サークルボランティアの功罪

「今回の震災で日本のボランティアが、
これまでとは変わった点は何でしょうか?
また問題点は何でしょうか?」

先日、ある記者から取材を受けた。
そんなお題を投げかけられ、今までの取材をふりかえって考えてみた。
いくつかキーワードが浮かんだが、
そのなかの1つが「サークルボランティアの功罪」だ。

東日本大震災で大活躍したのは「サークルボランティア」だ。
サークルボランティアとは、私が勝手にネーミングしただけだが、
(学校にある「ボランティアサークル」とは違う)
ボランティア団体でもなく、
災害ボランティアの経験があるわけでもなく、
企業や町内会といったある組織をベースにしたものではなく、
主にネットや口コミを通して、
今回の震災で何かしなくてはと個人が集まった、
勝手連ボランティア団体のこと。
(勝手連とは:あるテーマに賛同する者が、
自発的に集まって支援する市民活動の様式)

なぜこのような勝手連ボランティアが、
多数生み出され、大活躍したのか。
さまざまな要因が考えられるが、
被災地の被害が甚大で、
自治体のボランティアセンターの立ち上がりが遅かったこと以上に、
ボランティア専門団体の融通のなさに嫌気がさし、
でも個人1人で支援はできないけれど、
何人かやりたい人を集めて、
自分たちが支援しやすいスタイルやスケジュールで、
勝手に行いきたいという思いが強かったからではないか。
そしてそれを可能にするネットツール、
ツイッターやフェイスブックがあったことが挙げられる。

はじめ多くの人はボランティア専門団体に参加し、
被災地支援をしようと考えたに違いない。
しかしあまりにも制約が多すぎる。

1つはスケジュール。
社会人では到底無理な長期滞在やタイトなスケジュール。
もう1つは融通のなさ。
まるで軍隊の兵隊か工場の流れ作業の一員のように、
現地で被災地の被害状況を見ることもできず、
被災者と話をきちんとすることもできず、
何をするかも自分で決められず、
団体が割り振った細分化された作業を、
ただひたすらやらなければならない。

当たり前の話だが人間はロボットではない。
感情がある。
ひたすら9時から17時まで泥かきだけしろ、
と言われても、モチベーションは早々続かない。
「これは意味があるのだろうか?」
「この作業ではなくもっとやるべきことがあるのではないか?」
「ここ以外の現場はどうなっているのだろう?」
「被災者の方はどう思っているのだろうか?」
「そもそも自分はここでこんな作業をしていて安全なのか?」

そうした疑問は自然にわいてくるのが普通だろう。
ただ全体像もわからなければ、
自分の頭で考え行動することも許されず、
「ボランティア経験を積んだ賢いリーダーが、
作業を割り振っているんだから、
おまえらは効率よく目の前のことだけをやれ」
といわれても、よほど単純作業が好きで、
自分の頭を使うことが面倒な人間以外は、
自発的な支援活動に疑問を感じたり、
萎えてしまったりするだろう。

これが本当の軍隊や企業といった組織で来ているならまだいい。
命令系統があり、その報酬=対価をもらっているから、
上の命令を言われた通りにやるのは当然だからだ。

しかし個人で自発的にボランティアとして参加したのに、
金ももらわず、知り合いでも上司でもない人間から、
がちがちにスケジュールと行動を管理されたら、
イヤになるのは当然だろう。
そこでこうした組織ボランティアをデメリットを感じた人たちが、
「こんな団体に参加しなくても自分でできるんじゃない?」
と思った人が多く、さまざまなサークルボランティアができた。

だからサークルボランティアは非常に個人が参加しやすい。
・スケジュールはがちがちでなく、途中参加などもOK。
・上下関係はなく、みな仲間同士の横並び関係。
・軍隊方式ではないので、疲れたら休んでもいいし、
行きたいところがあれば行けばいいし、行動の自由度が高い。
・被災者とも直接話せる機会が多く、より現状を知れる。
といった点がメリットだ。

ただその一方、デメリットもある。
・活動が何でもありになるため、
「それって本当に今、必要な支援活動?」と疑問に思う、
自己満足に陥りやすい。
・仲間内と楽しくわいわいやることが目的化し、
被災者ぬきのボランティアサークル化、
ボランティアコンパ化しかねない。
・津波被害のあったエリアに平然と泊まるなど、
安全性や二次被害を考えない。
・時に被災者から反感を買う。

