華やかな避難所祭の表と裏~原発被災地の深刻度
2011年 07月 30日
なんて素晴らしいお祭りなんだろう!
南相馬の避難所祭りをモデルに、
他の被災地でも同様のイベントを開催すれば喜ばれるのではないか。
そんな風に思っていた矢先に、
「これは仮の姿ですよ」と地元の人から言われ、
原発被災地の問題の深刻さに気づかされた…・・・。
2011年7月24日、福島県南相馬市で避難所となっている、
原町二中のグラウンドでは、
朝10時から夜21時までお祭りが行われていた。
原発20km圏内のために、
立ち入りができない小高地区で、
毎年行われている火祭りを再現しようと、
避難所となっている学校での祭りが決まった。
しかし単に例年行われている祭りの縮小版では意味がない。
震災が起きたこともふまえて、祭りにいろんな意味が加わった。
・まだ避難所で生活している100人あまりの被災者のための楽しみ
・今まで南相馬の支援を行ってくれたボランティアを再び集めて、
避難所の人たちとボランティアの人たちのつながりを深める
・避難所を出て仮設住宅に移ってしまった人のための、
物資配布の会をかねる
・原発爆発で一度南相馬から離れてしまった人を、
呼び寄せるための1つのきっかけ
そういったさまざまな要素が複合した祭りだった。
こんな素晴らしい祭りはない。
私が何度も取材している被災地、福島のいわき市でも、
こんなイベントができたらいいと考えていた、
いわば理想形が目の前に広がっていた。
しかもこの祭りは市や県も協力的。
原町二中の避難所運営を行っているのは、
南相馬市の税務署職員が中心で、
いわき市の市職員とはまったく違い、
実に献身的に避難所運営を行っていた。
開会の挨拶には今回の震災で、
一躍有名になった桜井市長も来るほど。
市や県が協力的でなく、
ボランティア主催になりがちな企画が、
被災者もボランティアも行政も一体となってできるなんて、
とてもいいイベントだと私は思っていた。
ここが世界を騒がせ、日本全土を汚染しつくした災厄、
福島原発から20~30kmしか離れていないなんて信じられない。
しかし見た目の“平和さ”とは裏腹に、
ここに来ている人たちの心の陰は、
あまりにも大きかった・・・・・・。
祭りに出店していた地元の青年会議所の一人と話す機会を得た。
「このお祭りは、放射能問題のせいで復興が遅れている、
南相馬市の人たちが心のなごむきっかけとなり、
これから復興に向けた力を出すきっかけとなればと思っています」
素晴らしい祭りにふさわしい模範回答ともいうべき受け答えだった。
ほんとそう。
こうやっていろんな人が集まる機会があれば、
そこで人と人とがつながり、
また新たな力になっていくんじゃないかと。
「お話聞かせていただきありがとうござました」と、
次の出店者の取材に移ろうかと思ったところ、
立ち去ろうとする私を引き止めるように、彼はこう付け加えた。
「でもね、かさこさん、この祭りは、
南相馬の仮の姿にしか過ぎないですよ」
「仮の姿?!」
彼は「お祭りは復興のきっかけになる」という、
表向きの“きれいな”答えとは別に、
本音ベースではまったく違うことを考えているようだった。
「私個人のややネガティブな考えかもしれませんが、
祭りは一時的な息抜きにしか過ぎず、
抜本的な復興とは程遠いものです。
本来ならこの南相馬市にいる全住民をただちに避難し、
どこか別の町に住民大移動を行うべき。
私は今でもそう思っているんです」
彼が住んでいるのは原発から20~30km圏内。
彼の実家は原発20km圏内にある。
地元志向が根強そうな人が、
この地も避難区域に指定して、
町ごと別の場所に移った方がいいというのはなぜなのか。
「南相馬の放射線量は今は確かに低いです。
でもこの先、原発から近いため、
危険な状況になるかもしれないとも言われている。
ようは危険か危険じゃないかわからない場所なんです。
そんな場所を復興して、今まで通り、
何の不安もなく暮らせますか?
そんなの無理です。
すでに住民は半減し、学校の再開は難しく、
病院も機能していない状態。
そんな場所で暮らすなんて無理です。
米国の言うように原発から50マイルは一律避難エリアに指定し、
政府主導で住民大移動をすべきです」
彼はあくまで淡々と冷静に語っていた。
でも心の中では憤りや不満が渦巻いている。
「ガイガーカウンターすら住民に配られていない。
それで危なくなったら避難しろと言われたって、
いつ危険なのかもわかりようがない。
南相馬に中央政府直轄の放射能対策組織を置き、
放射能の科学的調査をすべきなんです。
でも結局は電力会社の都合や地域経済を優先し、
経済合理性判断と行政判断によって、
住民はこのまま住んで大丈夫なのか、
それとも本当はすぐにでも逃げた方がいいのかわからないまま、
どっちつかずの状態に縛りつけられてしまっているんです」
福島の被災地に取材に行くと、
必ずといっていいほど下記のような言葉を聞く。
「宮城や岩手は福島よりいい。
放射能の問題をそんなに考えなくていいから。
メディアにも取り上げられ、ボランティアもいっぱいくるから。
でも福島には地震、津波被害だけでなく、
放射能の問題がつきまとっている。
簡単に復旧・復興なんて言えない」と。
避難所の学校の目の前にあるモスバーガーやうどん屋は、
営業を再開しており、
コンビニエンスストアもビジネスホテルも営業を再開している。
しかも放射線量は今のところ低く、
海岸部の壊滅的なエリアに行かずに町にいれば、
震災などない普通の平和な町に見える。
そこで行われる祭りも素晴らしいものに見えるが、
ここで暮らす人々の葛藤、心の闇は、
生半可なもんではないことに気づかされた。
地震被害や津波被害は甚大だったが、
何よりも原発被害は、
人々の人生を180度狂わせてしまう、
とてつもない破壊力を持つ。
素晴らしいお祭りの光の影に、
とてつもない深い心の闇が広がっていた。
原発被災地の復興は恐ろしいほど複雑な問題を抱えている。
政府が思い切った判断をしてくれればいいが、
被災者任せの生殺し状態を強いているのが現状だった。
・被災地レポ&写真
http://www.kasako.com/110311top.html