虚しさ~自分だけがよくても人生よくならない
2011年 09月 27日
変えられないと悟った時に感じる気持ち。
変わらない人間を、変わらない社会を、
変わらない国を、変わらない世界を、
変えようとしている私が間違っているのではないか。
時にそんな徒労に襲われることがある。
自分は自分の意志で変わることができる。
自分は変われて人生が180度変わって楽しくなったから、
他の人にもそれに気づいてほしいと、
手をかえ品をかえ、いろんな言い方をして、
変わるきっかけをつかんでくれればと思ってみても、
過去の常識や習慣や思考に囚われている人には、
何を言っても無駄なんだと思うこともある。
だったらそんなやつ、ほっとけばいい。
自分が楽しければいいじゃないか。
そんなやつ、勝手に自滅すればいいじゃないか。
そう思ったりもするんだけど、
でもそういう輩が幅を利かせていると、
結局は自分にもその“害悪”が回ってくる。
被災地を取材してもそうだし、
徳島の漁村を取材した時もそう。
そこで活動している人は、
決まってこんな風にいう。
「自分たちのところだけがよくなればいいなんて思わない。
そういう発想では結局、自分のところだってよくならない。
隣町も市全体も県全体も国全体も世界全体もよくならなければ、
自分たちだけがいいなんてあり得ない」と。
人は社会的な生き物。
自分だけで生きている人間なんていない。
多くの人間とのかかわりあいで生きている。
だから自分だけがよくなったからいいとはならない。
みんなが“変わらなければ”全体も“よく”はならないのだ。
例えばあるライブ会場に来ている観客の、
99%の人がちゃんとマナーを守って楽しく見ていたとしても、
そこにたった1人だけ変な輩がいて、マナー違反な行動をすれば、
そのライブは台無しになってしまうわけです。
自分だけがマナーを守っていれば楽しめるとはならない可能性もある。
どんなに素晴らしい会社であっても、
1人変な社員がいておかしなことすれば、
その会社のイメージは台無しになる。
そういうたとえに似ている。
でも結局は最終的に一人一人の意志でしか変われない。
他人が何を言おうと、
ダメなやつは残念ながらダメだし、
何度も何度も同じ失敗を平然と繰り返すし、
いつまでたってもオレがオレで、
相手のことを何とも思わない人もいる。
だから原発事故が起き、台風なのに帰宅難民が大量発生したりする。
人の意識を変えるのは難しい。
自分で気づかないとダメだから。
自分に問題意識がないとダメだから。
変わろうとしている意志さえあれば、
どんなきっかけでもそれをチャンスに変えることはできるけど、
自分の問題にまったく気づいていない人は、
変わるきっかけを与えられても変わることなく、
チャンスを見逃し、やがて“原発事故”を起こすのだろう。
それがわかっているから事前に防ぎたいと思って注意しても、
言えば言うほど言い訳の連呼でより強固に過去の因習にしがみつく。
人は痛い目にあわないとわからない。
いや痛い目にあってもわからないのかもしれない。
そんな少数の“犯罪者”が大勢の人に迷惑をかける。
何かいい方法はないのだろうかと思いながら、
気づく人を一人一人増やしていくしかないんだろうなと思う。
時に虚しさを感じるけれど、私はあきらめない。
それをあきらめることは、自分の人生をあきらめることだから。
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