人気ブログランキング | 話題のタグを見る

3月に死ぬと言われた難病患者の想いと壮絶な半生

3月に死ぬと言われた難病患者の想いと壮絶な半生_e0171573_1165723.jpg

「年末に余命3ヵ月と言われて、
もう桜は見れないのかな、
子供の卒業式に間に合わないかなと思ってました」
と語るのはセラピストの與倉ひとみさん(46歳)。
10万人に1~2人とも言われる難病、
ギラン・バレー症候群の再発ほか、
悪性リンパ腫再発など数々の合併症で、
2011年の年末に四肢マヒ状態で倒れた。
余命は3ヵ月と言われた。

彼女に私がインタビューしたのは2012年10月のこと。
余命宣告から半年以上過ぎているが、
一般の人となんら変わりなく生きている。
そんな話を聞かなければ、
難病を患っているようにも見えず、
余命宣告されたとも気づかないだろう。
病院であったわけではなく、
ステーキ屋でともに食事をしながら話を聞いた。

これまで何度も死にかけたが、
もう今度こそ人生が終わるかもしれない。
体温は34度まで下がった。
ここまで体温が下がると、
どんどんガンが進行してしまう。
でも絶対に抗ガン剤だけは使いたくない。
痛み止めも使いたくない。
そんなことしたら免疫が低下して、
3ヵ月どころか1ヵ月も生きられないかもしれない。

自身がセラピストであり、ケアトレーナーとして、
これまで自分の病気や家族の病気と、
何度も戦ってきた経験から、
薬はできるだけ拒否し、
自分の信じる高周波治療と、
栄養学をベースに治療に専念した。

でも死んで周囲に迷惑はかけたくないと、
鹿児島にある施術院は2月にたたんだ。
3月は治療に専念した。
子供の卒業式には出席することができた。
3月31日の日には眠ることができなかったが、
4月1日も朝日を見ることができた。

友達に生きているとメールすると、
「エイプリルフールじゃないよね?」と言われ、
「死人がメールを打てるわけはない」と返した。
その後も自身の信じる治療とリハビリに専念し、
今では普通に生活できるまで回復した。

ひとみさんがすごいのは、
死にかけた経験はこれが初めてではないこと。
12歳からバレーボールを始め、
選手としても活躍していた。
どちらかといえば圧倒的に体力・気力はある部類に入る。

しかし19歳の時に原因不明の高熱が続き、2ヵ月入院することに。
食べることもできず、点滴で生かされ、
生死をさまよい続けた。
しかし血圧が下は30、上は50という状況。
点滴も入らず、死人のように顔は青白くなっていた。
体重は20kg減った。

もうどうにも手の施しようがない。
困った父はダメもとで、
近所で評判になっている山奥に住む、
祈祷師のようなことを生業にしている人のところへ行く。

すると先祖がのりうつった祈祷師から、
「先祖の刀を粗末にするではない!きちんと奉れ!」
との話を聞き、
先祖代々伝わる錆びついた刀を鍛冶屋に持っていき、
きれいにした後、家で奉ると、
なんとひとみさんの熱は下がり、あっという間に回復したという。

社会復帰も果たし、21歳には結婚。
出産は無理と医者に言われたが、22歳で出産もし、
幸せで平凡な家庭生活が始まるはずだった。

しかし24歳の時、第二子を授かったが、
妊娠4ヵ月目で、自身はまたしても高熱にうなされる。
水銀体温計が何度も振り切れて壊したという。
42度の高熱があったという。
一方、子供は流産しかかっていた。

医者からは「どちらかしか助からない」
と言われたが、上半身は高熱を冷やすため、
アイスノンをつけ、
下半身は子供を守るため、
湯たんぽをつけるといったこともして、
薬を飲まずに何とか自身も治り、子供も無事に生まれた。
26歳の時には無事に3人目の子供も生まれた。

ところが29歳の時、家族中が風邪で寝込む事態があり、
ひとみさん自身もせきが続いていた。
病状がひどい次男を病院に連れて行き、
看護婦さんに渡した後、自身が倒れた。
急性ぜんそくで救急車で大きな病院に運ばれたが、
病院に着いたところで心肺停止。
その後、3日間、生死をさまよったが、生きながらえた。

