原発20キロ圏内レポート~あなたの家や町が立入禁止になる恐怖
2012年 04月 01日

想像してみてください。
明日いきなり警察があなたの前に現れ、
「危険だからあなたの家に帰ってはいけません」
「家財道具も持ち出してはなりません」
「あなたの会社に行ってはいけません」
「あなたの住む町に入ってはいけません」
「どこか遠くへ一生避難してください」
と言われた時のことを。
何をバカなと思うかもしれないが、
エイプリルフールでも何でもなく、
この恐ろしいとんでもないことが、
実際に今の日本で起きている。
原発のせいで。
もう一生、人が住むことはできないであろう、
死の町と化した場所に2012/3/30、3/31に許可を得て入ってきた。
原発事故による20キロ圏内である警戒区域と計画的避難区域だ。
警戒区域は原発から20キロと近いが、
計画的避難区域は30~40キロ離れている場所もある。
今、日本で最も危険な場所といっても過言ではない、
原発被災地(警戒区域+計画的避難区域)。
そこの写真を撮るべく、緊張して現地に入ったのだが、
目に見えない放射能の恐怖はカメラマン泣かせであった。
これまで私が何度も訪れてきた、
東日本大震災の津波被災地、地震被災地とはまったく違う。
悲惨な光景などどこにもない。
のどかでのんびりとした地方の町が、
ただ広がっているだけだ。

津波被害のひどい写真を見れば、
人は津波の恐ろしさに気づくだろう。
地震被害のひどい写真を見れば、
耐震補強の重要性や地震の恐ろしさに気づくだろう。
しかし放射能の恐ろしさは写真で見せることができない。
なぜなら見た目には何もわからないから。
原発事故で昨年は最悪、首都圏にも避難勧告が出る可能性もあった。
放射能汚染は必ずしも原発の距離に比例するわけではなく、
汚染地域=ホットスポットは飛び地が発生する可能性もある。
廃炉にすることすらできない福島原発ほか、
全国には原発が点在しており、
地震や津波により第二のフクシマが起きれば、
あなたの家も町も突如として立入禁止となり、
二度と戻ってはならないということもあり得る。
自分もそうなる可能性があるかもしれないと想像した上で、
下記、原発20キロ圏内レポートを読んでいただければと思う。

東電が危険な原発を建てるために、
地元を札束でたぶらかした施設の1つ、
福島県双葉郡楢葉町にあるJヴィレッジが、
福島第一原発からおよそ20キロ地点で検問地点となっている。
圏内の町に住んでいた住民であろうが、
決められた日にきちんと許可をとらない限り、
自由に立ち入ることができない。
立入許可が出ても入れるのは数時間のみだ。
全国の警察が駆り出されて検問を行っている。
私が2011年6月に訪れた時にこの辺りは、
0.90~1.30マイクロシーベルト/時だったが、
今回計測すると0.20~0.30ぐらいにまで下がっていた。
検問所の警察は昨年と同様、マスク1つのみで、
防護服に身を包んでいるわけではない。
検問を抜けてすぐ「道の駅ならは」が、
放射線量を測定するスクリーニング施設となっている。
防護服というより雨合羽やジャージにマスクといった姿で、
許可を得て死の町に入る人たちの放射線量をチェックしている。
行きと帰りにチェックし、被ばく量を測る。


いよいよ死の町に入る。
1つ目は楢葉町。
見た目はまったく普通の町。
何の被害もないように見える。
いや、実際、放射能以外は何の被害もないといってもいい。
あれだけの大地震が起きたにもかかわらず。
時折、古い建物が倒壊していたり、
物が倒れたりしているところもあるが、
それ以外はいたって普通ののどかな町。

