福島と違って原発の話がでない岩手・宮城被災地の安心感
2012年 07月 08日

ここ数日取材しているが、
私が何度も取材している福島いわき市の被災地と違って、
被災者からもボランティアからも原発の話がでないので、
すごく安心して取材ができる。
福島いわき市で取材したのは津波被災地・被災者だが、
単に津波被害や今後の復興への不安だけでなく、
何はともあれ原発の話が出てくる。
もう原発の話が出るとどうしようもない。
被災者やボランティアの努力でどうのこうのできる問題ではないし、
ましてや今の電力会社や国の姿勢は、
情報隠ぺいして被ばくさせて、
病気になろうが「原発事故との因果関係はわからない」
という一言で済まそうとしているだけだからだ。
未だに福島原発には1時間もいたら、
人間が死んでしまうぐらいの、
とんでもない高放射線量があり、
何十年たっても収束できない可能性が高いことは、
十二分に知れわたっている。
でもある人は安全だといい、
ある人は逃げるべきだといい、
何を信じたらいいのかわからない状況のなか、
でも日本中、世界中からフクシマは汚染された場所、
ととらえている人も多く、
仮に今の放射線量がそれほど高くなくても、
風評被害という名の実害被害は着実にあり、
住居、仕事、将来不安を増幅させている。
こうした場所をどう支援すべきか、
ボランティアにとっても悩ましいところで、
ボランティアと話をしていても、
とりあえず今、緊急性の高い支援はしたとしても、
この先、福島がどうなってしまうのか、
どうすべきなのか、復興はできるのか、していいのか、
といった議論がどうしても出てくる。
原発問題が出てくると、にっちもさっちもいかなくなってしまうのだ。
被災者やボランティアの方と、
いろんな話をして最後に出てくる言葉は、
「原発さえなければ・・・」というこの決め台詞だ。
そういう場所に何度も取材に行っていただけに、
岩手や宮城の被災地に来て、
被災者やボランティアと話をしていてもほっとする。
原発の話が出ないから。
そもそもボランティアの多くは福島を避けている。
岩手や宮城あちこちの被災地支援を行っている人でも、
「福島はいったことない」
「一度いったけど二度といかない」
という声をよく聞く。
岩手や宮城は津波被害は甚大だが、
原発の問題はほとんどない。
大変な状況だが死の町になることはない。
今まで通りの復旧は無理にしても、
今回取材した中でも着実に復興の兆しが、
あちらこちらでかいまみえた。
今、日本では、いや世界中で自然災害が多発している。
自然災害が他人事と思っている人でも、
自らが被災者になり、自らが被災地になる可能性も十分ある。
そんな時、今回のように、
原発問題がつきまとう「フクシマ」になってしまうか、
それとも原発の話がでない岩手、宮城になるか。
それによって復興のスピードも将来への不安も、
ボランティアの集まり具合もいろんな意味で、
すべてが変わってくる。
国会事故調は原発事故を電力会社や官僚の人災と位置付けたが、
原発事故は収束したという詐欺的発言をした首相が、
原発再稼働にやっきになっている。
日本では「第二のフクシマ」になる場所が出てくるかもしれない。
そうなったらその地は他県に比べて、
大いなる支援格差が生まれるだろう。
「原発さえなければ・・・」
福島の被災地取材で交わされるこの言葉が、
またどこかで繰り返されるかもしれない。
福島で取材しているより精神的にはとてもプレッシャーの少ない、
岩手、宮城の復興の兆しを明日まで取材を続けます。
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