくならない」では、
http://kasakoblog.exblog.jp/14493874/
北朝鮮の核なんかより日本の原発の方がいかに現実的な危険があるかが、
IAEAの査察という事態でわかったわけだけど、
無駄な電気が必要だから原発が必要なわけで、
原発を少しでも減らす努力=すなわち、
電気をなるべく使わない努力をすれば、
地震やテロの標的となる原発を減らし、
原発事故による社会壊滅リスクを減らすことができるわけです。
やれ環境、環境と騒ぐけど、
真夏のスーツをやめることすらできない。
北京オリンピックを1年後に控え、
中国の大気汚染を問題視しているけど、
その前に日本もやることあんだろう。
原発で東電批判する前にスーツ姿をやめなさい。
中国の環境問題を批判する前にスーツ姿をやめなさい。
と書いている。
確かに原発をめぐる東電や政府のずさんな対応は非難されるべきだが、
それだけでなく、国民が無駄な電力を使わない努力をしないと、
原発はなくならないのだと。
こうしたなかで2008年9月に金融危機が起きた。
バブル化した世界経済が崩壊するなか、
世界では経済復興策として、
CO2悪玉論による環境商法を主軸に据えようとした。
2008年12月21日の日記、
「環境商法が次のバブルだ!CO2悪玉論は嘘だった?!」
http://kasakoblog.exblog.jp/9694374/
私はこの2~3年、
ずっと不思議に思っていたことがある。
なぜ利益しか追求しない企業が、
「環境問題に取り組みます」などとほざき、
自ら積極的にCO2削減などに乗り出したのかと。
そこで出た私の答えは1つ。
国民に環境にいいことだからと言って、
CO2削減を推進することで、
自動車、家電、住宅など、
様々な製品の買い替え需要が起き、
好景気になり、ボロ儲けできるから、
国も企業も率先してCO2悪玉論を叫んでるんじゃないか。
今まで環境問題に背を向けてきたアメリカ。
環境問題はアメリカ経済の足を引っ張りかねないので、
ろくに取り組もうとしてこなかったのに、
なんと環境に真剣に取り組みはじめるのだ。
なぜか。
金融危機と自動車産業危機を解決できる、
唯一の処方箋だからだ。
・・・・・
ちなみにオバマ政権になって、
アメリカでは原発推進政策に転換している。
原発建設も「クリーン」で「エコ」な公共事業になるということだ。
エコポイントなんていう前代未聞の詐欺環境政策も行われた。
何が一体エコなんだ?
自動車買い替えるやつにエコポイント付与するなら、
自転車通勤や公共交通機関通勤に変えた人に、
エコポイントを付与すべきだ。
こういう政策を見てもわかるように、
世界はエコという名のもとに、
新たな経済バブルを起そうとしているだけだった。
本当に「エコ」なことなんて考えていないのだ。
再び2008年12月21日の日記;
CO2削減=環境にいいという論理から、
世界中で原子力発電所が作られまくっている。
でも地球環境のことを考えたら、
温暖化の原因かもわからないCO2なんかより、
原発事故で放射能漏れすることの方が、
はるかに地球環境を破滅的な状況に追いやるのではないか。
まさに今、それが現実となった。
チェルノブイリ、スリーマイルと並ぶ「フクシマ」は、
世界中で原発推進一方向だった風潮にストップをかけた。
この「フクシマ」で止まればいい。
しかし今まで通りの生活を送りたいがために、
環境問題と経済成長=GDP至上主義を両立しようなんて、
都合の良い政策を続ける限り、
さらなる悲劇が起きかねないとも限らない。
日本より技術力もなく管理体制もいい加減な、
中国やインドや米国で原発事故が起きたらどうなるか。
今は「フクシマ」だけだが、
東海地震が起きて、浜岡原子力発電所で重大な事故が起きたらどうなるのか。
宮城に次いで地震の多い新潟県にある、
柏崎刈羽原子力発電所は大丈夫なのか?
