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シャッターチャンスと人生のチャンス

写真のシャッターチャンスは突然やってくるように、
人生のチャンスも突然やってくる。
チャンスを逃さないためには、
常にカメラをぶらさげていることだ。

写真を年間何万枚も撮影している。
そのうち「いいな」と思えるのが何百分の1の世界。
でも「いいな」と思える写真って、
これを撮ってやろうってな感じで、
おもむろにバックからカメラを取り出し、
何十分もかけて、ああでもないこうでもないって、
頭でこねくりまわした写真じゃなく、
ほんの一瞬、何気ない風景がぱっと通り過ぎた時に、
シャッターを切れた写真だったりする。

だから私は旅行中、ほぼずっと、
カメラを首から下げている。
いつ何時チャンスが訪れても逃さないように。

カメラを閉まったり出したりなんかしたらまあまず逃す。
あっと思った時に、ぱっとカメラを取り出せなければ、
さっとチャンスはどこかへ行ってしまう。

それは人生でも同じ。
チャンスがないと嘆いている人は、
チャンスがないんじゃなく、
目の前に通り過ぎているチャンスを見逃しているか、
もしくはチャンスが来た時に、
“人生のカメラ”を準備していないがために、
チャンスを逃しまくっているかのどちらかだ。

一方チャンスをものにして、
楽しく人生を送っている人の多くは、
常に“人生のカメラ”を構えている。
だから少ないチャンスでもものにし、
他人から見ると「なんて運がいいんだろう」
といったように映る。
でも運がいいわけではない。
着実にチャンスをとらえているだけの話に過ぎない。

「いつチャンスがきてもおかしくはない」と、
自分に何のチャンスが回ってきそうにない時でも、
いつでも本番、いつでもピンチヒッター、
臨戦態勢をとっておく。
だからチャンスに打てる。

でもなんでこんな当たり前のことが人はできないのか。
1つは恥ずかしさ。妙なプライドといってもいいかもしれない。
常に機会をうかがう貪欲な姿勢を周囲に見せたくない。
カメラをずっと首から下げているなんて恥ずかしい、
という発想だ。
そういう自意識がじゃまして、ついついかっこつけて、
誰に見られているわけでもないのにカメラを閉まってしまい、
そして見事に貴重な決定機を逃す。

もう1つは腐っている。いじけている。
1度か2度、勇気をふるって、
チャンスに挑んだものの、
失敗した経験が尾をひき、
自信がなくいじけてしまい、
チャンスに関心がなくなってしまっているか、
もしくはチャンスを見極める選球眼がないことに気づかないまま、
オレにはチャンスが来ていない、不運だと嘆いてばかりいて、
チャンスをチャンスととらえようとせず、
腐ってよりいい機会を逃し続けている。

もしくは自分が準備なんかしなくても、
待っているだけで、むこうから“絶世の美女”がやってくるから、
わざわざ重い思いをして、
カメラを首からぶらさげず、
ただのんびりじっと待っているだけだから、
いつまでたってもチャンスを逃してしまう。

いや、でも、ほんとチャンスって、
唐突に突然にやってくる。
それを逃したらもう二度とやってこないかもしれない、
素晴らしい好機があったりもする。
だから普段からあなどってはいけない。

そういう生き方をしていれば、
必ずいいチャンスにめぐり合えると思う。

人生のチャンスはシャッターチャンスと同じく、
常にシャッターを切れるようカメラを構えていることだろう。

by kasakoblog | 2011-11-25 23:22 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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