被災者の心の叫び「311に被災地でイベントをしないでほしい」
2012年 03月 08日
被災地で鎮魂だとか1周年だとか、
復興だとかのイベントをしないでほしい。
311ぐらい被災地を静かにさせてほしい」
宮城のある被災者から今日そんな話を電話で聞いた。
「311でイベントをするなら県外でやってくれればいい。
それで寄付金でも集めて被災地に義援金として、
送っていただけるならそんなありがたいことはない。
でも被災地でイベントをするのは避けてほしい。
311は多くの人が被災地で亡くなっている。
県外のボランティアが想像するより、
はるかに凄惨な体験をしている」と。
まさに私が昨日書いたブログの内容とシンクロする。
被災地以外の人間は被災者の気持ちなんてわからないのだから、
自己満足で311イベントを被災地でやるのではなく、
被災地以外でイベントをやればいいと。
311に被災地でイベントをしないでほしい理由について、
この被災者の方はこんな話もしてくれた。
「地震→津波→家が流された=被災者みたいに、
被災者をひとくくりで捉えている人も多いかもしれませんが、
被災者によって状況はさまざまで、まったく違います。
家が流された人、流されていない人、
家族を亡くした人、そうではない人、
知人を亡くした人、そうではない人、
仕事を失った人、そうではない人など、
被災者といってもぜんぜん置かれた立場は違う。
それを『鎮魂』だとか復興イベントなんて、
ひとくくりのイベントにはできない。
だからやめていただきたいのです」
県外の自己満足ボランティアによる被災地イベントは、
昨年8月のお盆時期から増えたという。
「被災地にとってははじめてのお盆で、
静かにしたいという気持ちがありました。
しかし県外の人にとっては、
ちょうどお盆で休みがとりやすいのか、
ぜひともこの時期にイベントをしたいという。
私はイベントはしないでほしいと断りましたが、
それでもどうしても来たいといって、
無理やり被災地に来てイベントをしている人もいました」
この方は被災者の自立支援活動も行っているが、
ボランティアについてこんなことも話してくれた。
「自分たちのおしつけの支援が多くて、
本当に被災者の立場にたった支援は少ない。
今回の被害は生半可なものではない。
被災者のためのイベントなのか、
誰のためのイベントなのか、よくわからないものが多い。
はっきりいって私の周りの被災者は、みんな怒ってますよ」
でも多分それをボランティアに直接言う人は少ない。
なんといっても「我慢強い東北人」。
でもある人いわく「我慢強いんじゃなく、伝え方がわからないだけで、
結構みんな陰では文句を言っている」という話も聞いた。
311に合わせて被災地ドキュメンタリー番組や、
被災地ドキュメンタリー映画の取材依頼も多い。
しかしその一つを見て気分が悪くなったという。
「こうしたドキュメンタリーは、悲惨な津波映像から入る。
私たちにはまだたった1年しかたっていないのに、
あの時の恐ろしい記憶がまざまざと、
フラッシュバックのようによみがえってしまう。
だからなるべく最近はテレビを見ないようにしています。
生々しい被災の状況なんて見たくない」
・・・・
もちろんこの方の意見がすべて正しいとは限らないし、
この方も多種多様な被災者のたった1人の意見であって、
他の被災者に聞けば喜ばれているイベントもあるのかもしれない。
しかしこの被災者の方も言っているように、
被災地では県外の人が考える以上に、
絆ではなく歪みが広がっている。
それは被災状況による「温度差」があり、
県外の人が考えるような復興イベントなどで、
一つにまとまれない状況がある。
すっかりボランティア活動やイベントごっこに、
はまってしまったボランティアの方々が、
本来の目的である被災者のために何かをする、
ということを忘れないでほしいなと思う。
そういえば何かの本でこんなことが書いてあった。
「支援とは何をするかより、何をしないかを考える方が大切だ」
誰のためのイベントなのか。
そのイベントをしたら被災者の方がどう思うのか。
被災していない人間は被災者の気持ちを、
100%わかることなど不可能ということから、
何をしないかを考えて支援をしたい。
・書籍「検証・新ボランティア元年~被災地のリアルとボランティアの功罪」
被災者のためのイベントはしない。首都圏の人のためのイベント
http://kasakoblog.exblog.jp/17474445/