孫がいるから魚はとらねえ~放射能リスクに対する意識の違い
2011年 10月 25日
福島県いわき市の海岸部にあった津波で家は流され、
働いていたカマボコ工場も被災し、
勤めていた工場の社長は津波で亡くなってしまった。
今はいわき市内中心部に居を移し、
お孫さんほかご家族と暮らしている。
「俺はいいけどさ、うちはほら、孫がいるから。
だからもう釣りはしねえ。
放射能がどうなってるかわからねえからよ」
毎週のように釣りを楽しみ、
釣った魚を家族にふるまっていたが、
3.11後は釣りはしない。
とにかく孫がかわいくてかわいくて仕方がないらしく、
すべての生活の中心は孫。
避難所同窓会も「孫が行きたい!っていうから来た」
とうれしそうに語ってくれた。
放射能リスクへの考え方が、日本中で二分され、
なかには家族ゲンカに発展することもある。
「そんなに気にする必要はない」という人と、
「気にするべきだ」という人と。
政府や官僚や自治体は、
人体実験よろしくまったく気にしていないようだが、
小さな子供を持つ母親は気が気ではない。
放射能リスクに対しては年代によっても大きく変わり、
60歳を過ぎた高齢者になると、
「別に20~30年後にガンになっても、それは仕方がない」
とまったく気にする様子がない人もいる。
でも日本には小さな子供たちがいる。
このおじいちゃんのように身近に孫がいれば、
男性だろうが海が好きだろうが60歳を超えていようが、
どれだけの汚染があるかはっきりわからないうちは、
自分の好きな釣りはやめてでも、
放射能リスクは避けたいと考える。
人によって想像力は異なる。
孫と一緒に住んでいれば放射能に対して敏感になるが、
そうでなければ想像力は働きにくく、
「別にたいしたことないんじゃね」って話になりかねない。
もちろんどこまで気を使うかは難しい。
そういうなら釣りだけでなく、
福島から避難した方がいいんじゃないかという考えもある。
ただ放射能は自分だけの問題じゃないということ。
自分がじじいだから先がないから別にいいという話ではない。
自分に孫がいなかったとしても、
日本の子供たちが被害を受ける可能性がある。
そこに想像力を働かせて考えた時に、
基準値を上げるとか、たいして気にしないとか、
レントゲン何回分だからどうのとか、
原発30km区域で学校を再開させてしまうとか、
現状追認の態度をとらないのではないか。
東京では今頃になってホットスポット探しが、
テレビでも取り上げられるようになったが、
大気中の放射線による外部被爆なんかより、
今、はるかに怖いのが、
食べ物経由で放射性物質を取り込んでしまう内部被爆だろう。
大気中の放射線量が低いから安全とかではなく、
食品による内部被爆をどれだけ防ぐかが、
今後の大きな課題になるのではないか。
温情で福島や東北の食品を買って、
自分たちの子供や孫を被爆させてはならない。
自分が早死リスクを抱え込むのは勝手だが、
それを若い世代に強制してはならない。
放射能リスクに対する考え方のバラつきが、
日本中の精神ヒステリーを煽り、
放射能そのものというより、
放射能があるかもしれないという恐怖が、
社会に多大なマイナス要因を撒き散らしている。
風評被害とはちゃんと検査をせず、
正しい情報を出さないことから発生する。
文部科学省から汚染地図が公表され始めたが、
大ざっぱ過ぎて細かな地域情報はわからない。
そうやってアバウトな情報ばかりしか出さないから、
過度に怖がったり、過度に楽観視したりする、
誰も正確な事態を把握できない、
今のような悪い状況を生んでいるんだと思う。
悪い情報でも隠さず出すことが、
風評被害をなくすことにつながる、
ということが政府や官僚や自治体や企業には、
わからないのかもしれない。
被災地レポート
http://www.kasako.com/110311top.html