
東京から来た知らない人たちに、
すぐになついて好意をふりまき、
自分の味方を増やそうと、
必死になってビーズやおもちゃをくれる女の子が避難所に1人いた。
はじめは1個。
それからもう1個。
さらにもう1個・・・。
どんどん、どんどんビーズをあげていく。
自分との信頼の証を確かめたいかのように。
でもみんなに気をふりまくわりに、
特定の誰かとは仲良くならないよう、
警戒している?注意している?そんな感じもある。
他の子どもたちがみんな仲良く遊んでいるのに、
一人だけ輪に入らず、
東京から来たボランティアの大人たちばかりに、
おもちゃをあげてはまとわりついてみたりする。
何かあったのだろうか?
とても心配になる、
とても気に掛かる女の子だった。
笑顔があまりに無邪気であどけないだけに、
余計に心配になる女の子だった。
もしかしてその笑顔は、
周囲にこびをうるための笑顔で、
何かこう心の闇みたいなものがあるんじゃないかって。
写真を撮ってってせがんだ。
いっぱいいっぱい撮った。
200枚ぐらい撮った。
スライドショーにして見せたら、
「動く!」って喜んだ。
何かエネルギーがあまって、
その力を持て余してるのかなって思って、
「よし、一緒に走るか!」なんていったら、
「走らない」なんていって、
でもその辺を力を持て余し、走り回っている。
私の考え過ぎなのかもしれない。
別に単に複雑なお年頃なだけなのかもしれない。
でも彼女が明るくふるまえばふるまうほど、
何か底知れぬ闇があるんじゃないかって、
気になって仕方がなかった。
彼女の写真をプリントアウトして、
渡そうって思って再訪したけど、
見かけることはなかった。
どうしてるのかな?
また会えるかもしれないチャンスがもう1回めぐってきた。
もう1回会ったところで彼女のことは何もわからないかもしれない。
ただ彼女が存在するって証が、
写真に写し撮られている。
写真を撮るって基本的に、
その存在を肯定してあげる作業だと思っている。
そこに確かにあなたがいる。
自分自身の存在を疑っている。
自分なんかこの世にいらないんじゃないかって思っている。
自分は社会でやっかいものだと思っている。
自分は何の役に立たない人間だと思っている。
でもそうじゃないんだよって言ってあげたい。
でも言ってあげてもわからない。
だから写真を撮って肯定してあげたい。
もともとこの世に必要とされない人間なんていない。
でも自分を肯定してもらえないから、
どこかで道を踏み外し、おかしなことになってしまう。
あなたはこの世界に生きていて、
社会に必要とされる大事な存在。
そんなことを言いたくて写真を撮る。
そして見せて、写真をあげる。
自分で自分を見る機会なんてない。
しかも何十枚も。
でもね、でもね、
あなたはバーチャルな存在じゃなく、
リアルに存在している一人の人間。
そんなに無理に愛想ふりむかなくてもいいんだよ。
そんなに無理しておもちゃをあげまわらなくていいんだよ。
そんなに無理して笑顔ふりまかなくていいんだよ。
みんな、君のこと、ちゃんと見てるし、
みんな、君のこと、好きだと思ってる。
だから自分に自信がないことから、
無理に何かしなくたっていいの。
あなたはこの世に存在し、
自分の人生を幸せに楽しく生きればいい。
そんなメッセージをあなたに伝えたい。
だからあなたの写真を撮りました。
あなたの存在を肯定してあげたかったから。