ゲーム「どうぶつの森」は日本社会の嘲笑か?
2006年 10月 24日
どんなゲームかというと、村の住人となり、
自分の部屋の家具を集めたり、村の他の住人と仲良くなったりする、
たまごっち的というかポスペ(ポストペット)的なゲームである。
通信機能を使えば、どうぶつの森をやっている他の人とも遊べる。
このゲームのおもしろいところは、リアルタイムに時が流れること。
季節に応じてイベントがあったり、木になる果物の種類や捕れる虫の種類が変わったり、
時間に応じて外が明るくなったり暗くなったりして、夜になると店も閉まる。
こうしたリアルタイムと錯覚してしまう時間設定が、
現実と錯覚しかねないバーチャルリアルとして楽しめるのだろう。
とまあ、おもしろそうだしかなり流行っているし、やってみたのだが、
私は急にばからしく思えてしまった。
なぜならこのゲームの最大の関心事は住宅ローンの返済にあるからだ。
自分の家があるのだが、部屋を広くしたり部屋数を増やす度に、
かなりの住宅ローンが背負わされる。
それを支払うために、ただひたすら、
変わり映えのしない小さな村で、
1:貝や魚や虫や果物を拾う
2:それを村に1軒しかない商店で売る
3:郵便局で返済していく
の繰り返しなのである。
もちろんその合間につり大会やどんぐり大会などイベントがあったり、
村の住人が家に遊びに来たり会話をしたりという付随要素はあるものの、
結局は拾った物を金にし、ローンを返済することをし続けるゲームでしかないのだ。
だったらローンなんか組まなければいいと思うかもしれないが、
家を広くしていかないと、いろいろな家具を置くことができず楽しめないのだ。
その原理がわかってしまうともうゲームなんかどうでもよくなる。
なんでゲームの世界でも住宅ローンを支払うために、
あくせく働かなきゃいけないのだと。
しかし思えばこのゲーム、もしかしたら、
今の日本社会の痛烈な皮肉によって、わざとこのように作られているのかもしれない。
住宅ローンを返済するために一生の大半を、ただあくせく働くことに費やす。
働いても働いても家に家具や服が増えるだけで、
それを楽しむためにまたローンを組んで家をでかくしなければならない。
住宅ローンを返すために働くことが最大の目的になり、
人生を楽しむ暇も時間もない。
そして住宅ローンを完済した暁には(このゲームには家を大きくできる限度が決まっている)、
のんびり余生を楽しもうと思うわけだけど、
結局もうその頃には、疲れ果ててしまい、遊ぶ気力もなく、
また、物にいっぱい囲まれているものの、だから何ができるわけでもない。
何より、住宅ローンを返済するという具体的な目標を失ってしまった今、
何を生きがいにして生きていけばよいのかがわからない。
これまさしく「どうぶつの森」のゲームの仕組みであり、
まさに、今の日本社会の映し鏡になっているのではないか。
ちなみに勧誘のしつこい保険屋がたびたび家の前をうろうろし、
一度話をしてしまうと保険に加入するまで離してくれないとか、
株もあって、値段も上下する。
どうせなら一層のこと、金融学習ゲームにしてしまい、
サラ金とかクレジットカードとか不動産投資とかも、
このかわいらしいゲームに混ぜ込んでしまえば、
それはそれでおもしろかったかもしれないが、
残念ながらただひたすら住宅ローン返済ゲームなのである。
なんとも皮肉なゲーム。
それでも私たちは住宅ローン返済のためにあくせく働くしかない。
それが嫌だから、親と同居することで、
悠々自適の暮らしをしているニートやフリーターが増えるんだろうな。