ジャンケンだって被災地支援!~南相馬レポート
2011年 08月 05日

トイレ行く暇すらなく、ずっとジャンケンして疲れちゃいましたよ!
でもそんなことでも被災地の役に立てるって、はじめて知りました。
自分にもできることあるんだなって。
南相馬市の避難所で2011年7月24日に行われた避難所祭りでのこと。
昨日の日記で紹介した、
被災企業でもあるADワールドの平澤潤子社長と、
その新入社員、庄子君は、
このお祭りに出店するために、
私と建築家の高崎さんとともに、東京から避難所に来ていた。
庄子君は3.11の時に愛知にいた。
だから東京にいる人ほど、
地震の大きさや地震による混乱は実感してないという。
しかも被災地に行くのもはじめて。
「被災地に行って自分は何をするのだろう?」と、
ちょっと不安に思いながら、平澤社長とともに同行していた。
ADワールドは、このお祭りでは、
ボールすくいと景品をあげるジャンケン大会の出店を出していた。

これが大盛況だった。
子供たちがひっきりなりに訪れる。
お祭りの出店は食べ物関係ばかりで、
子供向けの店が少なかったからだ。
庄子君とADワールドのもう1人若手社員小野君とで、
大挙して押し寄せる子供たちと、
ひたすらジャンケンを行い、
勝った人に景品をあげるという作業をずっとしていた。
「ねえ、もう1回、ジャンケンしてもいい?!」
と子供たちは何度も何度も並ぶ。
お祭りはみなボランティアだからお金はとらないから、
もちろん何度でもできる。
そんなわけで夏の炎天下の校庭で、
彼は何時間も子供たちとジャンケンをしていた。
「ちょっとトイレ行こうにも行けないし、
ちょっと休んで食事でもしようものなら、
早くジャンケン!とせがまれる。もう大変でしたよ~」
と言いながら、庄子君はとってもうれしそうな顔をしていた。
「被災地の避難所に自分なんかがいっていいのだろうかとか、
何もしてあげられないけどどうなんだろうとか、
行く前にいろいろ考えていたけど、
ジャンケンするだけでも被災地のためになるんですね。
そんなこと、思いもしなかったけど、来てみて実感しました。
自分が何かの役に立ててうれしい」と、
ちょっと涙をうるませながら、
感慨深げに語っていたのがとても印象的だった。
被災地に行くなんて迷惑だ。
自分は何もできない。
災害ボランティアの専門家とか、
医療の専門家しか行くべきではない。
なんかそんなおかしな言説が常識化され、
それが被災地に行かない「言い訳」として利用されたり、
被災地に行きたいと思っている人を遠ざける要因になっていた。
でも一度被災地に行けばわかる。
いくらでもやることはある。
どんなことだって役立つ。
たいした技能や知識がなくたってできることはたくさんある。
行けばいいんです。
行くだけで、被災者の方から話を聞くだけだって、
子供のお守りをするだけだって、
それはとてつもない支援になる。
私は私の技能を活かして、
別に金になる仕事のためというのではなく、
興味があるから自費で勝手に行く、
いわば“ボランティア”として、
何度も被災地を訪れている。
(結果あとから仕事になったりはしているけど)
でも行くきっかけがなかなかなくて、
行きたいけど行けないという人もいるし、
行っても現地で何をしたらいいかわからないという人もいる。
そんなわけでこの土日は福島のいわき市に、
4人を連れて被災地に行ってきます。
1000年に1度の危機にもかかわらず、
自分では何も行動せず、人をねたんでばかりで、
口先ばかりでああだこうだ人の批判をする人間もいるが、
100の言葉より1の行動でしょう。
目の前に困っている人がいる。
未曾有の大災害が起きた。
その現場を見ないで、そこに行かないで、
一体何を語れるのだろう?
もちろん家族や仕事の事情で、
行きたくても行けない人も多いと思うし、
そういう人は仕方ないけど、
物理的に行ける条件にある人なら、
物見遊山でいいから現場を見に行ったらいい。
そしてもし何か手伝えることがあるなら手伝ったらいい。
そんなわけで今回は被災地の取材をかねつつ、
今まで被災地に行ったことのない方々を連れていくのも、
私の今回の大きな目的。
一人でも多くの人にテレビではなく、
現場に立ち、被災された方の生の声を聞いてほしい。
3月末からいわき市の避難所支援を行っていた、
東京のNPO法人・響きの森netのメンバーの1人、
上田泰正さんは、被災地に行って人生が変わったという。
「炊き出しするぐらいのつもりで、
4月はじめに避難所に行った。
そこでたまたま被災者の方から、
家に残っている思い出の品を探したいから、
車が流されてないので津波被害のあった場所に、
連れて行ってほしいと言われた。
まさか津波被害の場所に行くことになるとは思ってもいなくて、
でもその被災者の方と一緒に行き、
家が完全に流されてしまったため、
家の場所を探し、瓦礫の山から思い出の品を探そうと、
自分の手で瓦礫をどかしはじめた時、
自分の中で何かが変わった。
自分でも役に立てることあるんだ。
テレビでは見ていたけど、
こんなひどい惨状にあった人たちに対して、
何もしないで見捨てるなんてできない」と。

4月に比べれば今はもう、
だいぶ瓦礫は片付いている地区が多い。
それでもやっぱり現場に行くと違うと思う。
そんなわけで土日はまた福島のいわき市に行ってきます。
・被災地レポ&写真
http://www.kasako.com/110311top.html