「被災者がボランティアをレイプ」なんて事件を起こさないために~被災者への同情と勘違い
2011年 06月 22日
すごく難しい問題だと思う。
そんなことを感じた出来事を現地での取材から1つ。
私が取材に訪れた福島県いわき市の避難所は、
6月19日で閉鎖となり、一時期260名いた避難者は、
すべて仮設住宅なり借上住宅なり親戚の家なりに住むことができた。
しかしそれで単純には喜べない。
2~3ヵ月にも及ぶ長い集団生活が終わり、
急にぽつんと1人で取り残され、
家も仕事も家族もいない状況のなか、
現実の生活に直面することになり、
今まで以上に不安を抱えることになるからだ。
自殺者が出てもおかしくはない状況だ。
そうしたなか、避難所後の被災者支援が重要であるとの認識は広がりつつあり、
ボランティアの支援形態も変わりつつある。
避難所で集団を相手に何かを行うのではなく、
個別宅を訪問し、不安や悩みを聞いてあげる、
といった支援も必要になる。
特に単身の人はあやうい。
避難所から借上住宅に移った、
一人身の60歳の男性もその一人。
さみしいのか、いつでもみんなが遊びに来れるようにと、
「タモ網を吊るしているところがおいらの家だから!」
とみんなにわかるようにベランダに網を吊るし、
家に一人でいる時はみんなが遊びに来やすいよう、
窓もドアも開けっぱなしにしているのだという。
また8畳1間の1Kで狭い部屋内に、
人が来ても座れる場所があるようにと、
窓側に置いた家具をよけて、
自分が座る両脇にタンスを置き、
スペースを開けたという。
先日、合同葬儀の後、
私と女性ボランティアで、その方をアパートまで送っていった。
「10分ぐらい寄ってくべ」と言われて、
家にお邪魔すると、とめどなく話が続き、
2時間ぐらいはそこにいることになった。
よっぽど寂しいのだろう。
彼の家を出た後、独身30代の女性ボランティアの方と、
「やっぱりすごい寂しいんだね」って話をしていると、
彼女がこうつぶやいた。
「寂しいだろうから時々、家に遊びに行ってあげようかな」
「でも他のボランティアの一緒に行くのはともかく、
一人で家に遊びに行くのはまずいんじゃない?」
と私が言うと彼女はきょとんとした様子でこう切り替えしてきた。
「えっ、なんで、一人で行っちゃいけないの?」
相手は一人やもめの60歳の独身男性。
避難所生活でいつも以上に寂しさが倍加している。
今、誰かいればわらをもすがりたい気持ちだろう。
人肌ふれたいって気持ちもある。
単純に性欲がたまっていたっておかしくはない。
そこに「ボランティア」とはいえ、
いくらなんでも独身の若い女性が一人で遊びに行くのは、
相手を勘違いさせ、あらぬ間違いを起こす原因になるのではないか。
行くのなら複数人で行くべきではないかと話すと、
「いや、でも相手は60歳のおじいちゃんだから大丈夫じゃない?」
というので、今の認識は60歳の男性すべてを敵に回したのではないか、
なんて思いつつ、
「今の60歳は若いし、そもそも年齢の問題じゃなく、
独身男性の家に若い独身女性がのこのこ一人で遊びに行くのは、
その気がないならボランティアとはいえマナー違反じゃないの?」と話した。
そう私が思ったのは彼の話から、
女性を意識する発言が相次いでいたからだ。
「若い女性の隣に座ったのなんて何年ぶりかな」とか、
「若い女性が来た時はドアあけるのがマナーだから」といって、
クーラーかけているのに玄関のドアを開けていたりしたのを見て、
相当女性恋しいんだろうし、相当たまってんのかなと思った。
しかも家で仕事もないから、ぐびぐび酒を飲んでいる。
「おいらと結婚してオーストラリア旅行に行こう!」
なんて言葉もかけていた。
酒の勢いにまかせた冗談とはいえ、
やっぱり一人身じゃ寂しいし、
そこに親身になって話を聞いてくれる若い女性がいれば、
欲望を感じない方が不自然とさえいえる。
さらにこれはあまり良くないのではないか、
と思ったのは彼女がその男性と、
個人的に携帯電話番号を交換しあってしまったことだ。
ボランティアの立場として、あなたを支援しますというスタンスなら、
きちんと所属しているボランティアの名刺を出せば、
相手もボランティアとして構ってくれるということは理解できるだろうが、
個人的に女性の方から電話番号を交換してしまえば、
女性の方は「ボランティアとしてかわいそうな被災者を助けてあげる」