まして一時帰宅で許可を得た車が、
わりと何台も通っているので、
ここが警戒区域となっている町とは思えない。
唯一、人が入れなくなったために、放された牛がいるため、
「牛に注意」という黄色い看板が目立つぐらいか。
放射線量測定器ガイガーカウンターを車内で入れっぱなしにし、
緊張しながら数値を見ているが、楢葉町はおおむね高くはなかった。
車内での数値だが0.20~0.40程度。
以前は1を超えていただろうが、
自衛隊員を被ばくさせたりするなど、除染をしたからだろう。
もちろん除染というのは放射能物質を取り除くのではなく、
どこかに汚染場所を移し変えるだけの話で、
汚染土壌の置き場も必要だし、
高圧洗浄水で流せば、汚染水は川や海に流れ、
水源を汚すだけでに過ぎない。
そしてまだ原発から放射能物質が漏れ続けているわけで、
一時的に下がってもまた汚染されて上がることは十分考えられる。
楢葉町の次の死の町は富岡町。
富岡町に入ると福島第一原発に近づいているせいか、
放射線量はぐっと上がり、町に入ると0.60程度に。

途中「福島第二原発」という看板が。
楢葉町と富岡町には両方の町に金が落ちるよう、
両方の町にまたがるよう、海沿いに福島第二原発がある。



福島第二原発は一時帰宅者のためのスクリーニング施設が、
駐車場にあるので行ってみたが、
ここは除染されているのか0.20~0.30と高くない。
国道6号線に戻って福島第一原発に向かって北上すると、
どんどん放射線量が上がっていく。
富岡町役場付近では1.70程度。
常磐線の夜ノ森駅付近、ケーズデンキそばでは、
3.10~4.50マイクロシーベルト/時に。
車から降りて夜ノ森駅付近の住宅街に入って計測すると、
なんと8.00~9.00マイクロシーベルト/時。
もはや人間の住む場所ではない。

しかし見た目の被害は何にもないし、
高放射線量になったからといって、
急に頭痛がするとか、臭いにおいがするとか、
そういうことは一切ない。
放射能は人間の肌感覚で感知できないのが何より恐ろしい。
だからこそ政府が情報を隠ぺいすれば、
住民は安全だと思って逃げ遅れ、
昨年の311以後、被ばくさせられるという、
国民殺しの犯罪行為も平然と行われてしまった。
今後もガイガーカウンターがなければ、
政府が放射線量を発表しなければ、
あなたも被ばくする可能性がある。
実際、東京でも事故後ものんきに出勤したように。
次は福島第一原発のある大熊町と双葉町。
ここもちゃんと両町に金が落ちるよう、
2つの町にまたがって原発が建設されている。
大熊町に入ると至るところに、
「暴力団追放のまち」という看板が設置されているが、
原子力ムラという史上最悪のテロリスト集団は、
大量のお金をもらえるためまんまと誘致・歓迎してしまった。
追放すべきは暴力団の前に原子力ムラの連中のはずだったが、
一部町民自体が大金積まれて股を開いてしまったように、
自らが原子力ムラの人間になってしまったため、
もう二度と住むことができない町になってしまった。
暴力団を追放しなくても、
この高放射線量地区に誰も寄り付かないだろう。


福島第一原発の看板が見える。
遠くに原発施設が見える。
原発施設には近づけないため、
国道6号線の遠目から原発の写真を撮影する。
8~10マイクロシーベルト/時ともちろん高い。
大熊町から双葉町に入り、
福島第一原発の敷地の端の方まで近づく。
敷地外だが恐ろしい放射線量を計測した。
40マイクロシーベルト!


何度もいうようだがこれだけ高くても、
ガイガーカウンターがなければ、
まったく危険な感じはしない。
恐ろしい高い数値ですぐに車に戻ってここを離れた。
こんな恐ろしい死の町にしてしまった原発だが、
福島第一原発のある双葉町には、
「ここは北朝鮮かよ!」と突っ込みたくなるほど、
原発洗脳のどでかいゲートが置いてある。




