隠し味の味噌~円周率3.14復活より考えるべきこと~
2008年 02月 20日
キムチ鍋に味噌・・・。
私は料理についてまったく詳しくないのだが、
味噌というのは味噌汁以外にも、
いろいろな料理に使えることを最近知った。
私の極めて少ない料理レパートリーの中で、
パスタとキムチ鍋があるのだが、
この両方に味噌を入れるとうまくなるなんて、
まったく思いもつかなかった。
パスタのトマトソースに味噌を入れるなんて、
なんとも信じがたい組み合わせだと思っていたのだが、
味噌を入れると、単調な味が実にマイルドで奥深い味わいになるのだ。
そしてキムチ鍋のスープにも味噌を入れる。
キムチ鍋なんだからキムチスープさえあればいいだろうと思うのだが、
それだけだとただ辛いだけの、これまた単調なスープになってしまう。
ところが味噌をちょこっとキムチ鍋に入れるとね、
これまたマイルドで奥深い味わいになるから不思議である。
きっとこの他にも「えっ、こんなもんにも味噌入れるの?」みたいな、
隠し味的使い方はいっぱいあるんだろうな。
大人になると勉強したいことがいっぱいある。
たとえば料理もその一つだろう。
「自分で料理が作れたら」とか、
「自分でおいしく料理が作れたら」とか思う人は多いんじゃないか。
学力低下でゆとり教育見直しで、
主要教科の授業を1割増するとかいっているけど、
円周率を3と覚えさせるか3.14と覚えさせるかの違いで、
学力向上になったと騒ぐ前に、
なんかこう、もっと社会人生活に役立つような、
実践的な教科を増やして、
生活力を向上させようとかって発想はないのかな。
思うに学校の授業内容や教え方も悪いんだろうけど、
教える年齢もまずいんじゃないのかな。
小学生の時に調理実習とかやらせても、
小学生の頃に自分で料理ができなきゃいけないって必要性を感じないから、
授業をまじめに受けず、結局その時何も覚えず、
社会人になってから勉強し直すみたいなムダが生じるのかなと。
たとえば高校とか大学で教えたら、
一人暮らしして、自炊しなければならない人もいるだろうし、
親の帰りが遅くて自分が作らなければならないとか、
自分の生活に役立つ可能性があるから、
学ばなきゃって意欲がわくんじゃないかなとか。
※まあ義務教育のうちにやることの必要性もわかるんだけど、
小・中学生でやっても遊びになっちゃうよな・・・。
あとは家庭科とか調理とかって受験に関係ないってことも、
学ぶ意欲を大きく低下される要因になっている。
円周率を3.14と答えられる学力も大切なのかもしれないけど、
パスタソースに味噌を入れるとうまくなるとか、
そういう生きた知恵が試験に出たら、
これはみな必死で覚えるに違いない。
社会人になってから、料理の本を買ったり、
教室に通ったりするなど、
金と時間という多大なコストを取られるより、
学校教育でしっかり教える方がいいんじゃないかな。
「そんなの親のしつけの問題だ」と言われて今まで一蹴されてきたけど、
親の所得格差によって教育格差が広がるんじゃなく、
親の教養格差によって子どもの生活力格差が生まれることの方が、
社会全体にとって深刻な問題じゃないかなと思う。
最近では「食育」の重要性が叫ばれているらしいけど、
叫ばれているわりにどこまで実効性があるかは疑問だ。
料理にしても食育にしても、
今後重大な問題となる環境問題とかゴミ問題とかと、
全部つながってくるわけです。
料理を学べば当然、食品偽装とか食の選び方とか、
殺虫剤がついてベトベトな袋なのに気づかず食べてしまうとか、
そういうことにもつながっていくと思うんだけどな。
学校撮影時に、調理室とかにも入ったんだけど、
せっかくいい施設があるんだから、
調理実習の授業増とかだって、
「ゆとり教育」の見直しと子どもの「学」力低下防止のために、
考えられるべき一つの選択肢として検討されてもいいんじゃないかなと。
おっと、随分脱線したけど、味噌の話だった。
学校で料理をきちんと教えてくれたら、
社会人になってからの生活で、
ちょっとした工夫で彩りを添えられるのになとか思う次第である。