津波被災者の心の叫び「原発避難者ばかりなぜ優遇・・・」
2012年 05月 28日
地元の津波被災者より原発避難者ばかり優遇されるなんて・・・」
福島県いわき市の津波被災者の方から、
この現状を多くの人に知ってほしいとメールがきて、
先日、現地に行き、話を聞いた。
震災から1年以上が過ぎ、被災地は見た目には、
平常に戻っている部分も多いが、
それだけに被災者の悩みが見えなくなり、
逆に深刻化している現状があらわになった。
しかもそれは原発事故が絡んでいるがゆえに、
余計、複雑化している。
「死の町」から大量に移住・避難しているいわき市は、
震災後、福島県にもかかわらず人口増加している特異な町で、
ある種の経済バブルも起きている。
しかし、
1:津波被害のなかったいわき市民
2:津波被害のあったいわき市民
3:市外の原発避難者
という置かれた状況や被害の度合いが大きく異なる3者が、
被害の少なかった市中心部に混在して住むことで、
思わぬ摩擦が出始めている。
被災地で起きている複雑な現状をレポートする。
(取材日:2012年5月22日・23日)
・不動産なく結婚もできないほど不動産バブル
福島県は放射能問題で人口が減少しているが、
原発から40~50kmと近いいわき市だけは、
震災後、2~3万人も人口が増えたとも言われている。
約33万人の人口に対して1年でこの増え方は尋常ではない。
それは原発20~30キロ圏内の「死の町」の人たちが、
このいわき市になだれ込んでいるからだ。
「不動産がないので新居が探せず、
結婚できないカップルがわんさかいる」
と地元の市民は言う。
原発避難者だけでなく、いわき市内で津波被害にあった沿岸部の住民も、
市中心部で生活を始めた。
津波被災者も原発避難者も、元の家にいつ帰れるかもわからない。
ならばいわき市中心部に腰を据えてしまう、
という人が増えているからだ。
いわき市が原発からそう遠くない距離にもかかわらず、
風向きに恵まれ福島市や郡山市など、
中通りの都市よりはるかに線量が低い。
しかも中通りと違って雪も少なく過ごしやすい。
そのためいわき市に人口が増えているのだ。
半年ぶりにいわき市にきて、
昨年何度も借りたレンタカー屋さんは、
「人が増えて交通量も増えてますから、
運転気をつけてくださいね」と声をかけてくれた。
確かに市内は多い。
カー用品の店員は「この半年で新規会員が急増した」と話す。
「もう毎日毎日忙しくて仕方がない。
まあ商売繁盛でいいんですがね・・・」
と震災バブル景気で喜ぶはずが、
なぜか複雑な表情を浮かべる。
私が聞いてもいないのに、
「ほら、原発避難者の人は働かないでしょ・・・」
と非難めいた口ぶりで話してくれた。
・原発避難者がなぜバッシングされるのか
いわき市民にとっては人口流入、経済活性化で、
喜ぶべきはずなのになぜ原発避難者への風当たりが強いのか。
地元の人たちが不動産を確保できないといったこと、
実態はどうかはともかく「働かないで遊んでいる」といった話、
さらにはほんのささやかな行き違いだが、
「ゴミの分別が厳しくなかったせいか、
ゴミの捨て方が悪い」といった話も聞く。
さらに原発避難者は住民票をいわき市に移した人は、
まだそう多くないため、
「住民税を払っていないのに市のサービスを受け続けている」