「原子力豊かな社会とまちづくり」
「原子力郷土の発展豊かな未来」
「原子力明るい未来のエネルギー」
「原子力正しい理解で豊かなくらし」
ここは死の町だ。
もう二度と人間が住むことができない場所。
津波や地震被害がなかった場所でも。
原発事故のせいで。
しかし原発は「豊かな社会」「明るい未来」
「豊かなくらし」「発展」をもたらすものとして、
町にどでかい看板を掲げて国民を洗脳し続けていた。
今はこの洗脳看板を誰もが見ることはできなくなった。
いかに原発が恐ろしい施設であるか、
死の町の町民だけは思い知っただろう。
しかしいまだに多くの国民は、
原発洗脳のマインドコントロールから抜け出せず、
原発がないと電力が不足するとか、経済発展ができないとか、
金正日将軍万歳よろしく、
原発がないと社会が成り立たないと思い込んでいる。
ぜひこういう人たちは、
40マイクロシーベルト/時も計測する、
この死の町で暮らしていただきたい。
東京という“安全地帯”から、
原発によっていくら儲かるか、いくら損するか、
金計算しかせず、都合のいい机上の空論ばかりだから、
放射能汚染の恐ろしさがまったくわからないのだろう。
あなたの家が明日から立入禁止になる。
あなたの町が明日から立入禁止になる。
その町にあった会社も立入禁止になる。
それがどういうことか、
この死の町を見て考えた方がいいだろう。
しかし原子力ムラのテロリスト集団は、
金儲けのためにこれだけの事故があっても、
まだまだあきらめない。
40マイクロシーベルトもの値を計測した同じ町で、
双葉町駅付近で測ったら1マイクロシーベルトしかない。
除染というまやかしによって、値を低くしたからなのだろうか。



双葉町の北、浪江町に入って、
常磐線の線路付近を測ると、
10マイクロシーベルトを超えた。
駅だけ除染して線量を低く見せかけたところで、
まったく意味がないことが容易にわかる。

警戒区域内では警視庁のパトカーや、
山梨県警のパトカーなどに出会った。
警戒区域内での泥棒に備えて警戒中のためだ。
「1週間ぐらいで戻れると思った」
とある原発被災地の人はいう。
だから携帯電話と財布ぐらいで、
何も家財道具は持ち出さないまま逃げてきた。
ところがもはや二度と戻れない町になってしまった。
だから警戒区域内は泥棒し放題なのだ。
このため全国各県の警察が駆り出され、
警戒区域内をパトロールしている。
防護服はなくマスク1つで。
何度も警戒区域内に入っているボランティアはいう。
「泥棒は県外の人だけでなくここの町の人もいる。
一時帰宅で戻って自分の家だけでなく、
近所の家から金品を盗んでいく」
これも1つの現実。
それは原発によって自分の家に戻れないという、
窮地に追い込まれてしまったからだろう。
浪江町のローソン浪江高瀬店に行くと、
商品がまだ残ったままになっていた。
ただATMのような機械だけが、
不自然に中を開けられているような様子が見られた。



この付近は国道沿いのせいか1.30マイクロシーベルト程度。
浪江町のすぐ上には南相馬市があるが今回は南相馬には入らず、
浪江町の山の方への向かう。
しかし恐ろしいことに、
津波被害のない山の方にいくと、
どんどん線量が高くなっていく。
浪江町中上ノ原の住宅街では3マイクロシーベルト前後。
浪江町井手付近では10マイクロシーベルトを超え、
最高17マイクロシーベルト。


さらに20キロ圏外で原発から離れているにもかかわらず、
前日に訪れた浪江町の津島付近では、
4~14マイクロシーベルトもある。
距離に比例しない放射能汚染の恐ろしさ。
山を除染しなければまた町が汚染されるという恐ろしさ。
死の町になるというのはこういうことなのだ。
どこか除染すればいいってものではないということを、
あちこち付近の線量を計測するとそれがよくわかる。