メリットがあればデメリットがあるのは致し方がない。
ボランティア専門団体のデメリットを強調したが、
裏を返せば、サークルボランティアにはないメリットがある。

私なんか古い人間なのかもしれないが、
サークルボランティアで一番疑問に思うのは、
自分たちが活動に行く度に、
被災地で記念の集合写真を撮影し、
それを堂々とネットにアップしていることだ。

まるで大学生のサークル活動か?
ここは仮にも何万人もの人が死んだ被災地なのでは?
しかも写真の載っているのはボランティアばかりで、
被災地の人がほとんど写っていない。

記念撮影を撮ること自体は悪いことではないと思う。
それを参加者同士がメールで送りあったり、
ネットにアップしても特定者しか見れないような、
配慮をすればいい。

ただむしろ一般世間に、
「自分たちは被災地でこんなことをやったんだぜ!」
っていうアピールに見えてしまう。
いやボランティアを集めるためのアピールなら、
泥かきしている作業風景の写真を載せればいいし、
被災者の方を出して、
この活動がどれだけ役に立ったか、
コメントを載せればいいわけだ。

ところがみんな楽しそうに、
時にはポーズなんかとったりして、
ここぞとばかりに記念の集合写真が載っていると、
「この人たちって被災地支援がしたいんじゃなく、
同じ仲間同士で楽しくわいわいやりたいだけなのか?」
と思ってしまう。

こんなことを思うのは私のような、
古い時代錯誤な人間だけなのだろうかと思ったが、
やはりあるボランティアの人は、
「ああいうのは犬の小便と一緒で、
ある種のマーキング行為じゃないですか」
と指摘していた。

ある被災者は若いボランティアが集団で来た時、
あまりにへらへらした態度でいたため、
「何もしなくていいから帰れ!」と追い返したという。

「津波ですべて流された気持ちなんて、
あなたたちには絶対にわからない。
わかったふりして同情なんかしてほしくない。
わからないのは仕方ないんだから」

「今まで家があったのに流され、
仮設住宅なんて場所に住まなければならない虚しさは、
あなたたちには絶対にわからない。
住所を書くとき、なぜ仮設住宅なんて、
書かなきゃいけないんだろうって、
その度に思う」

被災者の心はボランティアが思っている以上に、
深い悲しみや憤りを持っている場合もある。
ただその感情をボランティアに出すのは稀だ。
「我慢強い東北人」だからということもある。
こういう被災者の言葉を聞くと、
集団で記念撮影してネットに出してる場合かと、
私なんかは思ってしまう。

ただここで忘れてはならないのは、
こうした楽しげなサークル記念撮影を、
堂々とネットに載せていたからこそ、
「ボランティアしたいけど、
なんか危険だし大変だしこわそうだ」
という人の心を解きほぐし、
「こんな楽しそうな感じなら参加してみようかな」
と思わせたことだ。

この効果は非常に大きい。
それによってこれまで来なかった人を集め、
実際にそうした人員の手によって、
被災地での作業が進んだことには間違いないのだから。

私は別にボランティアに行く人は、
みんな悲壮な覚悟で申し訳なさそうな顔をして、
黙々と作業をすべきなんてちっとも思わないし、
変な言い方だが、ボランティアは自発で無償である以上、
楽しくなければ続かないし、
自分のためにならなければ続かない。

だから大いに楽しむべきだと思うし、
それによって単位をもらったっていいと思うし、
自分の社会経験になるのもいいと思う。

ただそれがあまりに度が過ぎると、
被災地や被災者や他のボランティアから、
「なんだあいつら、遊びに来ているのか」
と思われるのはどうかと思うが。

ボランティアに何が正しくて何が悪いか、
決めることはできないと思うし、
人によって捉え方は違うだろう。
ただ今回の震災では、今までのボランティア団体の欠点から、
こうしたゆるくて楽しげな、
サークルボランティア団体が大量発生し、活躍した、
というのは特筆すべき事実であると思う。

変な話だが今回災害ボランティアを経験した、
多くの「素人」「初心者」たちが、
今度どこかで災害があった時に、
今回の活動のよかった点や悪かった点を、
各々が見直し、今回以上によりよい支援活動ができたら、
いいんじゃないかなと思う。

・被災地レポート
http://www.kasako.com/110311top.html

by kasakoblog | 2011-11-24 22:24 | 東日本大震災・原発

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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