私の写真が被災者のために
2011年 04月 09日
まったく知らない方から。
実家が今回、かなりの被害を受けた仙台の野々島だという。
野々島で検索していたら、かさこワールドにたどり着き、
そこで私が何年か前に撮影した野々島の猫を発見した。
「父が飼っていた猫が写っている!」
実家は津波で流された。
島の高台に逃げてお父さんは命は助かった。
しかしかわいがっていた猫がどこにもいない・・・。
見つからない。もうだめかもしれない・・・。
身ひとつで逃げてきたので、
写真ひとつ残っていない。
そこで偶然、かさこワールドで、
飼っていた猫が写っている写真を発見した。
両親にとって猫と暮らした日々は宝物。
ありがとうございます。涙が止まりません。感謝します。
両親に猫写真をプリントアウトしてお送りします。
・・・・
私の撮影した猫写真がこんな形で役に立つなんて!
Webからプリントアウトしたのでは、
解像度が低いので、実画像を送ることにした。
写真って時々無力感を感じたり、
すごく冷徹な感じに思えたりもする。
文章は自分の意見を織り交ぜ、“作る”ことができる。
しかし写真はどこまでも“リアル”だ。
もちろん360度の世界から、
どこを恣意的に切り取って見せるかという意味で、
写真は“表現”ではある。
しかしいつもと変わらぬ町の風景であったり、
いつも何気なく一緒に暮らしている猫だったり、
それが写っている写真って表現の前に貴重な記録でもある。
何事もなければ毎日顔を合わしている猫や街並みなんて、
わざわざ写真を撮る必要はないと思うかもしれない。
私は“旅人”だから、見知らぬ土地を珍しいと思い、
そこで出会った猫がかわいいと思うから、
それは日常ではなく非日常だから写真をいっぱい撮る。
私にとって非日常の写真が、
誰かにとっては日常だった。
その日常がある日、突然失われた時、
その写真は貴重な記録として、突然、輝きを放ち出す。
いつもと変わらぬ何気ない日常が大事と頭でわかっていても、
毎日のありがたみを感じるのはなかなか難しい。
でも非常事態が起きて、
当たり前の日常が当たり前でなくなった時、
そこに写っている当たり前の風景が貴重なものと思えてくる。
私はそんなに何度も宮城に行っているわけではないが、
今回、甚大な被害にあった石巻や鮎川や野々島の写真は、
何枚か撮って、ろくにWebにアップされないまま、
私のHDに保存されているのみ。
もしかしたらその当たり前の写真が、
誰かの貴重な思い出になるかもしれない。
写真は現実を変えることはできない。
現実をただ一部分切り取るだけで、
リアルからの制約は逃れられない。
しかし写真は、時を止めることができる。
もう二度と戻ってこない一瞬の時を、
記録として写し撮ることができる。
こうしたメールをいただけると、
本当にうれしく思い、
そして自分自身が救われたような気持ちになる。
写真をやっててよかったなって。
これからも何気ない日常や、
私にとっての非日常を、
全国各地、世界各地で写し撮っていきたい。
きっとそれが誰かの役に立つことを信じて。
※それにしても最近なんだか、
仙台や宮城方面からの連絡やらが多い。
もしかしたら私を呼んでいるのかもしれない。
旅をしていると、その土地に呼ばれている時と、
呼ばれていない時がある。
呼ばれている土地に行くといい旅になる。
私は車がないのだが、
どうにか足か手段を見つけて、
宮城方面に足を延ばしたいと思ってます。
(写真:石巻駅前)