心あたたまる話~被災地レポ
2011年 05月 17日
「みんな話したいだろうから、
店開けてコーヒー出してるんですよ~」
福島県いわき市久ノ浜の酒屋「てんぐや」さんは、
酒屋なのに来たお客さんに無料でコーヒーを出している。
しかも酒や酒のつまみを押しのけるように、
店の大半は大量の服が置かれている。
この店は一体・・・。
酒屋のある久ノ浜という地区は海岸沿いにあり、
かついわき市の北の端にあることから、
いわば震災被害の四重苦を味わっている場所だ。
四重苦とは、地震、津波、放射能、風評被害の4つである。
原発から30kmぐらいの場所。
避難区域や屋内待避区域には指定されてはいないが、
原発からあまりにも近い場所。
そのせいか、久ノ浜駅前に車を止めたが、
駅前に残っている家に人が住んでいる気配がほとんど感じられない。
区の車が倒壊した建物の火事場泥棒への警戒含め、
今日の放射線量を連呼しながら巡回しているのが、一際目立つ。
ここの酒屋は倒壊することもなく、
津波も床上浸水で済んだが、
店から50mほど先を見れば廃墟が広がっている。
津波被害で完全に街並みが失われてしまったのだ。
今回の震災で皮肉にも有名になった、
「陸前高田」「大船渡」「石巻」「気仙沼」と同様、
津波による被害で、町が壊滅的になった場所だが、
残念ながら福島の津波被害エリアはあまり報じられることはない。
なぜなら福島のニュースといえば原発ばかりだから。
商店街の大半は津波被害にあって家はなくなった。
ご近所さんも同様。
そんななか店を営業し始めた。
営業といっても酒屋としてではなく、
いわば震災後のコミュニティーセンターとして。
「津波の床上浸水で冷蔵庫もやられてしまい、
地震で棚から酒も何本も落ちてしまい、
そもそも周囲にお客さんもいないから、
酒屋としてはもう商売にならないです。
でも津波被害にあって避難所に行っている人たちが、
おしゃべりしたいってうちにわざわざタクシー乗って、
来てくれたりするんです。
久ノ浜の人は避難所ばらばらになっちゃったこともあって、
地元の人と話がしたいんですよ。
だから店を開けて、来たお客さんにコーヒー出してるんです」
そんなこともあって、私含め3名で店に行った時には、
酒屋の奥に話ができるよう、
小さなテーブルと椅子が置かれており、
手際よくコーヒーを出してくれた。
長い避難所生活のなかで、
地域の人たちがばらばらになってしまい、
家もなく、仕事もなく、先行きが不安ななか、
慣れ親しんだ人と話がしたいと思うのは当然だろう。
でもその場がない。
そんな避難者の集いの場として、
幸いにして家の倒壊を免れた酒屋がその役割を担っている。
しかしなぜ酒屋に大量の服が置いてあるのだろう?
「避難所の人とか近所の人とか、
服がないっていう人が結構多くて、
それでボランティアの方などから送っていただいた服を、
店に置いておき、来たお客さんに配っているんです」
実際、私たちが話に行った際、
何人ものお客さんが見え、
自分に合う服を探して持っていっていた。
倒壊を免れた家は一時避難はしたものの、
また住もうと考える人が徐々に戻ってきたという。
いわきからの電車は幸いにして、
震災から2ヵ月過ぎた5月14日にやっと復旧したが、
営業している店もないのでは、
結局、住むことが困難になってしまう。
そこで倒壊してしまった店や生き残った店も含め、
小学校の敷地で仮設商店街をしようと動き始めた。
ただ問題は津波被害により側溝にたまった泥。
泥をかきださないことには水があふれてしまうので、
ライフラインは復旧しても水を使えないでいる。
「それで支所にボランティアの人に20~30人ぐらい、
来てください頼んだんですよ。
でも来てくれたのは5人。
それはそれでありがたいんですが、
大人数で一斉に泥のかきだしやらないと、
店の前だけかきだしたところで、
水は流れずたまっちゃうんですよね・・・」
結局ここでも人手がいるにもかかわらず、
「ボランティアは足りている」とか、
岩手や宮城に集中して、福島にはほとんど来ないとか、
自治体がボランティアをさばききれないとか、
他の自治体に来たボランティアの人数調整の連携が、
皆無に等しいとか、さまざまな弊害によって、
ボランティアしたい人はいるのに断られ、
でも現地では足りていないというおかしな状況が続いている。
ただ冷徹な考えかもしれないが、
この地区の人たちの“本当”の支援を考えた時に、
今、側溝の泥かきをやることなのだろうかという疑念はある。
ずさんな管理が明らかになった原発に極めて近く、
しかもこの先、さらなる原発事故や放射能漏れの可能性もあり、
今後、住めなくなる可能性も高く、
仮に泥かきして住めるようになったところで、
風向きによって人体に影響がある放射線量になってしまう可能性も十分にある。
そう考えると、今、この酒屋さんの気持ちを汲んで、
泥かきをしてここで暮らせるようにすることより、
もしかしたら地区ごと、
原発から離れた別の場所への移住を勧めることの方が、
いいんじゃないかという考え方もある。
原発さえなければ、
大津波に備えた堤防を作るなり、
海沿いから高台に家を移すなりして、
ここで復旧・復興ができただろうに・・・。
原発問題があるために、復興プランが作り難いのが、
今回の震災の大きなネックとなっている。
原発とはそれほど恐ろしいものだ。
とはいえ、今、この酒屋は営業再開したことで、
津波被害で避難している人たちや、
家が残った人たちの心の拠り所になっていることは間違いない。
それは本当に素晴らしいことだと思う。
こんな状況だからこそ、商売にならなくても店を開け、
常連客や地元の人たちのためになることをしている人たちがいる。
被災地であっても、物事を後向きに考えず、
いつまでも過去ばかり見ていず、
この先の未来に向けて少しでも一歩を踏み出そうと、
今、自分たちができることをしている人たちがいる。
そういう人たちをいい形で支援できたらなと思う。
取材に一緒に来ていただいた、
いわき市の避難所運営支援をしている、
文京区のNPO法人の響きの森netの、
ボランティアリーダー加藤さんは、
酒屋さんからこの地区の足りない物資が水であると聞き、
場所によっては大量に水が余っているので、
この地区に水を手配する手はずを考え始めた。
もう1人、ボランティアに参加して、
取材同行した方は、自分に今すぐできる支援として、
帰りにここでお酒を1本買っていった。
家族そろって経営している「てんぐや」さん。
店を去る最後に「私、カメラマンなんで、よかったら、
みなさんの家族の写真を撮影して送りましょうか?」
といったら大変喜んでくれた。
プリントアウトして、できれば、
現地に行って持っていきたい。
たかが写真かもしれないけれど、
大震災が起きて思い出の記憶となる写真のありがたみって、
すごく高まっていると思う。
私にできることは限られているかもしれないけれど、
私も「てんぐや」さんのように、
できることをしていきたい。
そうした微力な力が少しずつ動き出し、
集まってくれば「復興」が早まるのではないか。
別に現地に行けなくてもいい。
多額の義援金を寄付できなくてもいい。
自分が今できることを考えて、
何でもいいから行動してみたい。