といったことも悪感情の原因になっているようだ。
ところがこうした状況を、
「いわき市民が原発避難者に冷たくあたっている」
といったことにメールをくれた津波被災者は憤りを感じていた。
「原発被災者の声ばかり取り上げられて、
いわき市内の津波被災者の声が取り上げられない」
これは昨年からの問題だ。
私が昨年、何度となくいわきに取材に行ったが、
その度に津波被災者の多くが、
「原発報道ばかりでいわきで津波被害があったことが、
ぜんぜん取り上げられない。
取材に協力するからどんどん取り上げてほしい」と言われた。
福島=原発になってしまい、津波被害が取り上げられない。
そのために津波被災者が不満をずっと感じ続けているのだ。
メールをくれた被災者は、
「原発避難者の方が、
『なぜいわき市民の人が仮設住宅に入ってるんですか?』
と聞くんです。そんなことを聞くのは、
いわき市内に津波被害者がいることを知らないから。
またいわき市中心部に住む人の一部にも、
市内の沿岸部が壊滅的な津波被害を受けたことを、
あまり知らない人もいる」と話してくれた。
報道が少ないために、
自分たちがどれだけ苦境に置かれているか、
知られていないことに何よりも怒りを感じているのだ。
「なぜ同じ市内なのに津波被害の状況を知らないのか?」
と不思議に思う人がいるかもしれないが、
首都圏に住む人が東日本大震災で、
千葉・浦安の液状化被害がどれだけひどかったか、
すべての人が知っているわけではないだろう。
津波被害のなかったいわき市民も被災者であり、
震災直後はライフラインがストップし大混乱だった。
また市民だからこそひどかった津波被災地を、
自分のこの目でわざわざ見たいと思う人はそう多くはないのではないか。
すると報道がないと市民でも「あまり知らない」
ということは起き得るのだ。
・津波被災者より原発避難者優遇
さらに地元の津波被災者が怒っているのは、待遇の差だ。
例えば、いわき市民の津波被災者は、
プレハブの仮設住宅なのに、
原発避難者はロッジ風の木造仮設が提供される。
メールをくれた津波被災者によると、
待遇格差は今に始まった話ではなく、
2011.3.11直後も差があったという。
「津波被災者は体育館で寝起きし、
あまり物資もなくテレビもなかった。
その後、原発避難者が来たが、
はじめは体育館に一緒に寝起きのはずが、学校の教室へ。
しかもなぜかそちらの方には物資がいっぱいあり、
テレビもあった」
避難するマイクロバスすら差があったという。
「私たちは津波被災地から避難所まで、
余震と津波におびえながら、マイクロバス1台でピストン輸送。
でも原発避難者は何台ものマイクロバスに乗ってやってきた。
なぜ地元の津波被災者と市外の原発避難者がこんなにも違うのか」
そう、今に始まった話でなく、
昨年来「なぜ?」という不満が募っていたのだ。
・原発避難者が悪いのではなく行政の対応が悪い
ただメールをくれた津波被災者は、
原発避難者に不満の矛先を向けているのではなく、
いわき市の行政対応に不満を持っている。
「原発避難者の方は大変だと思います。
戻れる場所がなくこの先どうなるかもわからず、
いわきにとりあえず来ただけなのですから。
でもなぜいわき市はこんなにも地元の津波被災者と、
原発避難者とに待遇の差をつけるのでしょうか?
