
ましてや今、立候補している政治家のほとんどは、
311の教訓からも学ばず、甚大な人災を引き起こす、
原発再稼動にまい進中だ。
いつ自分が被災者になるかもわからない状況の中で、
今、やっておくべき重要なことは、
同時被災しない場所とのつながりを持つことだ。
同時被災しない場所とのつながり、
すなわち東日本の人と西日本の人とが知り合いになれば、
どちらかで災害が起きた際にいろいろな助けになる。
こういうつながりがあるかないかで大きな命運をわけた、
といっても過言ではないだろう。
今回の東日本大震災で被災地を救うことになった、
商店街のネットワーク事例を紹介したい。
「なんでわざわざ大阪まで行って、
仏壇屋が芋煮作って売らなきゃいけんのよ。
まったくはじめは意味わからんかった」
というのは山形県酒田市の商店街で、
仏壇の販売をしている仏壇の佐藤さん夫婦だ。
2008年頃、地域活性化などの取り組みをしている、
コーディネーターの藤村望洋氏から、
全国各地の商店街を結ぶ「ぼうさい朝市」の企画を知った。
来るべき災害に備えるためには、
全国各地に点在する商店街同士がつながり、
防災協力をする必要がある。
その予行練習ともいえる「ぼうさい朝市」を開催し、
全国の商店街が集まり、支援物資の炊き出し市のような、
物産展をやろうというのが内容だった。
「なぜそんなことわざわざする必要があるんだ?」
はじめはまったくその意味がわからなかった。
山形酒田市、宮城県南三陸町、岡山県笠岡市、兵庫県佐用町、
その他、大阪や鹿児島、島根、福井など、
いくつかの商店街が集まり、この「ぼうさい朝市」を開催した。
わざわざお金をかけて、大阪まで朝市のために出向き、
本業でもない芋煮を作って売ることに、
正直、面倒だと思っていたという。
しかも災害が起きていない時に、
防災イベントをやっても人々の関心は薄い。
だから余計にやりがいがない。
しかしこの防災ネットワークが思わぬ効果を生むことになった。
そう、311、東日本大震災が起きたからだ。
「ぼうさい朝市」で何度か顔を合わせていた、
宮城の南三陸町が甚大な被害を受けた。
まさにこの時のために、防災ネットワークがあったんだと知った。
「混乱した被災地に物を送っても、二次災害を引き起こすだけ」
と佐藤さんは語る。
かつて山形酒田市で市街のほとんどが火事で焼けてしまう、
「酒田の大火」があったが、
その時、体育館に山のように全国から届いた支援物資が邪魔になり、
人災を引き起こしたことを知っていたからだ。
「被災地に何でも送ればいいってもんじゃない。
はっきりいっていらないものを送られても邪魔になるだけ。
そもそも混乱した被災地で仕分けをするのも大変だし、
中身を確認するのも大変。
被災地支援をするには、被害を受けていない隣接の町に、
支援物資を集め、そこから被災地に物資を運ぶべき」
というのが、かつての災害からの教訓でもあった。
この時のために「無駄」とも思える「ぼうさい朝市」を行ってきた。
このネットワークに参加していた商店街の中で、
南三陸に近いのは酒田だった。
「うちらが支援の拠点になる!」
大阪、岡山、鹿児島など、
他の商店街からの支援物資や義援金を、
山形酒田の商店街に送ってもらう。
わざわざ西日本から被災地に駆けつけるには、時間もコストもかかる。
ならば被災地に近い人に、
物やお金だけ送ってもらう方がはるかに効率がいいし、
支援する側の負担も減るという利点もある。
ただ佐藤さんが一番はじめに被災地に行く際、
ちょっと困ったことがあったという。
「『仏壇のさとう』って書いてあるワゴンで、
被災地に行くわけにはいかねえよな・・・」
「支援物資輸送車」というステッカーを作り、対応した。
支援物資を持って、酒田から被災地へと行く。
隣といっても、日本海側の酒田市から、
太平洋側の南三陸に行くまでは車で4~5時間かかるが、
