あらゆる発展の可能性を閉ざしてしまうのは、
自分に対する自分のイメージだと思う。
オリンピックで日本サッカーの躍進が目覚しいが、
彼らが彼ら自身で、周囲の下馬評などにも惑わされ、
「オレたちは決勝トーナメントに行けるかどうかも微妙」とか思っていたら、
その自分自身に対する強固なイメージから、
その上を行く成果はまず上げられないんじゃないか。
自分に対する過小評価やマイナスイメージはもちろんのことだが、
「自分は今これをやるべきだ」「自分にはこれしかない」といった、
マイナスではないが、自分のキャラづけの限定も怖い。
早く結果を出し、何かを成し遂げなければとあせるあまり、
手っ取り早い自分のイメージ像を固めてしまい、
そこに向かってまい進すれば変に迷わなくて済む。
でもそれをやっているうちに疑問が出てくるわけだ。
「ほんとに、これ、自分のやりたいこと?」
「ほんとに、これ、自分がすべきこと?」
「ほんとはこんな風になりたかったわけじゃない」と。
でも一度、自分を自分で既定してしまったイメージ像を、
修正するのもそれはそれで面倒だ。
だから仕方なく、というかこれで正しいんだと、
無理やり思い込ませて、ほんとは違うと思いつつ、
そのイメージ像の目標にしがみついてしまう。
そうならないために、どこかでいつでも、
自分の自分像をリセットボタン押せる準備をしておくことだ。
これまで積み上げてきた地位や実績にしがみつくんじゃなく、
違ったと思ったらリセットボタンをぽんと押して、
またぜんぜん違う自分像を作り上げていく。
そういう軽やかさというか自分に対する素直さというか、
自分を客観視できる力がないと息詰まってしまう。
自分のキャラを固定した、
特定のものにしてしまう物の一つに服装がある。
自分ではいろんなバリエーションの服を選んでいるつもりで、
でもよくみたら同じようなものばかり。
その服装のイメージに人は集まってくるし、
その服装のイメージに自分も合わせようとして行動してしまう。
服装によってキャラが固定化され、
そこから抜け出させなくなってしまう。
東京少女という女性の写真を撮ることがある。
モデルになっていただいているのはほとんどが、
モデル経験などもなく、
もちろんこんな風に写真を撮られたことはない人ばかり。
モデルになっていただいた女性とは、
撮影の前に打ち合わせをする。
打ち合わせといっても雑談だ。
そこから私が適当なイメージを想起して、
撮影のために2パターン服装を用意してもらう。
だいたいそのうちの1パターンは、
本人があまり着たことがない、
というか自分では似合わないんじゃないかと、
避けてきた服装をお願いする。
「そんな服、着たことないし似合うかどうか・・・」
と不安に思う人もいる。
でもいつもと違ったイメージの服装で写真を撮られることで、
もしかしたら今までとはぜんぜん違った、
というかこれまで抑えてきた自分というものが、
発見できる可能性もある。
いや、それでも本人の固定観念というのは相当強固なもので、
「なんだやっぱり似合わないじゃん」と思ったりするかもしれないけど、
その写真を見た知人から「○○ちゃん、なんかいつもと雰囲気違う!いいじゃん!」
なんて言われることもある。
そうやって固定化された自分の枠組みを、
一度とっぱらって新しい物にチャレンジしてみる。
それが成功するか失敗するかはわからないけど、
今まで除外してきた選択肢を選んでみることで、
自分の違った可能性が見えてくることもある。
そういえば旅写真が主だった私が、
数年前に女性写真をアップしたら、たいそう驚かれたが、
今はネット経由で撮ってほしいという女性の方がくるぐらい、
定着した一コンテンツとなった。
今年はまさか自分なんかがやるわけないと思っていた、
講演を何度もやったり、音楽を作ったりもする。
でもそうやって固定観念に捉われた、
自分のイメージ像をいい意味でぶち壊していきながら、
いろんな可能性や視野を広げていかないと、
縮小均衡していってしまうように思う。
そんなわけで最近撮影した東京少女写真。
モデル、とねこさんの写真をアップしましたので、
よかったらご覧ください。
とねこさん写真




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