誰も望んでいない被災者同士、市民同士の摩擦が広がっている。
それが今、いわき市の最大の問題だと思っています」
原発避難者の中にも原発被害だけでなく津波被災者もいる。
「死の町」と化した原発避難者の苦悩は計り知れない。
でもだからといって地元の津波被災者からしてみれば、
これほど待遇の差をつけられたら怒るのは当然だ。
無論、いわき市が待遇格差をつけているというより、
原発被災地の自治体がいわき市の行政対応より、
はるかに「上手」だったこともあろう。
でも地元民からすればおもしろくない出来事として映るだろう。
だからカー用品店のスタッフも、
儲かっているのに非難めいた口調がつい出てしまうのだと思う。
・被災地で広がる歪み・妬み・温度差
昨年から何度も被災地を訪れているが、
被災地に広がっているのは、
いや日本全体に広がっているのは、
「絆」なんかじゃなく「歪み」だと以前に書いたが、
まさに今のこうした「歪み」がひどくなっている。
被害状況が違うための温度差。
偏った報道やボランティア活動により、
忘れられる被災者・被災地と、
忘れられない被災者・被災地の支援格差。
そこに原発事故による放射能問題が加わり、
単なる地震・津波被害以上に、
問題が複雑化・深刻化してしまっている現状。
歪みがひどくなっているがために、
取り残された被災者はより徒労感を募らせる。
特に今回メールをくれた津波被災者の方は、
・甚大な津波被害があったエリアに住んでいたが、
大規模半壊なものの家は残っている
・震災直後、避難所からすぐ自主避難し、
自分で市内で住居を探したため、
他の津波被災者と異なり、
市から住宅費に関して援助が受けられず、
二重ローンにあえいでいる
といった状況のため、
避難所にいた人や仮設住宅にいた人より、
ほとんど支援を受けていない。
だからこそ余計に、
「こんなに被害を受けたにもかかわらず、
なぜ私のところに支援が少ないのか」
と憤りを感じ続けていたのだと思う。
この津波被災者の方は今の心境をこう話す。
「1年が経って生活はして生きてはいますが、
時が止まったままの気がします」
今回の震災ではあまりにも広範囲かつ、
被害が複雑だったために、
こうした取り残された被災者の方もいる。
無駄なイベントして金使ったり、
仮設にばかり有り余る物資支援をするより、
困っている被災者がいっぱいいるはず、
と言い続けてきたが、
やはりそういう状況があった。
私としてもいわき市に何度も行きながら、
こういう声を拾ってこれなかったのは、
反省すべきことだと思う。
この方は今年3月に発売された、
拙著「検証・新ボランティア元年
~被災地のリアルとボランティアの功罪」を読んで、
被災者の心の叫びを取り上げてくれるのではないか、
また報道がされないいわきの津波被災地に、
何度も取材をしているから、
他のメディアとは違い期待をしてメールをくれたのだと思う。
「とりあえず今は支援がなくても生活はなんとかしています。
今、何か支援がほしいというわけではありません。
ただ震災から1年以上が過ぎても、
こうして取り残されて苦悩している被災者がいること、
そして行政のまずい対応のために、
津波被災者VS原発避難者といったような、
誰もが望んでいない摩擦が起きているという現状を、
多くの人に知ってほしい。
私が今、望んでいるのはそれだけです」
と話してくれた。
具体的に今、私たちが何かができるわけではないとしても、
被災地で今どんな問題が起きているのか、
そもそもいわき市にも甚大な津波被害もあったということなどを、
被災者以外の人たちも知っておくこと、
関心を持ち続けることが大事なのではないかと、
この方の話を聞いて思った。
311の1周年のが終わり、
自己満足ボランティアは「もうやることない」と支援をやめ、
マスコミは被災地報道を急減させ、
国民の関心もかなり薄らいできているのを感じるが、
私は引き続き被災地の現状や苦悩に声を傾けていきたいと思います。
まずは知ること。
被災者が望んでいるのは「忘れないでほしい」ということ。
私のブログを通じて、
風化していく被災地の現状を、
知っていただければと思います。
※被災者の方でメディアがあまり取り上げず、
悩んでいることがあればメールください。
kasakotaka@hotmail.com
※ただ、津波被害のなかったいわき市民、
津波被害のあったいわき市民、市外の原発避難者、
3者をみんなで集めて、お互い情報交換し、交流しあって、
いがみあうだけでなく、陰口を言い合うのではなく、
みんなで協力して新しいいわき市を作っていこうという動きもある。
・一生、家に帰れない帰宅難民インタビュー~原発の恐ろしさ~
http://kasakoblog.exblog.jp/17677403/
・書籍「検証・新ボランティア元年」
・いわき市内で津波被害がひどかった場所
薄磯
http://www.kasako.com/1105iwaki1.html
豊間
http://www.kasako.com/1106toyo.html
久之浜
http://www.kasako.com/1105hisa.html
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