まったく知らない方から。
実家が今回、かなりの被害を受けた仙台の野々島だという。
野々島で検索していたら、かさこワールドにたどり着き、
そこで私が何年か前に撮影した野々島の猫を発見した。
「父が飼っていた猫が写っている!」
実家は津波で流された。
島の高台に逃げてお父さんは命は助かった。
しかしかわいがっていた猫がどこにもいない・・・。
見つからない。もうだめかもしれない・・・。
身ひとつで逃げてきたので、
写真ひとつ残っていない。
そこで偶然、かさこワールドで、
飼っていた猫が写っている写真を発見した。
両親にとって猫と暮らした日々は宝物。
ありがとうございます。涙が止まりません。感謝します。
両親に猫写真をプリントアウトしてお送りします。
・・・・
私の撮影した猫写真がこんな形で役に立つなんて!
Webからプリントアウトしたのでは、
解像度が低いので、実画像を送ることにした。
写真って時々無力感を感じたり、
すごく冷徹な感じに思えたりもする。
文章は自分の意見を織り交ぜ、“作る”ことができる。
しかし写真はどこまでも“リアル”だ。
もちろん360度の世界から、
どこを恣意的に切り取って見せるかという意味で、
写真は“表現”ではある。
しかしいつもと変わらぬ町の風景であったり、
いつも何気なく一緒に暮らしている猫だったり、
それが写っている写真って表現の前に貴重な記録でもある。
何事もなければ毎日顔を合わしている猫や街並みなんて、
わざわざ写真を撮る必要はないと思うかもしれない。
私は“旅人”だから、見知らぬ土地を珍しいと思い、
そこで出会った猫がかわいいと思うから、
それは日常ではなく非日常だから写真をいっぱい撮る。
私にとって非日常の写真が、
誰かにとっては日常だった。
その日常がある日、突然失われた時、
その写真は貴重な記録として、突然、輝きを放ち出す。
いつもと変わらぬ何気ない日常が大事と頭でわかっていても、
毎日のありがたみを感じるのはなかなか難しい。
でも非常事態が起きて、
当たり前の日常が当たり前でなくなった時、
そこに写っている当たり前の風景が貴重なものと思えてくる。
私はそんなに何度も宮城に行っているわけではないが、
今回、甚大な被害にあった石巻や鮎川や野々島の写真は、
何枚か撮って、ろくにWebにアップされないまま、
私のHDに保存されているのみ。
もしかしたらその当たり前の写真が、
誰かの貴重な思い出になるかもしれない。
写真は現実を変えることはできない。
現実をただ一部分切り取るだけで、
リアルからの制約は逃れられない。
しかし写真は、時を止めることができる。
もう二度と戻ってこない一瞬の時を、
記録として写し撮ることができる。
こうしたメールをいただけると、
本当にうれしく思い、
そして自分自身が救われたような気持ちになる。
写真をやっててよかったなって。
これからも何気ない日常や、
私にとっての非日常を、
全国各地、世界各地で写し撮っていきたい。
きっとそれが誰かの役に立つことを信じて。
※それにしても最近なんだか、
仙台や宮城方面からの連絡やらが多い。
もしかしたら私を呼んでいるのかもしれない。
旅をしていると、その土地に呼ばれている時と、
呼ばれていない時がある。
呼ばれている土地に行くといい旅になる。
私は車がないのだが、
どうにか足か手段を見つけて、
宮城方面に足を延ばしたいと思ってます。

(写真:石巻駅前)