当たり前のことが当たり前でなくなることに気づけるか?
2011年 11月 30日
今、与えられている環境や立場や仕事や家族や健康や時間や平和などが、
今後も一生、永遠に与えられるものと思っていることだ。
当たり前。
危機意識の欠如。
それが毎日の生活をだらしなく過ごす結果となり、
当たり前のことを大事にしなくなり、
感謝の気持ちを忘れて傲慢な態度で暮らしてしまう。
結果、何か大事故が起きてはじめて、
その当たり前に与えられていることの貴重さに気づくも、
失われてしまった後ではすでに時遅し。
後悔するしかなく、
取り返しのつかない人生の失敗をしてしまう、
ということになってしまう。
だから一度でも大病や大事故をした人は強い。
命のありがたさ、時間のありがたさ、
健康のありがたさ、食べ物のありがたさ、
家族のありがたさ、家のありがたさ、
仕事のありがたさ、平和のありがたさなどを理解している。
そのため無駄な時間の過ごし方をせず、
それこそいつ死んでもいいように、
悔いのないよう人生を過ごしている。
今年起きた311とはそういうことだ。
当たり前のことが一瞬にして当たり前でなくなってしまう。
今まで当たり前にできていたことが、
当たり前にできなくなってしまう。
でもそんなこと、いくら事前に日本には大地震がくるかも、
といわれても、やっぱり来るまでは本気で気づけない。
「そういったってどうせ来ないんじゃない?」
「100年後に来るんならオレは関係ないや」みたいな。
しかし今年は多くの日本人が気づいたはずだ。
今まで築き上げてきたものが、
一瞬にして脆くも崩れ去ってしまうことを。
いや、気づいたのは数万人しかいなかったのかもしれない。
被災地で「津波にすべてを流された気持ちなんて、
どんなに同情してもらってもあんたらには絶対にわからない」
と言っていた被災者の言葉がすごく心に残っている。
やっぱり本当に自分がひどい目にあわなければ、
結局多くの人は他人事で事なかれ主義で、
同情してみせても自分はどこか、
安全地帯にいると思い込んでいるのだ。
今、日本中に「温度差」が発生している。
先日、仙台に取材に行った時、
3社に取材したうちの2社から「温度差」という言葉を聞いた。
仙台はもう地震のことなど何もなかったかのように、
復興需要でわき、ビジネスチャンスとばかりに、
県外から多くの企業が進出し、
震災直後は完全に終わってしまった感のあった歓楽街が、
今や大盛況で予約もとれないほどの人気ぶりという。
しかし仙台から1時間も行けば、
津波で流されてしまった壊滅的な地帯が広がっており、
ガレキはひとまず片付いた(というか一箇所に集めた)が、
到底、ここにまた家を建てられるような状況ではなく、
復興なんて程遠い、先が見えない惨状がある。
先日、被災地に行った時、私は“めまい”がした想いがある。
岩手の陸前高田市に行ったら、もうそこは町が完全に壊滅して、
もうどうしようもない状況だった。
わずかな高台はあるものの、ほとんどは津波でやられた平地。
一体、この先、どうするのか、絶望的な気分に襲われた。
復旧、復興なんて到底不可能じゃないと。
ところがである。
そこからわずか車で1時間も行くと、
震災による被害など何にもなかったかのような、
一ノ関の町が広がっていた。
津波なんて無縁。
いくらでも空き地もありそうだ。
暗闇の陸前高田に比べて、
ここには煌々と町の灯りがともっている。
そしてそこから新幹線で2時間半も行けば、
もう東京である。
震災も津波もなんも関係ないし、
お金を払えばいくらでも住宅はあるし、
仕事だって選ばなければいくらでもある。
その格差というか温度差に非常にとまどうわけだ。
被災地という狭い世界でどうにかしようというより、
一度外の世界の可能性も探ってみれば、
生きる術はいくらでも広がる。
しかし逆にいえば、死ぬ思いをした被災地から、
たったの1時間で、のどもとすぎれば何とやらで、
震災の経験など忘れて、
もうすっかり平常時気分で暮らしているエリアもある。
一度死ぬ思いをした人と、
もう普段通りの生活に戻っている人とでは、
危機意識がまったく違う。
人生観が違う。
そういう温度差が、避難所内でも被災地内でも日本内でも、
まだら模様になって発生していて、
その格差は時が経つとともにどんどん広がっている。
でも311でわかったのは、日本にいる限り、
誰もが当たり前のことが当たり前でなくなる日が、
わずか一瞬にして訪れるかもしれないということだ。
その危機意識を共有できず、温度差が広がっているままだと、
復旧や復興を間違う恐れがある。
同じ過ちをまた繰り返す可能性がある。
地震被害も原発事故も津波被害も。
経験によって温度差が生まれるのは仕方がない。
なぜなら人間なんて自分で経験してみたいと、絶対にわからないから。
でも温度差のある同士で交流し、
そこの溝を埋めていっていき、
変えるべきところは変えていかないと、
また同じことが起きてしまいかない。
311は不可逆的な変化が起きた出来事だとある評論家が言ったが、
未だに元に戻れると思っている人がいる。
しかし当たり前のことが当たり前でなくなる、
あの恐ろしさをもう一度思い出し、
二度と悲劇が起きないよう、
新しい社会を作っていかなければならないと思う。
311で日本が変わらなければまた次の311が起きる。
でも今までのやり方を変えれば、
仮に次の311が起きても被害は軽減できる。
防災から減災が叫ばれているが、
悲劇を教訓にして態度を改めない限り、
また悲劇は起きてしまうだろう。