その後は3人の子育てをしながら、
じん肺患者の父親の看病介護生活を続ける。
この体験からじん肺患者など、
病気で苦しむ人を助けたいと思い、
35歳でセラピストとして施術院を開業。
口コミで施術やアドバイスが評判になり、
全国からお客さんが来るようになり、
予約は半年待ちの状態となった。

ところが40歳にして再び悪夢が訪れる。
ある日、突然、左腕がまるで棒のようになり、
まったく動かなくなった。
病院に行って検査をすると、
腕に悪性リンパ腫が3つあり、
このまま放っておけば、余命は3ヵ月だという。
九州大学か大阪大学の病院に行くしかないといわれ、
そのまますぐ飛行機に乗って、阪大の病院へ。
3日後に手術をし、転移もなかったため、助かったという。

さらに43歳の時。
今度は声がでなくなった。
はじめは風邪かとも思っていた。
しかしその1週間後、仕事に行こうと、
家を出ようとした時、全身マヒ状態になり、
まったく動けなくなってしまった。
意識はある。でも動けない。
隣の部屋にあるケータイをとり、
誰かに連絡せねばと思っても、
そこまで到底動くことはできない。
朝8時過ぎにマヒ状態になり、
夕方17時半過ぎに帰ってきた娘に発見された。

信頼できる遠方にいる知り合いの医者に電話し、
症状を伝えたところ、
難病であるギラン・バレー症候群ではないかという。
筋肉を動かす運動神経の障害のため、
急に手や足に力が入らなくなる病気だ。
近くの病院に行き、知り合いの医者と話をしてもらいながら、
ギラン・バレー症候群の処置をしてもらったが、
1週間は危篤状態だったという。

2ヵ月間の入院。
当時、1本5万円はしたという、
グロブリン注射を30回は打ち、
なんとか一命は取りとめた。
しかし命を取り戻せば、
重くのしかかる治療費に愕然とするも、
マヒ状態からのリハビリが大変で、
退院後も四つんばいで歩くことから始めるなど、
大いに苦しめられた。

そんなギラン・バレー症候群が、
45歳の時、2011年年末にも再発し、
悪性リンパ腫、腸炎にもなり、
3月までしか生きられないと言われたものの、
今は元気に生きている。

・・・

ひとみさんがこうした話をしてくれて、
文章にまとめて発表したいと思ったのは理由がある。

自身がこれまでいくつもの病気と戦ってきた経験。
父や母の看病生活での体験。
セラピストとして多くの人の体を見てきた経験。
それによって難病に苦しむ人はもちろん、
多く人たちに、自分で病気をケアする方法や、
病院、医者、治療法の選び方を世に残したいと思ったからだ。

「もう私の体はボロボロ。
いつ死んでもおかしくない。
残された時間はきっとわずかしかない。
それまでに私の経験から、
医者や病院に惑わされず、
薬だけに過度に依存するような状態ではなく、
自分の病気を自分自身が正しく知り、
適切な治療法を選べるアドバイスをこの世に残したい。
それが私の使命だと思う」

日本の医療業界には多くの問題がある。
今の医学では治療できない、
原因不明の病気も多くある。
そうした状況の中で、一人でも多くの人が、
体や病気に対する正しい知識を持ち、
元気に暮らせるようになれたらという思いを、
強く持っているひとみさん。

鹿児島の施術院はたたんだ。
秋から横浜に拠点を移し、
施術やカウンセリング、セラピスト指導を続けていく。
残された時間の中で、
人の役に立つことを1つでも多くしていきたいという、
ひとみさんの思いを実現するため、
今後も取材を続けてネットで紹介していきたいと思います。

※難病にお悩みの方、セラピスト指導を受けたい方は
h.yokura@upshare.co.jp


かさこマガジン広告募集中!
http://kasakoblog.exblog.jp/19014801/

Amazonで買い物する際、下記よりお願いできればありがたいです。
Amazon
(有料メルマガに頼らない私の方法 http://kasakoblog.exblog.jp/18718552/

かさこツイッター(お気軽にフォローどうぞ。基本フォロー返しします)
http://twitter.com/kasakoworld

by kasakoblog | 2012-10-17 01:17 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


by kasakoblog