最後に警戒区域内に1人住み続ける、
富岡町の松村直登さん宅を訪れた。
原子力で豊かな未来の町にもかかわらず、
ここに電気はない。
原発があっても汚染だけがあるだけで、
電気はない暮らしを強いられるという皮肉。
あなたの町が家が放射能汚染で住めなくなったとして、
でも「汚染なんか気にしないから我が家で暮らし続ける!」
といったところで、電気も水もガスもなく、
店も付近の住民もいない“兵糧攻め”を強いられる。
残りたくても、住み続けたくても、
住み続けることはもはや不可能になるのだ。
警戒区域内に約3時間。
放射線量は住んでも支障のない、
低いところもあれば高いところもあった。
しかし私がいたのはたった3時間だが、
極度の緊張を感じ続けていた。
もしここで地震が起きて、
福島原発でまた何かあったら、
もしかしたら死ぬかもしれないし、
死なないまでも大量被ばくにより、
重大な健康被害を被るかもしれない。
原発事故による放射能汚染の恐ろしさとは、
実際に汚染されたことによる健康被害だけでなく、
心理面に与える不安も極めて大きい。
原発がもたらしたもの。
それは豊かな未来でも発展する町でも豊かなエネルギーでもなく、
人が住めなくなる死の町だった。
311の教訓を学ばずに、
原発再稼働だとかがれき広域処理とか、
のんきなことを言っている人がいる。
しかし全国各地に配備された原発という時限爆弾によって、
再び日本で地震が起きてどこかで原発事故が起きれば、
あなたが原発被災者となり、
自分の家や町に二度と戻れなくなる可能性もある。
うちは原発から近いわけじゃないから大丈夫?
見ての通り、放射能汚染は原発の距離に比例しない。
たまたま運悪く、その時の風向き、天候、
そして地形によっては、
原発から離れていても死の町になる可能性がある。
日本人は311から何を学んだのか。
過ちを二度繰り返す輩はバカだ。
しかし今、日本は、過ちを再び繰り返す方向にまい進している。
死の町に原子力ムラの連中を全部住まわせればいい。
死の町を実際の原子力ムラにすればいい。
国会も霞ヶ関も東電本社も原発メーカーの本社も、
原発再稼働を望む経団連なども原発推進学者も原発容認派も大手メディアも、
関係者の家族全員を強制移住させ、
原発被災者の住居を高値で買い取らせ、
それを賠償金にあてる。
東北のガレキを全部ここに持って来ればいい。
そして原子力ムラの連中が、
福島第一原発で延々収束作業にあたらせればいい。
そして今後のエネルギー政策や原発政策、
除染がいいのかどうか、日本の復興とは何かを考えればいい。
この高放射線量地区に住んで考えないから、
おかしな利権や復興政策に明け暮れているのだろう。
どこかで第二のフクシマが起きないと、
原発事故の恐ろしさはわからないのかもしれない。
そうならないために、
その恐ろしさを知ってもらおうと、
原発20キロ圏内に入ってレポートを書いた。
そして東京に戻ってきて、
私は何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。
たった3時間だけだが、高放射線量地区にいて、
ほんの少しといえども多少の放射線量を浴びた私が、
この平穏な東京にいるという、
何とも言えない罪悪感というか引け目というか、
劣等感というか不安感というか、
そんな気持ちが湧き上がってきたのだ。
多分、原発事故で政府が情報を隠ぺいしたことで、
大量の被ばくをしてしまった被災者の人は、
もっと大きな引け目というか劣等感みたいなものを、
感じているのではないか。
私はこんなに被ばくしてしまった人間だが大丈夫なのだろうか、
普通にこの先も暮らしていけるのだろうか、
という不安感にさいなまれているのではないか。
これは実際に行ってみなければわからない感覚だと思う。
私が肌で感じた恐ろしさを、
このレポートから少しでも多くの人に、
知ってもらえればうれしい。
多くの人に拡散していただければと思います。
それが日本を再生・復興する第一歩。
自分の住む家や町がなくなってしまう人が、
今後も発生しないために。
原発被災は他人事ではない。
・自衛するにはガイガーカウンターが必須
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・「津波は他人事ではない」「災害時におけるボランティアの重要性」
「災害時の情報の重要性」などを説いた講演再録
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