家を失った60歳の漁師さんのお話
2011年 06月 11日
5月14日に訪れた福島県いわき市の避難所の1つ、
平工業高校体育館は6月一杯で閉鎖されるという。
仮設住宅や自治体の借上住宅への引越が順調に進んだためだ。
平工業高校体育館の避難所には一時260名を越える避難者がいた。
主にいわき市の沿岸部で、
津波被害により家に住めなくなってしまった人たちが中心だった。
しかし宮城や岩手に比べて沿岸部の町がそれほど大きくなく、
いわき市内は大きな被害もなく町はすでに通常機能を取り戻していることから、
宮城や岩手と違い、順調に避難者の引越が進んだ。
結果、5月14日時点で避難所で生活しているのは約80名まで減り、
6月11日の時点でもう10名以下になったという。
私が訪れた5月14日15日にも、
避難所から仮設や借上住宅に引越しする世帯がいくつかあった。
私も取材だけでなく引越の手伝いもすることになった。
海岸部で壊滅的な被害のあった薄磯地区に住む、
単身の60歳の漁師さん。
漁師さんの家は2階建てのアパート。
家屋倒壊は免れたものの、1階部分は津波による浸水で、
めっためたになり、もはやこの建物に住めるような状況ではない。
市内の借上アパートへの入居が決まったので、
住んでいたアパートの2階部分で被害を免れた、
タンスなどの家財道具を持っていきたいとのこと。
そこで漁師さんとともに、
・避難所の運営支援を行っている東京文京区のNPO法人響きの森の方
・2週間交代で避難所支援を行っている長崎県庁の職員の方
・取材で来た私
という混成チームで引越作業をすることになった。
廃墟と化した町に残るアパート。
今にも崩れ落ちそうな階段を登り、
2階の窓から1階へタンスなどを降ろし、
トラックに積み込み、津波被害のない、
借上住宅へと運んでいった。
引越の合間、漁師さんは私に3月11日の様子を話してくれた。
「地震が来た後、海が心配ですぐに海岸を見に行ったさ。
でもすごく穏やかでの、津波は大丈夫かなと思って、
家で一服しようと休んでいたさ。
だがのう、しばらくすると海の方にものすごい波が見えた。
津波警報も普段ののんびりした感じじゃなく、
『津波だ!逃げろ!』って感じで尋常じゃなかった。
パジャマとサンダル姿で家を飛び出し、
恐さですくんでいた外で遊んでいた子供たちを、
高台の神社へ逃げろ!と誘導した。
さすがにサンダルじゃまずかろうと思って、
一度家に戻ろうかと一瞬迷ったけど、
ものすごい津波が押し寄せてくるのをみて、
わしもそのまま高台に駆け上がった。
もし家に一度戻っていたら命はなかったかもしれん」
その後、寒さに震えながら、町の高台の神社で、
他の人たちと過ごし、夜になってから、
警察と消防などの助けが来て、
海岸沿いから少し離れたゴルフ場の施設に避難することになったという。
そこで数日過ごした後、
避難所へと移ってきて2ヵ月が過ぎ、
やっと住宅への入居か決まったのだ。
不便な避難所生活から脱し、
仮設住宅や借上住宅に移れば、
それはそれで一安心と見えるかもしれないが、
問題は山積みだ。
働いている小名浜港での仕事がいつできるようになるのか。
緊急避難的に住宅に移れたものの、
ここで一生無料で暮らせるわけではなく、
いつか出ていき、自分で家賃を払って家を探さなくてはならない。
家財道具や生活用品もほとんどなく、
それも取り揃えなくてはならない。
避難所にいた時はいろんな人が支援に来たりもするし、
同じく被害にあった被災者の方との情報交換ができるが、
市内にぽつんと一人でアパートに移ってしまったら、
自ら積極的にアクションを起さない限り、
支援や情報は入ってこない。
避難所生活からの脱出は、
その人の人生の復旧にとって、
まだほんの数歩しか進んでいないのだ。
漁師さんは新しい住まいへの引越が住んで、
ほっと一安心していたものの、
「仕事もねえし、しばらくやることもねえし、
目の前にあるパチンコ屋でちょっと稼ぐか(笑)」
なんて笑って話していたが、
笑うに笑えない話だった。
もちろん本気でパチンコするわけではないが、
仕事もなく時間を持て余せば、
目の前にあるパチンコ屋にいりびたってしまう可能性は低くはない。
そうやって二重三重の被害によって、
より事態は深刻化していく・・・。
テレビなどを見ていると、
不便な避難所生活が終わり、
仮設住宅に移りさえすれば、
それで一件落着みたいな雰囲気もあるがとんでもない。
まだ何の問題も解決していないのだ。
避難所の運営支援を行っている文京区のNPO法人響きの森では、
避難所生活後の被災者アフタフォローがより重要であると考え、
避難所を出ていく際に被災者に移転先の連絡先を聞き、
避難所閉鎖後も東京から電話連絡するなどして、
被災者支援を行っていこうとしている。
震災から3ヵ月。
まだまだ道のりは長い。
避難所生活が終わったとしてもだ。
まだまだいろんな支援の形が必要とされている。
被災地レポ&写真目次
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