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3度目の“原爆”が落とされた第2の敗戦~3.11と8.15

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2011.4.20。
私は震災により町が壊滅した宮城県石巻市を訪れた。
町が完全に壊滅していた。
かつて何度か通りがかっていた町がなくなっていた。

テレビでもさんざん見ていた光景のせいか、
シャッターを押すのを躊躇したとか、
涙が流れてきて止まらなかったとか、
そんな感傷的な思いはまったくなかった。

ただ私はこの光景を心に目に刻まなければならないという想いがあった。
この景色から逃げてはいけないと思った。
この景色に目を背けることは、現実から目を背けることだと思った。
現実から目をそらして、一体、どう問題を解決できるのか。
私は見なければならないと思った。
記録しなければならないと思った。
そして何より、自分がこの地に立ち、自分の肌で惨状を感じることが、
この先の自分の人生や日本の社会を考える上で、
重要なことだと思った。

人は悲しいかな、記憶は風化していくし、
景色に見慣れて何も感じなくなってしまうから。

1945.8.15。
日本は、日本人は、この日を境に、
今までの常識を180度転換し、
路線転換をして蘇生・繁栄した。

それは広島、長崎に原爆を落とされたことが、
大きく影響しているに違いない。
負けが目に見えていたところで、
多大な犠牲が続くとわかっていながら、
未だに戦争を続けようとしていた方向に、
完全にピリオドを打った。

もうこのままではダメだ。
もう今までのやり方では通用しない。
負けを認めて生きる方向を抜本的に転換し、
新たな社会づくりをしなくてはと。

2011.3.11。
地震、津波、そして日本に3度目の“原爆”が落とされた、
福島原発の爆発と全国への放射性物質の飛散。
2011.3.11は1945.8.15と同じぐらいの意味を持つものだと私は捉えている。

もう今までのやり方では通用しない。
抜本的に社会の方向性を変えなくてはならない。
そのぐらい重要な転機となる大惨事だったはずだ。

しかしそう思っていない人も多い。
どこか遠くで起きた地震と津波。
避難者だってたかが40万人/1億人ぐらいにしか、
思っていないのだろう。
原発だって福島しか関係ないと思い込んでいる。

でも3.11が起きなくても、
とっくに日本は変わるべきだった。
1989年のバブル絶頂から、
その後の急落によるバブルの崩壊により、
戦後日本の発展モデルは完全に終わった。
「失われた20年」ともいわれるように、
バブル崩壊後から日本の社会・経済はおかしくなった。

どこかで方向転換をしなければならなかった。
今までのやり方を抜本的に見直すべきだった。
サッカー日本代表岡田元監督の言葉を借りれば、
「レンガを上に積むのではなく横に積む時期が来た」のだ。

しかし変わらなかった。
税金をふんだくっては、必要なところに金は回さず、
金をバラまいて景気を良くしようという、
意味のないことをこの20年さんざん繰り返してきた。

結果、医療・年金・教育などの金は減らされ、
借金だけが積みあがり、
税金をふんだくっていい思いをした連中だけが、
政界・財界・官界・学界のトップに居座り続けてきた。

そして原発爆発。
その被害は福島にとどまらず、広範囲に及んでいる。
にもかかわらず、決まって口にするのは、
「微量だから問題ない」というとんでもない答え。

微量だから問題ないという輩は、
足し算という概念を知らないのだ。

大気中の放射線量が増えました。
これまでの2~3倍はあります。
でもただちに人体に影響を与えるものではありません。

食品から放射性物質が検出されました。
これまでの2~3倍はあります。
でもただちに人体に影響を与えるものではありません。

あらゆるものが2~3倍に増えたらどうなるか。
汚染とは足し算だ。
1つ1つが基準値以下なら安全だという話ではない。

汚染の足し算については、武田邦彦氏のブログがわかりやすい。

【普通の時】 
空気:0
水:0
内部:0
ホウレンソウ:10
小松菜:0
大根:0
牛乳:0
こうなご:0
合計:10

となりますから、ホウレンソウは規制値以下なら大丈夫です.
ところが、「環境が汚染されているとき」(時期は1年ぐらい)は、状態が違います.

【汚染時】
空気:10
水:2
内部:10
ホウレンソウ:10
小松菜:3
大根:1
牛乳:5
こうなご:10
合計:51

となります。つまり一つ一つは「規制値内」でも「足し算」をしなければなりません。
少し前に「かけ算のできない東大教授」と書きましたが、
先日の東電の魚汚染の発表は「足し算のできない東電」ということです。
むやみに怖がる必要はありませんが、ここ半年ぐらいは、
「基準値以下でも、できるだけ被曝を避ける生活」が大切です.
個人の事情、体力などに合わせて、
できる範囲で被曝を減らすこと、これが放射線防御の基本です.
http://takedanet.com/2011/04/post_b463.html

この足し算の原理がわかれば、
単体のあるものが通常より増えているが、
規制値以下だから大丈夫という論理はまったく通じないことがわかる。
しかしこれまでのやり方を変えたくない連中は、
足し算することに目をつぶり、
今まで通りの成功モデルを維持するために、
こうした危険性には言及せず、
原発がないと電力不足で大変になると、
未だに脅し続けている。
福島原発がない東京電力圏内では、
こんなにも暑いのに電力不足どころか、
東北電力や関西電力に融通しているにもかかわらず。

かつて米ソ冷戦の緊張が続いていた時代、
第三次世界大戦が起きるかもしれないとも言われていた時代に、
「人類が滅亡するのは核兵器戦争か環境破壊か」という文章に出会ったことがある。
その文章は、核兵器より環境破壊で、
人類が滅亡する可能性が高いと主張していた。

