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人は与え続けられるとダメになる~被災者をみじめにさせる支援づけ

「被災者の方はただずっと与えられ続けていると、
自分は何もできないみじめな人間だと思い、
かえって心が沈み込んでします。
与え続けるだけの支援でなく、
被災者の方が誰かの役に立てるような、
作業や仕事をお願いすることも重要だ」
(これまで国内外の災害ボランティアに関わってきた人の言葉)

人って誰かに「世話」し続けられると、
自分は単なる社会の「お荷物」のように感じてしまう場合もある。
ましてや自分より若い人の世話になったりなんかすると、
余計にみじめな思いをすることになる。

人は誰かの役に立ちたいという欲求がある。
ボランティアはその欲求を満たすのに絶好の場だ。
普段の仕事と違い、無条件で手放しに喜ばれる。
だから被災地ボランティアにはまり、
いつまでたっても一方的に与えるだけの支援を続け、
「自分は誰かの役に立っている」と自己満足を得る。
被災者のみじめな気持ちなど想像することもなく。

被災者は年配の方も多く、
しかもこれまではそれなりに地位や財産があった人が多い。
そこにどこぞのものとも知れる若いボランティアが、
「かわいそう」という気持ちで入ってくる。
もちろんはじめの頃はありがたい。
でも心のどこかにひっかかりがある。
「なぜこんな若い連中に施しを受けねばならないのか」と。

被災地に行った時のこと。
ある被災者はボランティアにこんな話をしていた。
「被災者だからといって私らをなめるんじゃないよ。
今は仮設住宅なんてみすぼらしいところに住み、
みなさんからいただいた古着を着させてもらっている、
みじめな姿の人間かもしれないけどね、
私ら一家はこの辺では先祖代々有名な名家として知られてるんだよ。
あなた方、ボランティアの方々が、
どんな職業やおえらいさんなのかは知らないけれど、
被災者だからといって見下すようなマネはしないでほしい」

その被災者はボランティアがくると、
仮設住宅で食事やお茶を必ずふるまうという。
ボランティアからすれば、
「かわいそうな被災者なんかにご馳走になるなんて」
と思いがちだが、
被災者から見れば、ボランティアなど若造に過ぎず、
一方的に若造から与えられるだけでなく、
何かその対価というかお返しでもしないと、
自分のプライドが許さないのだと思う。

一方的に与える支援ではなく、
被災者に仕事やいきがいを与える支援などあるのか?
と反論されるかもしれないが、いろんな取り組みがある。

例えば阪神・淡路大震災で始まった「まけないぞう」。
被災者がタオルを作ってそれをボランティアが販売し、
売ったお金を被災者に回すというもの。
「被災者でも誰かの役に立つことができる」という、
心の自立ともいうべき支援にもつながっている。
http://www.pure.ne.jp/~ngo/zou/index_j2.html

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)というところは、
「ミシンプロジェクト」を始めている。
被災した方にミシンを渡して、何か作ってもらい、
それを販売してお金を回そうという取り組みだ。
http://miyagi-jonet.blogspot.com/2011/10/blog-post_3511.html

一方的に“クリスマスプレゼント”を、
毎週のようにただ与えるだけの支援ではなく、
ボランティアが主役ではなく、被災者が主役になるような、
被災者がボランティアの助けがなくても自立できるような、
そういう支援にシフトしていかなければならないけれど、
「誰かの役に立ちたい」と感じることが少ない都会の人間が、
被災者の「誰かの役に立ちたい」という機会を奪って、
「自分たちが被災者のために役立っているからいいだろう」
という自己満足にそろそろ気づくべきことではないか。

「何もしなくていい。たまに来て話を聞いてくれる。
それだけで十分です」という被災者の方もいる。

時にボランティアは共依存症なのではないかと思うこともある。
共依存症とは、自己の存在意義を認めてもらおうと、
過剰な献身をくり返すなどの行為をすることだ。
共依存者は自己愛・自尊心が低いため、
相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、
共依存関係を形成し続けることが多いと言われる。

ようは自分に自信がない。
しかし被災地に行けば社会貢献意欲を満たされる。
そのために過剰な献身を続け、
被災者をボランティアづけにしてしまい、
その関係から抜け出せない。

人が生きるというのは単に食料や物を与えられて、
生命維持されていればいいということではない。
それぞれの人に人間の尊厳がある。
被災したからかわいそうだから、いっぱい恵んであげます。
途中で支援をやめるのは、見捨てるようでいやだから、
物を送り続けます。

でも度が過ぎれば、それは被災者の人間の尊厳、
プライドを傷つけていることにもなりかねない。

物を与えることだけが支援ではない。
きっかけを与えるも重要な支援。

ボランティアが主役の支援ではなく、
被災者が主役になれるような支援が必要なんだと、
ある災害ボランティアの方の話を聞いて、
あらためて思った。

・書籍「検証・新ボランティア元年~被災地のリアルとボランティアの功罪」

by kasakoblog | 2011-12-20 23:08 | 東日本大震災・原発

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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