3月18日に被災地に入って以降、
何度もこうした「ぼうさい朝市」のネットワークを活用し、
被災地支援を行ったのだった。
被災地の混乱の中で、
被災していない隣地域とのネットワークが、
いかに大事かということを物語るエピソードがある。
2011年4月のこと。
避難所となっている小学校で、ノロウイルスが流行し、
このままでは全滅しかねないとの、
切迫した支援メールが被災地からきた。
酒田で消毒液となる材料をすぐさま集め、翌朝に配送した。
その早さに被災地では驚いたという。
実はすぐそばの避難所にも、
消毒液の材料があったということが後日わかったらしいのだが、
混乱した被災地では、避難所同士の連絡もままならない。
同時被災していない、隣の町に頼んだ方が、
着実に届けやすいということもいえるだろう。
「2008年から朝市という形で顔見知りになっていたから、
お互いに信頼しあって支援ができたんだと思う」と佐藤さんはいう。
無駄だと思った「ぼうさい朝市」が見事に役に立ったのだ。
・・・・・
山形酒田で11/17に「被災地取材を通した防災講演」をする際、
これまで東京や宮崎で実施したスライドにプラスし、
最後に「同時被災しない場所とのつながりを。
ぜひ私とツイッターやフェイスブックでつながっていただければ、
何かあったら酒田に行きます!」というのを加えた。
その翌日、仏壇のさとうさんに話を聞くことになり、
同時被災しない場所とのつながりの重要性を聞いた。
災害時の企業の防災対策では、
同時被災しない場所に第二本社を置くとか、
データセンターを分散しておくといったことが重要だと言われる。
それと同じように個人レベルでも、
同時被災しない場所とのつながりを、
持っておくことが重要だ。
ただ残念なことに、今回の東日本大震災でわかったことは、
こんな大災害が起きているにもかかわらず、
いや、こんな大災害が起きたからこそ、
「お隣」同士が対立しあい、協力しない場面も多く見られた。
山形の交流会で福島から来た人に、
「福島だと中通りと浜通り、会津の3つにわけているけど、
そんなに違うんですか?」と質問していた人がいた。
県外から見れば、中通りも浜通りも会津も同じ福島だが、
県内感情でいうと同じ福島でも地域が違えば、
人種が違うがごとく考える人も中にはいる。
福島のいわき市なんかでも感じたことだけど、
市内の町の人と津波でやられた海側の人は、
また「人種が違う」といい、あまり仲がいい感じはなかった。
別に福島に限った話ではないが、
本来助け合うべき隣合い同士は、
距離が近すぎるがゆえに、些細な違いを大きく取り上げ、
いがみ合い、ライバル視する傾向が強い。
日本、中国、韓国のいがいあいが、
西洋人から見たらバカらしいかもしれないが、
ヨーロッパ同士が未だに一つの国にならず、
県みたいな小さい単位で国として存在していることが、
アジアから見ればバカらしいと感じるように。
そうした感情論の対立はどうしても発生してしまう。
ならば少し離れた隣町と、つながりを持っておき、
いざという時には助け合えるようにしておくのは、
非常に重要だなと思った。
今はネットがあり、ツイッターでもフェイスブックでも、
県内の狭いつながりから脱して、
ぜんぜん違う地域の人とつながりやすくなった。
そうしたつながりを利用し、
災害が起きた時に助け合えるようになれれば、
災害後の人災は随分減るだろうなと思う。
私もネットを通じていろんな読者と、
オフ会や講演会を通じて知り合っているので、
そうしたネットワークで災害時に助け合えたり、
または被災地からSOSがあった時に、
私が現地に飛んで情報を拡散するといった、
そんな役割ができるのではないかと思っています。
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