なぜなら、核兵器戦争は、明らかに甚大な被害が目に見えているから、
そんなバカなことは誰もしない。
しかし環境破壊による汚染は、
核兵器のように一発落とされたらすぐ被害が出るといった性質のものではなく、
何十年もかけれ徐々に徐々に被害が拡大していく、
目に見えづらく長期的に影響を及ぼすものに人は弱いからだと。

長崎、広島に原爆が落とされて進路を正した日本も、
原発爆発という何十年もかかる環境汚染、人体汚染については、
楽観視しているからこそ、社会を変えることができないのだろう。

しかしここで間違ってはいけないのは、
3.11が単に原発維持か脱原発かという選択だけではないということだ。
原発うんぬんだけでなく、
社会のあり方を根本的に変えなくてはいけない。

具体的には、
GDP至上主義、GDP成長率至上主義、売上至上主義、右肩上がり至上主義だ。

ある出版社の社長がこう言った。
「私には対前年比売上という意味がわからなくて会社を辞めて、
独立して会社を設立した。
昨年より売上を上げ続けなければならない、
というのは私にとってまったく意味がわからない」

数字を増やすことだけに傾注してきた経済。
見かけ上、景気がよければ幸せだという思い込みをしてきた社会。
景気をよくするためには税金をバラまいてもいいと、
未だに思い込んでいる政官財。

もはや右肩上がりの経済成長はできないし、
意味がないし、人々に幸せはもたらさない。
にもかかわらず、過去の成功モデルにこだわり続け、
ひたすらカンフル剤を打って、右肩上がりさせようとしている。
だからカンフル剤という麻薬を買うための金がかさんで、
病気はよくならないのに借金だけが増えるという社会が現出した。

機を同じくして世界経済も大きな変革期を迎えている。
米国債格下げとはドル基軸通貨の終焉の始まりだ。
ドルが基軸通貨でなくなったら、
世界経済の価値観は180度変わるといっても過言ではないだろう。
これまでの常識が通用しなくなるのだ。

そうしたマクロな話はともかくとしても、
3.11を一人一人がどう受け止めているのか。

今まで必死に積み上げてきたものが、
あっさりと崩れ去っていった3.11。
それは東北だけでなく日本全国で同様のことが、
ここ数年の間に間違いなく起きる。

自分の身に降りかからないとわからないのだろうか?
日本は変わった。世界は変わった。
新しい生き方を模索しなければならない。
にもかかわらず、未だ従来の常識に捉われ続けている。

私は東京にいて、長い揺れを感じただけで、
何か大きな被害があったわけでもないし、
親族や知人が亡くなったわけでもない。
それでも3.11を契機に、
今まで漠然と思っていた、
「もうそろそろ社会が変わらなければ、
このままでは息詰まって崩壊してしまう」
という想いをさらに強く認識することになったのは間違いない。

3.11後の翌週。
なぜ会社に行かなければならないのか、
私にはさっぱりわからなかった。
電話も通じない。でもメールは通じる。
電車の本数は1/10。行くのに数時間かかる。
でも家にいても仕事はできる。
原発が爆発した。余震が頻発している。
にもかかわらずなぜ会社に行かなくてはならないのか、
私には理解できなかった。

それはまるで「玉砕」に似ている。
誰もトクしない、勝ち目のないとわかっている戦いに挑む。
そして無駄に命を落とすことを賛美される。

それはミクロなことかもしれない。
私の単なる愚痴なのかもしれない。
でもそう思いながら1000年に1度の危機にもかかわらず、
今まで通り会社に行かねばならないと思いながら、
本数の少ない電車に長蛇の列をつくって、
放射能をたくさん浴びてしまったわけだ。

結局、国家も企業も国民のことなんて考えていない。
自分で自衛し、自分で知識を学び、
自分で生き延びる力を身につけない限り、
非常時が起きても助けてはくれないのだ。

それは大災害が起きなくてもわかっていたこと。
でも3.11によってそれが明確になってしまった。

悲観論を煽りたいわけではない。
むしろ日本は変わる絶好の契機を得たといえる。

今なら変われる。
今しか変われない。
今、変わらないと次の大災害ではとんでもないことが起きる。

今、与えられたチャンスを活かし、
一人一人が楽しく安全に暮らす方法を模索するべき時期に来た。

日本人は1945.8.15では学んだ。
そして成功した。
しかし2011.3.11ではまだ学んではいない。
ならば失敗は目に見えている。

人生にとって大事なものは何か。
自分が生きていく上で大切なことは何か。
今やるべき優先順位が高いこととは何か。

そんなことを考えようともせず、
3.11前のもとの生活に戻そうとするなら、
復興なんてできやしない。
国家破綻が近づくだけだ。
国家が破綻すれば企業も個人も破綻する。
それをわかっていない。

3.11は第2の敗戦。
もう建前だけでは通用しない。
仕事ごっこじゃ通用しない。

間違いなく大きな地震が日本を何度か襲うだろう。
その時までに生き方や働き方や考え方や社会のあり方を変えないと、
きっと絶望しか見えなくなる。

私は絶望はしたくない。
希望を見い出し、楽しい人生を送りたい。
1度限りの人生だから。
1分1秒たりとも無駄にしたくない。
意味のないアリバイ証明的な建前的な時間の過ごし方ではなく。

3.11はそれぞれの立場によって受け止め方が違うだろう。
しかし「何かが変わった」はずだ。
抽象的な話かもしれないが、感覚的な問題だから、
ここに書いてあることはわかる人にしかわからないかもしれない。

日本も世界も、終わりの始まりが始まった。
そのことだけでも頭の片隅に置いておけば、
これから起こる様々な出来事にも、
心折れずに希望を見い出し、
生きていけるだろうと思う。

by kasakoblog | 2011-08-14 22:00 | 東日本大震災・原発

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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