後回しにされた被災地の複雑な事情
2011年 10月 30日
その方が復興も早かったかもしれない」
そう語るのは福島県いわき市の北端、
久之浜地区で津波被害にあったが、
今もなお海から近い自宅に住んでいる、
諏訪神社の高木優美さん(26歳)だ。
久之浜はいわき市の一番北にあり、
すぐお隣は双葉郡となる。
双葉郡は福島原発があるエリア。
今回、原発事故の影響で、
双葉郡の多くの町が立入禁止になるなど、
「死の町」と化したわけだが、
原発事故の直接の「被害者」ということで、
他のエリアに比べてこの地区の人たちの補償は最優先に行われている。
久之浜は微妙な場所にある。
双葉郡だったら手厚い補償が期待できたかもしれないし、
双葉郡久之浜町だったら、
独自に復興計画を進められたかもしれないが、
現状はいわき市の一部という位置づけで、
いわき市から見ると一番端の地区だ。
同じ端でも南の方は工業地帯もあり、
茨城に近く、関東との関係も深いので、
同じいわき市内の被災地の中で、
復旧・復興は優先的に進められた。
ところが久之浜は、工業地帯があるわけでもなく、北端でもあり、
しかも町の一部が原発30km圏内に入っていることから、
一時屋内退避エリアになるなど、放射能問題もつきまとう。
結果、いわき市内で津波被害があった地区の中でも、
もっとも復旧・復興が遅れていたのだ。
私がいわき市の被災地をはじめて訪れた5月中旬。
市内中心部に近い薄磯、豊間を見た後、
久之浜に行ったが、久之浜の沿岸部ははるかにひどい状況にあった。
がれきがまだ多く残されており、
津波被害と火災被害の状況は生々しかった。
さらに久之浜はやっかいなことに、
地区の8~9割が壊滅した薄磯、豊間とは違い、
被害は海そばだけに集中していて、
住もうと思えば住める家も多い。
諏訪神社の高木さん宅もこの時、訪れているが、
目の前の家はぼろぼろなのに、
ここはそんなに被害は少なく、暮らしていたし、
さらに奥に行って酒屋さんにいったら、
津波被害で電化製品はやられてしまったものの、
店は営業していて、家にも住んでいた。
さらに駅より内陸側に行けば、
津波被害などまったくなく、普通の住宅街が続いている。
実はこれがやっかいなのだ。
薄磯なんかはほとんど家が壊滅的な状況で、
被災者の方々の置かれた状況が似ているから、
今後の復興計画についてもまとまりやすい。
しかし久之浜のように、
1:津波被害で全壊してもう家に住めない被災者
2:津波被害にあったものの家に住める被災者
3:津波被害もなく普通に暮せる人
では置かれた状況がまったく違い、
今後の町づくり=「復興」に対する温度差はかなりのものがある。
しかも地区によって住んでいる人の“質”が違う。
津波被害にあった駅より海側の沿岸部の人たちの多くは、
古くからこの町に住み、漁業や商店、民宿などを営んでいるが、
津波被害のない駅から山側の地区は、
比較的新興の住宅地で、原発関連勤めの人もいるという。
被害格差もあり、住んでいる人の属性も違うとなると、
一口に「町の復興計画」といっても、
その意味するところはまったく違う。
久之浜のある人いわく、
「ここでは安易に脱原発なんて言えない」という。
なぜなら原発で生計を立てている人もいるからだ。
しかもいわき市の中でも久之浜地区だけは、
原発に近いということで、
1世帯あたり100万円前後の原発の賠償金がもらえているという。
そこに輪をかけて原発に近いことから、
放射能問題まで加わって、より事態を複雑にし、
一筋縄では復旧・復興が進められない地区となった。
だからいわき市が意図的かは不明だが、
“後回し”にしたのも無理はない。
私が5月15日にはじめて久之浜を訪れた際、
話を聞いた酒屋さんの家族写真を撮影することになった。
そこにはまだ小さな娘さんがいたのですごく心配になった。
5月末にガイガーカウンターを購入し、
6月19日にいわき市を再訪した際、
懸念していた久之浜の放射線量を測りに行った。
ここは本当に人が住んで大丈夫なのだろうかと。
しかし結果は低かった。
0.08~0.17マイクロシーベルト程度。
下手したら東京の一部の高い地域なんかよりはるかに低い。
無論、喜んでばかりはいられなかった。
がれきに近づけると、
0.40~0.50マイクロシーベルトといった、
高い数値を出すところもあった。
ただ0.40~0.50が「高い」のかは微妙だ。
久之浜から車で10分行った原発20kmの検問所で、
大気の線量を測ったら1マイクロシーベルトを超えていたので、
それに比べれば低い。
そもそも東京のホットスポットなんかは、
0.40~0.50マイクロシーベルトぐらい出るところもある。
ただわかったのは、大気の線量が低くても、
がれきなどは高い可能性があるということだ。
だから私は、同じいわき市内の被災地の中でも、
薄磯、豊間、勿来、小名浜とは違い、
久之浜を他の被災地と同様に考えて、
泥かきしたりすることがいいのか、
疑問を呈する記事を書いていた。
こうした複雑な状況のために、
いわき市の中で復旧・復興が“後回し”にされているのを、
なんとかしたいと考え、
久之浜を立て直したいと思う若者がいた。
それが津波被災地で今も暮らす諏訪神社の高木さんであった。
※久之浜では避難・退避区域では初となる10/11より、
小学校2校、中学校1校で授業を再開した。
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/topics/012679.html
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20111012ddlk07040193000c.html