という感覚でいるのかもしれないが、
被災者からすれば「ボランティアとしてでなく、
個人的につきあってくれるのかな」と勘違いしても仕方がない。
そんな状況でのこのこ1人で女性が行けば、間違いが起こる可能性はあるだろう。
もしそんな事件が起きて、
「被災者がボランティアをレイプ!」なんてニュースになったら、
大々的に世間の注目を集め、大変な騒ぎになるだろう。
被災者支援のはずが被災者を犯罪者に誘発する行為にすらなりかねない。
ある避難所支援の東京の男性ボランティアは、
被災者から乞われてアダルトDVDを配布しているという。
「やっぱり長い避難所生活だから、たまるもんはたまるし、
意外とこうした支援物資のニーズって高いんです」と。
しかし一部のボランティアは被災者に対して、
どこにでもいる欲望もある人間として接するのではなく、
「とってもかわいそうな人」という同情心で接してしまう。
いやもっと言えば「上から目線」で見てしまう。
とってもかわいそうな、無力な何もできない人だから、
何かしてあげなくちゃいけない。
その想いが日常でのあるべき線引きを超えて、
一歩踏み込んだことまでしてしまう。
しかし被災者は別にそんな風には思わない。
なぜならたまたま今回震災にあって家や仕事をなくしただけで、
別にそれまでは若いボランティアなんかより、
いい生活をしていた「上」の人なのだから、
ボランティアから下に見られるという意識はない。
その意識のギャップに間違いや傷つきが起きるのだろう。
先日、NHK教育テレビで被災地ボランティアの特集をやっていた。
神戸で自らも被災し、今回の震災では、
避難所に泊りこんで運営支援を行っている肝っ玉かあさんみたいな人が、
初めて来る若い女性ボランティアにこう諭すシーンがあった。
「あんたら、被災者をかわいそうとか下に見たら絶対にあかんで。
今回はたまたま震災にあい、被災者はみすぼらしい服装して、
食事を恵んでもらう立場にあるけどな、
震災が起きる前は若いあんたらなんかより資産もあるし、
いい生活していたんや。
だからな、年下でろくに金もないあんたらに、
本当は恵んでなんかもらいたくないって気持ちもプライドもあるはず。
そこに本来、立場が下であるはずの人間が、
かわいそうだから助けてあげますって態度とられたら、
ムカッとくることもあるんやで」
なるほどなと思った。
確かに言われてみればそうだ。
しかしどうしてもボランティアはこう考えてしまう。
「被災者はは家もなく仕事もなくかわいそうな人」
「そんなかわいそうな人がいるのに、
私は東京で何不自由なく暮らしていてはいけない」
「かわいそうな彼らに何かしてあげなくては」
そういう焦った想いが、人と人とのつきあいのマナーを忘れ、
一人で家に遊びに行ってしまうような行動をしてしまうのだろう。
避難所を出た後の被災者支援は重要だ。
しかしボランティアはボランティアでしかない。
所詮、遠くからたまに来るだけの、外部の人間でしかない。
もちろんそういう人たちが、
いつまでも気にかけてくれるのはうれしいだろうが、
一線を越えた行動をすれば、互いの意識のギャップから、
思わぬトラブルになる可能性もないとは言えない。
被災地に行けば行くほど、
被災地はボランティアなしではやっていけない現状を目の当たりにする。
しかしその多くのボランティアは、
災害ボランティアのプロでもない普通の人だ。
もしかしたらさまざまな未来の災害に備えて、
ボランティアの心得みたいなことを、
防災訓練のように国民に訓練する必要があるのかもしれない、
なんてことも思ったりした。
もちろんボランティアのあり方については、
ケースバイケースだろうし、
何が正解で何が不正解かってことがないだけに、
ボランティアが被災者とどう接するかは非常に難しいが、
過度な同情心を持つのは禁物ではないかとは思っている。
とにかく震災ショックで、
被災者もボランティアも心のバランスを崩している。
しかも避難所や仮設住宅という、
非日常的なある種の極限状態に置かれており、
マスコミで報道されるような美談だけではなく、
現場では人間のドロドロした欲望や不満にからんだ、
トラブルや事件も今後起きる可能性は高いと思う。
・昨日はこの記事もアップしました!
「ボランティアの涙と被災者の憤り」
http://kasakoblog.exblog.jp/14992713/