ロスジェネがロスジェネという言葉を嫌う理由
2012年 06月 25日
バブル世代、老害世代の価値観に基づいたものだからだ。
一体、この世代は何を失ったというのか――?
私は1975年生まれ、就職氷河期まっただ中だった、
まさにロストジェネレーション世代であり、
昨日のブログでロスジェネ世代の愚痴みたいなことを書いたが、
私自身はこの世代に生まれたことを不運だとも不幸だとも、
ましてや何かを失ったとも思っていない。
むしろ心の底からバブル世代に生まれなくて、
よかったと思っている。
「失われた」という感覚は、
過去の常識や価値観にしがみつく、
バブル世代・老害世代の考えに基づく言葉だと思う。
一体、何を失ったのか。
「いい大学を卒業しても就職できないこと」
「就職しても過去の時代のように昇進できなくなったこと」
「就職しても過去の時代のように昇給できなくなったこと」
「就職しても終身雇用がほぼ不可能になったこと」
間違いなくこれまでの日本人の生き方・働き方の、
強固な成功モデルとなっていた、
正社員・終身雇用・年功序列というものは望めなくなり、
その意味では貧乏くじ世代、失われた世代なのかもしれない。
でも私個人が思うのは、時代が変わったおかげで、
一生、同じ会社に勤め、平日は家族と触れ合う時間も少なく、
趣味をする時間もなく、殺人的な通勤電車に40年間も、
毎日のように乗らなくてもいい選択がしやすい、
今の時代の方がよっぽど恵まれていると感じる。
むしろ過去の日本人の働き方が当たり前だった世代の方が、
「失われた世代」とさえ思えてくる。
だって正社員以外の道を選ぼうなんていったら、
大変だっただろうから。
どの世代がいいとか悪いとか、
そういうのはナンセンス。
それぞれにいい悪いがある。
ただロスジェネ世代の“ハンデ”といえば、
過去のビジネスモデルが崩壊しているので、
自分たちでビジネスモデルを作るところから、
しなければならないということだろう。
逃げ切り世代のように、
「俺は職人だから自分の仕事をやってりゃいい」
とはいかない。
自分の仕事に夢中になる前に、
その仕事で食べていくための、
ビジネスモデル作りから始めなければならないのだ。
大企業だって倒産する時代。
今、働いている会社が潰れても、
自分が生き残っていける能力が必要とされている。
過去の高度成長期のように、
ただただ拡大すれば物が売れるとか、
大々的に広告うてば売れるとか、
投資金額が多ければ成功するとか、
いいものを作れば物を売れるとか、
マーケティングすれば売れるとか、
もはやそんな時代ではない。
ビジネスモデル自体に一工夫、二工夫しないと、
どんどん右肩下がりになっていく。
一例を紹介しよう。
自分の例で恐縮だが、私が今、カメライター(カメラマン&ライター)として、
仕事ができているのは時代の変化のおかげだし、
「失われた世代」だからこそできることだと思う。
過去のバブル時代のようにお金がジャブジャブあったら、
カメラマンとライターは兼ねる必要なく、
それぞれに仕事を発注すればいい。
両方やる必要なんてないわけだ。
しかし時代は変わった。
どこも予算が少ない。
カメラマンとライター2人頼んで、
人件費が2倍になり、取材交通費も2倍になるより、
一人でできる人に頼んだ方がいい。
そういう時代背景があるからこそカメライターが重宝される。
だから私は不運というより幸運だと思っている。
また私のカメライター仕事の場合、
取材費はないけど、
海外や国内遠隔地の旅行記事を掲載したいという要望に対して、
すでに私が自腹で取材・撮影した写真と記事を、
提供することもしている。
これも時代的に予算がないから必要性が高まった。
予算がある時代なら、取材費をかけて記事を制作していたが、今はその予算はない。
でも会報誌とか雑誌に取材費をかけず、
旅行記事を載せたいという場合に、
私のようなストックがある人は重宝する。
カメラマンで写真だけ貸し出ししている人は多いが、
文章もつけてくれるとなると手間が減るので便利なのだ。
予算が少なくなったのは悲しむべきことだが、
時代の悪い面を逆手にとって、
時代の変化に合わせたサービスを提供すれば、
「失われた世代」であっても、
予算が少なかったとしても、
楽しく仕事ができる可能性があるわけだ。
いや、でも、それが20年前、30年前だったら、
カメライターにはなれなかったと思う。
なぜならポジフィルムだったから。
でも時代が変わり、技術が進歩し、デジカメが登場した。
ポジで撮るよりデジカメで撮る方がはるかに簡単。
撮ってすぐ確認できるというだけでも、画期的な技術だ。
そういう技術の進歩があるおかげで、仕事が成り立っている。
昔なら考えられないことだ。
不運なんかではない。
というか「不運」な時代なら時代なり、
そこにチャンスを見出すべきだ。
嘆いて愚痴ばかりいっていても仕方がない。
別にカメライターに限った話ではない。
ネットがない昔の時代だったら、
自分の店や事務所を開こうと思ったら、
大金払ってどこかに場所を借り、
それまた大金かけれ宣伝・告知しなければならなかった。
でも今ならリアル店舗やリアル事務所を持たなくても、
ネットショップというローリスクで少資金から、
自分の店を始めることができる。
宣伝だってネットやメールを使えばかなり安く済ませることができる。
かつてこんなことはできなかった。
そう考えたら、はるかにいい時代だと思う。
過去の世代が店を持ち、独立起業することに比べて、
はるかに少ない資金でできるのだから。
時代は変わる。技術は変わる。
ビジネスモデルも変わる。価値観も変わる。常識も変わる。
過去の常識に基づいて「失われた」とか「得した」とか、
そんなこと考えること自体がナンセンスだ。
過去の価値観に基づけば「失われた世代」かもしれないが、
それを「俺は貧乏くじひいたから努力しても無駄だ」と嘆き、
ただ日常に流され、わずかなおこぼれをもらおうと既得権益にすりより、
なだらかな右肩下がりの「死」を選ぶのか。
それとも「時代が変わってくれたおかげでチャンス!
実力さえあればワークライフバランスを考えた、
楽しい生活ができる!」と考え、
今までの価値観を捨て、リターンの見込めるリスクをかけて、
毎日、活き活きと生きるのか。
物事はとらえ方次第だと思う。
私自身は「失われた世代」というより、
こんなにいい世代はないなと思っている。
どの世代もそう。
金がないだとか何がないだとか愚痴ばかり言ってないで、
制約があるならその制約を逆に利用するとか、
今の時代だからこそできるものに目を向けるとか、
そういうことが必要だと思う。
※昔の世代の金がすべてという価値観に頼ると、今の日本国家みたいになる。
金をかければ景気がよくなると考え、
景気対策と称して金をばらまいた結果、
たいした効果もなく、いや逆にマイナス効果で、
どんどん借金ばかりが雪だるま式に増え、
挙句の果てに、その借金は減らす工夫や努力をすることなく、
増税すればそれでいいじゃんという実に短絡的な考え。
結局、すべては金を右から左に動かしているだけで、
金がなくても知恵でどうにかするという発想がないからこうなるのだろう。
どうせなら国の借金は借金をした世代が全部支払って欲しい。
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