環境問題とはCO2を減らすことだけではないはずだ。
放射能汚染で土、水がダメになり、
食べ物や飲料水不安が現実に広がっているのは、
重大な環境問題だ。
温暖化問題の比ではないかもしれない。
日本における原子力発電所の電気依存度は3割だ。
http://www.fepc.or.jp/present/nuclear/setsubi/index.html
ということは、個人や家庭や企業が3割、電気量を削減すれば、
原子力発電所はいらなくなる。
(そう単純な計算では済まされないので、
実際には4割ぐらいは削減しなきゃいけないのかもしれないが)
大地震が起きた後、町を歩くと無駄な電気の多さに気づく。
最近の駅や地下道などの節電の徹底ぶりをみて、
「やればできるんじゃないの?そんなに不便しないし」
と思うことも多々ある。
経済成長させるためのいかさまエコごっこは終わった。
人類が持続可能な生活を送るために、
真に取り組むべき環境問題とは、
CO2排出削減ではなく原子力発電所の全廃なのではないだろうか。
原発を廃止してその分の電力を、
太陽や風力や地熱で補おうといった非現実的な議論ではなく、
電力消費そのものを減らせばいい。
人口減少だって万々歳じゃないか。
移民政策で無理に人口増やす必要なんてまったくない。
そのために国民一人一人ができることはいっぱいある。
ただし従来の価値観で物事を考えてはいけない。
例えば、夏にスーツを着るのが礼儀ではなく、
社会への背信行為だぐらいの価値観の転換が必要だろう。
手っ取り早いのは、電気料金に50%ぐらい税金かければいい。
そしたら否が応でも節電するだろう。
その税金を財源に復興支援に回せばいいじゃないか。
一石二鳥だ。
政府主導で節電誘導する政策はいくらでもある。
サマータイム制度は必須としても、
労働時間が多い日本人に夜の残業禁止にしてもいいだろう。
電力需要が不足する夏には、
7~9月の間に1カ月の休暇=バカンスを、
義務付けする制度があったっていい。
これだけ通信手段が進んでいるのだから、
在宅勤務をもっと推進してもいい。
働き方が変わるだけでもだいぶ違う。
電力消費を減らす方法はいくらでもある。
例えば、東京電力菅内のパチンコ店の、
1日あたりの電力消費量は43万世帯分。
飲料自販機の1日あたりの電力消費量は41万世帯分にもなる。
パチンコと自販を停止すれば1日84万世帯分の電力が浮く。
そりゃパチンコと自販がなければ不便かもしれないが、
原発が1基減らせて、パチンコと自販がない生活と、
原発が1基増えて、パチンコと自販がある生活と、
どちらがいいのか?
音楽CDなんて禁止にすればいい。
エコなんていっているアーティストは、
CD販売をやめて配信だけにすればいい。
CDを作るための工場がいり、
それを配送するための自動車がいり、
それを販売する店がいる。
そこに使われている電力を考えたら、
配信での電力は相当少ないだろう。
寒い時に暖房をつけないとかじゃなく、
今の質を維持したまま電力削減する方法って、
このようにいろいろあるはずだ。
今、節電で駅のエスカレーターを止めているところが多いが、
20年前に駅にエスカレーターがあるところなんて、
ほとんどなかったんじゃないのか。
それでみんな普通に生活していた。
「人にやさしい」という名の近視眼的な「やさしさ」で、
エスカレーターを造りまくったせいで、
電力が今まで以上に必要になってしまい、
階段が狭くなってしまうという皮肉な現実を招いている。
エスカレーターなんか全廃すればいい。
電力削減方法はいくらでもあるはずだ。
経済成長至上主義を捨て、
天災が起きても壊滅的な人災が起きない、
真に“平和”な社会を作るチャンスではないかと思う。
<原発に関する小説で興味深いおすすめ本>
原発をめぐる人間ドラマ~「天空の蜂」東野圭吾著
http://kasakoblog.exblog.jp/14419501/
地球環境に優しい原子力?!~「マグマ」真山仁著
http://kasakoblog.exblog.jp/14496106/