震災被害と過疎化の混同が復興を阻む
2011年 11月 06日
「復興ができないのは震災のせいではなく、
もともと過疎化していたからだ。
震災はきっかけに過ぎない。
今まで通りのことをしたのでは、
復興なんかできるわけがない」
(ある被災地の方の言葉)
何度もテレビで報道された、津波被害のひどかった、
陸前高田、気仙沼、南三陸などを土日に訪れてきた。
沿岸部を車で走ると、集落が現れる度に「全滅」に近い。
町に高台のある気仙沼や気仙沼大島は、
無事なところも多いが、
海岸部の町は壊滅し、今も片づけが進まないまま、
廃墟的景色が広がっているところもあった。
こうしたなか国も国民も、自治体もボランティアも、
「東北復興」「被災地復興」の名のもと、
多大なコストと労力をかけているが、現地の人から、
「震災があるなにしかかわらず、
そもそも過疎化していた」という話を聞くと、
なるほどなと思った。
震災から8ヵ月が過ぎ、
支援のステージは大きく変わってきている。
避難所にいる人たちや、
ライフラインを寸断された被災地にいる人たちに、
緊急的に支援が必要な段階から、
被災地にいる人たちが、自立・復興できるよう、
すなわち自分たちで金を生み出し、
支援がなくても生活ができるようにする、
自立支援にステージが移ってきている。
しかしそこで大きな壁にぶちあたっている。
自立・復興といっても、
場所によってはもともと過疎化し、
経済社会が衰退していたのだ。
今まで発展していた町が、地震や津波でやられました。
だから被害にあった部分を復旧し、
社会がもとの通りに円滑に動き、
経済が動くよう自立支援します、というなら機能する。
しかし今回の被災地は、
自然災害が起きなくても衰退している地域も少なくない。
だからそのような地域を「復旧」しても、
「復興」になかなか進まない。
自立支援といってもなかなか自立できない。
そんな問題にぶちあたっているところも多い。
そのことに行政や被災者やボランティアが気づいているか。
それに気づかず支援していると、
あまり意味のない支援になりかねない。
というかずっと延々、与え続けなくてはならなくなる。
それに輪をかけて今回の震災被害はあまりにも甚大だ。
つまり今まで通り、元通りでは、
「復興」できないままのエリアも多い。
震災被害という大きな隠れ蓑ばかりに目を奪われず、
その地区にもともとあった過疎化・高齢化という問題を、
どう解決していくか。
支援をするならそこに目を向けなくてはならない。
それが今の段階だと今回の取材で思った。
しかし地方ゆえのしがらみや利権が多かったり、
これまでの慣習や土地に固執する人が多かったりして、
これまでとは違うやり方に抵抗を示すケースも多く、
それが余計に復興を遅らせている面もある。
若い人はそれに気づいている。
なぜなら目先の不安より、
20年後、30年後、ここにいて食っていけるのか、
安全なのかということを真剣に考えているからだ。
今回取材したボランティアの方や被災者の方は、
過疎化がそもそもの問題なのだから、
震災復旧したところで、
元に戻しただけでは復興なんかできない、
ということに気づいている人が多く、
これまでとは違う試みをしようと、
必死になっている人もいる反面、
震災直後の同情心を引きずったまま、
自立支援ならぬ依存支援を続けている人もいる。
実はこれ、被災地に限った話でなく、
日本全体にもまったく同じ構図があてはまる。
少子高齢化、人口減少で、
このままのやり方を続けていたのでは、
ジリ貧になることは明らかだ。
にもかかわらず、目先の利益を優先するあまり、
新しいやり方を叩き潰し、
従来の習慣を維持させるために莫大なコストをかけ、
結果、借金が増えて、大増税、社会福祉カットという、
若手にすべてツケを先送りする勢力が強い。
被災地の問題は日本の問題でもある。
被災地の自立復興支援を行うには、
震災被害ではなく過疎化という問題に、
そろそろ焦点をあてて本気で取り組まなければならないと思う。
・被災地レポート
http://www.kasako.com/110311top.html