ボランティアの涙と被災者の憤り
2011年 06月 21日
おれははっきりいって、はらわた煮えくり返ってんだよ!
福島県いわき市の平工業高校避難所閉鎖の最後の日。
この避難所にかかわったボランティアの方や、
自治体の方など約30人が、
避難所となっている合宿所1階に集まり、
お酒を飲みながら情報交換を行っていた。
そこには最後まで残った被災された方2人と、
すでに借上住宅に移った、私がたまたま1ヶ月前に引越しを手伝った、
津波被害で家に住めなくなった60歳の単身の漁師さんもいた。
ボランティアが一人一人自己紹介した。
やたら話が長い人が多く、
とにかくみんな話したくて話したくて、
仕方がないんだなって感じだった。
そんななかで私ですらうるっと涙を流しそうになった、
“感動的”なスピーチをしたのが、
いわき市のある職員さんだった。
いわき市職員の震災対応のひどさは、
被災者からもボランティアの方からも、
1にも2にも出てくる話で何度となく聞いた。
ひどい原因となったのが避難所の担当を輪番制にしたことだ。
今日はAさんが来ます。明日はBさんが来ます。明後日はCさんが来ます。
そんなわけで毎日代わる代わる職員が来るから、
避難所に来た市の職員は、その避難所の状況をまったくわからず、
逆に被災者やボランティアの方に、
「食糧はどこにあるんですか?」「トイレはどこですか?」
と聞く始末。
ある被災者の方は、
「私らの方が避難所のことわかっていて、
日替わりの市職員にわざわざこっちが教えなきゃいけないって、
どっちが支援してるんだからわからない!」
と怒りをぶちまけていた。
しかも皮肉なことにいわき市のこの避難所では、
支援に来ていた長崎県の県や市の職員たちが、
絶大な信頼と高い評価をされていた。
彼らは3名2週間泊まりこみ体制で避難所支援を行っていた。
そのため地元の市職員より長崎県の職員の方が、
避難所に詳しく頼りになるという、
おかしな状況が現出していた。
ただいわき市のひどい輪番制が解除され、
夜勤は輪番だが日勤はほぼ固定の担当制になったらしい。
スピーチしたのはこの避難所の担当になって、
毎日日勤で通っていたいわき市の職員さん。
この人の評価だけは非常に高い。
なぜならほぼ毎日のようにいてくれて、
いろいろ手助けをしてくれたからだ。
私も話をしたが実に感じのいい人だった。
その職員が感極まって涙ながらに、
3人いる被災者の方に向けて、
「本当にご苦労をおかけしてしまい、
心からお詫びいたします。
この先も何か困ったことがありましたら、
何なりといってください」
といったような話をした。
この避難所に一番尽くした職員が、
市のふがいない対応であったことを素直に認め、
涙ながらに謝る様子は、
私も思わずうるっとしてしまったほどだ。
聞いているボランティアの方の多くも、
職員さんのスピーチにもらい泣きしていた。
ところがである。
スピーチが終わった後に、
避難所生活を送った60歳の漁師さんは、
「部屋の中ではうるさいから」といって、
外に行き、私にいきなり怒りをぶちまけたのだった。
「おめえらボランティアは市の職員の話に涙流して聞いてたけどな、
おれははっきりいって、はらわた煮えくり返ってんだよ!
避難所に来た時、1日目は26人でおにぎり1個。
2日目は26人でおにぎり4個。
そんな対応しかできなかった市に対して、
今さら謝られて感動するか?
おめえさん、カメラマンだけじゃなくって、
記事も書くんだって。
なぜおいらに昼間話を聞いていた時、
その話、質問しなかった?
はっきりいって市に対して怒りしかない。
謝られて涙流す話じゃないべ?」
その時、私は思った。
こんなにもボランティアと被災者の気持ちには開きがあるんだと。
ボランティアに来ていた人だって、
避難所に泊まりこんで支援している人もいる。
市の対応が悪いことはよく知っている。
でもだからといって対応がよかった市の職員さんに対して、
そこまでのことは思わないというよりむしろ、
感動して涙を流すぐらいだ。
しかしそれを心良く思っていない被災者の方もいる。
もちろんいろんな考え方があり、
いろんな言い分があり、いろんな想いがある。
市だって混乱していただろうし、
市の職員だって被災はしていた。
でもやっぱり、災害があった時に、
地元の職員よりも長崎県の人の方が頼りになるとか、
東京から来たボランティアの人の方が頼りになるとか、
なぜそんなことになるんだって、
私だってはじめ不思議に思ったくらいだから、
なおのこと被災者の方は憤りを持ってみていたのだろう。
避難所が終わったから、
これで感動のフィナーレだなんて思ってほしくない。
おいらは今、一人、寂しく借上住宅のアパートに住んでいるんだ。
船は流され、仕事もなく、
年金暮らしで細々と暮らしているのに、
涙なんか出るか、という考え方は最もだが、
市の職員のスピーチを聞いて、
そんな風に受け取る人がいるなんて、
ボランティアの方は誰も思わないだろう。
私ももちろん思わなかった。
心の闇は深い。
もちろん不条理な自然災害にあい、
東電や政府や自治体など、
わかりやすい敵を作ることで、
自分の精神のバランスをとるのは、
心の防御本能であるのかもしれない。
でもそう思わなくっちゃやっていけないほど、
今まで築き上げた生活がゼロになってしまう、
いやマイナスになってしまうという現実に、
避難所を出てリアルに感じているのかもしれない。
ボランティアが気をつけなければならないこと。
それは話を聞いて被災者の気持ちをわかった風に、
ふるまわないことなのではないか。
あくまで我々は外部の人間であって、
一部分でしか支援をしていないということを理解した上で、
彼らに向き合わなきゃいけないんじゃないかと思った。
・家を失った60歳の漁師さんのお話
http://kasakoblog.exblog.jp/14935404/
・悩めるボランティアの実態
http://kasakoblog.exblog.jp/14982915/