それを見て思った。
五体満足なのに不平不満ばかり言っている人って何様なんだろうって。
自分がいかに恵まれているかを知らないのではないか。
マスコミが連日重要ニュース無視で、
バカ騒ぎしたロンドンオリンピックだが、
障害者スポーツの祭典パラリンピックが始まる。
そういえばつい最近、
日テレで24時間テレビをやっていて、
台風の最中、義足の少女を屋久島登山に決行させただとか、
世界遺産にもかかわらず撮影スタッフが、
立入禁止エリアに立ち入っただとか、
著書「五体不満足」で知られる乙武洋匡氏が、
「障害者を「かわいそうな人たちが、こんなに頑張っている」
と扱ってしまうことに違和感を覚えた」ので、
10年以上前に24時間テレビのメインパーソナリティーを断ったこと、
「(24時間テレビに)登場する障害者は、
あきらかに憐憫の情で見られている気がした。
僕は、番組を見なくなった。」とブログでコメント。
さらに、
「「24時間テレビを放送するのと、
パラリンピックを24時間放送するのと、
どちらが障害者理解が進むのか」とつぶやき、
(中略)僕は、「どちらも一方では進まない」と考えている。」
と述べるなど、障害者の話題が最近多い。
そのせいではないんだけど、
私は日曜日には片腕のないかき氷屋を見て、
火曜日には片足のない人が目の前に座っているのを見た。
私は障害者にもアフリカの子供たちにも被災者にも福島にも同情はしない。
ただ困っている人がいて、自分に余裕があるのなら、
障害者だろうが健常者だろうが、
それはそれで手助けすればいいと思う。
ただ何より、私が腹立たしく思うのは、
五体満足なのに、自分の与えられた環境や境遇に、
いつまでたっても文句を言っている輩。
障害を持つ人のハンデに比べたら、
五体満足で生まれたことがどんなにありがたいことか。
ぐずぐず文句ばっかいってないで、
その恵まれた体でいつまでもマイナス思考になってないで、
過去のことを呪っていないで、前向きに生きろよと思う。
もちろん障害を持つことよりも、
もっと大変なハンデを背負うこともあるだろう。
自分にはどうすることもできない、
不遇な環境に生まれ育ったせいで、
自分の人生が一般の人より制約を受けているかもしれない。
でもものすごい逆境や不遇な人だって、自らその運命を跳ね返し、
というかむしろそのコンプレックスをモチベーションにして、
偉業を成し遂げたり、幸せな人生を送っている人なんていっぱいいる。
でも「私は幸せなんかになれない」とあっさり言ってしまう。
五体満足で何を言うか。
過去は変えられなくても未来は変えられる。
変える努力をしたくないから、
過去のせいにしているだけじゃないか。
自分で私は幸せになれないと言っているから幸せになれない。
不幸な選択ばかりしてしまう。
ないものねだりするんじゃなく、
過去に縛られてばかりいるんじゃなく、
今、与えられている五体満足な恵まれた条件を使って、
少しでも幸せな人生に向かって努力すればいいじゃないか。
幸せになれると思えば必ずなれる。
いつまですねていても現状は何もよくならない。
そういう弱い気持ちを持った人が、
障害者を“だし”にする番組や、
世界の貧しい子供たちを見たりして、
「自分よりも不幸な人がいるなら、自分は幸せになれるかも」
と思えるのなら、それはそれで意義があることなのかもしれない。
そもそも生まれたことが奇跡。
生きていることが奇跡。
生まれ出ようとしたのに死んでしまう人もいる。
生きたかったのに突然、災害や事故で亡くなってしまう人もいる。
ならば五体満足で命があることが、
どれほど幸せで恵まれた環境にあることか。
311で思い知ったのではなかったか。
不平不満のあら捜しばかりしていないで、
少しでも過去より現在、現在より未来がよくなるよう、
自分はそうなれると思い込んで、日々の人生を歩んでほしい。
そんな風に思った。
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