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福島避難民の告白「子供と一緒に暮らせるのが何より幸せ」~移住した山形で再会

「まさか、山形県で再会するとは!」
1年半前に、私は福島県いわき市の避難所で、
いわき市に住むAさん(30歳)に初めてお会いした。
その後、私が何度もいわき市に被災地取材に行くようになり、
その度に、Aさんとお会いしていた。
一昨日、そのAさんと山形県酒田市の被災地写真展をしている、
展示会場でお会いした。

Aさん「まさか山形でいわきの被災地写真を見ることには」
かさこ「まさかAさんと福島ではなく山形でお会いするとは」
Aさんは福島から家族ごと県外移住し、
山形に移り住んでいたからだ。

Aさんは根っからのいわき市民で、
いわきをこよなく愛している人だ。
東日本大震災が起きた時にも、
Aさんは内陸部にあったために、津波被害はなかったが、
いわき市内で海側に住んでいる津波被害にあった人たちのために、
避難所などを巡って支援を行ったり、
また、津波被害にあわなくても、原発から近かったため、
原発事故当初、いわき市内で物が不足しがちだった大混乱期に、
津波被災者に限らず、いわき市民の役に立ちたいという思いから、
「情報ボランティア」という形で、
ネットでコミュニティを立ち上げ、
食料品やガソリンや店舗の再開情報など、
生活する上で欠かせない市内の情報を提供していた。

地元を愛するがゆえに、
地元の支援を続けていた一方、
支援を続ける中で原発についての情報もいろいろ聞くようになった。

子供が3人いる。
子供をここに住まわせていいのだろうか?
それは単に原発が危ないかどうかとか、
放射線量が高いか高くないかどうかとかいった以前の問題で、
原発事故による「福島差別」はぬぐいがたいものであることを、
徐々に確信するようになった。

自分は福島を、いわきをこよなく愛している。
自営で商売をしているから、お客さんも福島にいる。
いわきは原発事故対応への拠点となっており、
震災後、人口も急増し、バブルのような状況。
商売をする上ではいわきに残った方がいい。
でも子供のことを考えると・・・。

そこでAさんは苦渋の選択をした。
2011年11月に奥さんと子供3人を、
奥さんの実家の山形へ一時避難ではなく移住をさせ、
しばらくAさんだけは福島いわきに残って仕事をする、
逆単身赴任状況をしようと。

こういう人は今いっぱいいる。
仕事の関係上、旦那さんは福島に残らざるを得ないが、
どう考えても子供たちを福島に残しておくわけにはいかないので、
とりあえず奥さんと子供たちだけは、
県外に避難させるという人たちは。

家族を山形に移住させ、一人残ったAさんは、
家族とともに暮らせず、一人だけ福島に残っていることに苦悩していた。
しかし運良く、様々な条件が思ったよりも早く整い、
2012年11月に福島いわきを完全撤退し、
家族の住む山形で事業を始めることができたのだ。

そんな状況でAさんと山形で再会した。
Aさんはこんな風に話していた。

「この1年、人生のどん底だったけど、今は最高に幸せ。
子供たちと離れ離れにならず、一緒に暮らしせるから」

でもAさんは心苦しい思いも抱いている。
今まで生まれ育ち、こよなく愛してきた故郷=福島いわきから離れることを。
また自分たちだけが移住し、友達やお客さんをおいてきてしまったことを。
でも仕方がない。
原発事故が起きたという重い事実はしっかり受け止めなければならない。
自分にとって何が大事か。
それは間違いなく家族。
ならばこのような選択肢は心苦しくとも、
自分にとってはベストな選択なはずだと。

・・・・
原発事故がどれほどの人の人生を破壊的に狂わせたのか、
霞ヶ関の官僚も国会でままごとしている政治家も、
四半期決算の数字しか興味がない経団連をはじめとした大企業も、
自分たちは安全地帯で指示だけ出し、
危険な作業は下請けにやらせる東京電力も、
所詮は原発事故は他人事。
自分たちが儲けるためには再稼動しかないと思っている。
それは原発事故によって人生を狂わされた人の苦悩を、
自分の足と目と耳で聞いていないからだろう。
いや聞いたとしても自分は安全だからいいと思っているのだろう。

Aさんのように移住できる人はそう多くない。
多くの人は仕事の関係上、福島に留まざるを得なくなっている。
家族だけ避難できる人もそれでも幸せかもしれない。
そんな二重生活するほどの拠点も基盤もなければ、
逃げたくても福島にい続けなければならない。
現実に移住できないなら、
悪いニュースは聞かなかったことにするしかない。
だから外野から「早く逃げろ!」と言われると頭にくる。
そんなのわかっているけど、金がない、仕事がないんじゃ!と。

私がたまたま山形酒田にいるかさこ読者の方から声がかかり、
酒田で写真展と講演会をすることになった。
でもまさかそこで昨年、福島の被災地で何度もあった、
いわきの方とお会いするとは思いもしなかった。

でも思いもしなかったことを原発事故がもたらした。
Aさんは「まさかこんな人生になるとは思いもしなかった」と、
当人が一番驚いている。

政党が乱立しているがほとんどが「2030年代に原発ゼロ」という、
あと20~30年も原発を動かし続けるとほざいている政党ばかり。
だったらおまえら福島の死の町に住めよ。
自分たちの家は移住したい福島の人に差し上げればいいと思うわけだ。

地震や津波も甚大な被害があった。
でも復旧・復興はできる。
しかし原発被災地は違う。
復旧・復興は困難だ。

じじばばだけがどうせ死ぬなら、
住み慣れた場所で死にたいというなら、それはそれでいい。
しかし実際には除染というまやかしや、
たいした影響はないという無責任な情報で、
福島にいさせることを強要している。

だから本当は逃げたい人でも逃げれず、
家族バラバラになったり、二重生活をしたり、
大変な困難な状況に追い込まれている。

山形で写真展を展示している会場のスタッフの1人は、
福島市出身でたまたま転勤で山形に来たという。
「ほんとはもう帰ってもいいんだけど、
除染なんかやってもぜんぜん下がらない。
ちょっともう帰れそうにないから、
このまま山形にいようかどううしようか迷っている」
と話してくれた。

被災地と直接関係のない場所に行っても、
原発事故によって苦しめられている人たちに、
何人も会ってしまう。
そのぐらい原発事故というのは他人事ではない、
日本全体にかかわる深刻な問題なのだ。

「家族と一緒に暮らせることが最高の幸せ」と、
Aさんがいうように、そんな当たり前のことができなくなる、
原発という恐怖。

もう一度そのことを考えた上で、
次の選挙、どの政党に投票するのか、
しっかり考えたい。

原発事故は他人事じゃない。
東日本全土が全滅していたかもしれないと、
前首相が言っているぐらいなのだから。

・Aさんの移住の決断告白ブログ
http://kasakoblog.exblog.jp/17084590/

・「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」菅直人著

・原発20キロ圏内レポート~あなたの家や町が立入禁止になる恐怖
http://kasakoblog.exblog.jp/17660549/

・一生、家に帰れない帰宅難民インタビュー~原発の恐ろしさ~
http://kasakoblog.exblog.jp/17677403/

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by kasakoblog | 2012-11-19 13:47 | 東日本大震災・原発

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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