人気ブログランキング | 話題のタグを見る

同時被災しない場所とのつながりを~災害に役に立った商店街ネットワーク

同時被災しない場所とのつながりを~災害に役に立った商店街ネットワーク_e0171573_2285892.jpg
政治家が誰になろうが、自然災害は止められない。
ましてや今、立候補している政治家のほとんどは、
311の教訓からも学ばず、甚大な人災を引き起こす、
原発再稼動にまい進中だ。

いつ自分が被災者になるかもわからない状況の中で、
今、やっておくべき重要なことは、
同時被災しない場所とのつながりを持つことだ。

同時被災しない場所とのつながり、
すなわち東日本の人と西日本の人とが知り合いになれば、
どちらかで災害が起きた際にいろいろな助けになる。
こういうつながりがあるかないかで大きな命運をわけた、
といっても過言ではないだろう。
今回の東日本大震災で被災地を救うことになった、
商店街のネットワーク事例を紹介したい。

「なんでわざわざ大阪まで行って、
仏壇屋が芋煮作って売らなきゃいけんのよ。
まったくはじめは意味わからんかった」
というのは山形県酒田市の商店街で、
仏壇の販売をしている仏壇の佐藤さん夫婦だ。

2008年頃、地域活性化などの取り組みをしている、
コーディネーターの藤村望洋氏から、
全国各地の商店街を結ぶ「ぼうさい朝市」の企画を知った。
来るべき災害に備えるためには、
全国各地に点在する商店街同士がつながり、
防災協力をする必要がある。
その予行練習ともいえる「ぼうさい朝市」を開催し、
全国の商店街が集まり、支援物資の炊き出し市のような、
物産展をやろうというのが内容だった。

「なぜそんなことわざわざする必要があるんだ?」
はじめはまったくその意味がわからなかった。
山形酒田市、宮城県南三陸町、岡山県笠岡市、兵庫県佐用町、
その他、大阪や鹿児島、島根、福井など、
いくつかの商店街が集まり、この「ぼうさい朝市」を開催した。
わざわざお金をかけて、大阪まで朝市のために出向き、
本業でもない芋煮を作って売ることに、
正直、面倒だと思っていたという。
しかも災害が起きていない時に、
防災イベントをやっても人々の関心は薄い。
だから余計にやりがいがない。

しかしこの防災ネットワークが思わぬ効果を生むことになった。
そう、311、東日本大震災が起きたからだ。
「ぼうさい朝市」で何度か顔を合わせていた、
宮城の南三陸町が甚大な被害を受けた。
まさにこの時のために、防災ネットワークがあったんだと知った。

「混乱した被災地に物を送っても、二次災害を引き起こすだけ」
と佐藤さんは語る。
かつて山形酒田市で市街のほとんどが火事で焼けてしまう、
「酒田の大火」があったが、
その時、体育館に山のように全国から届いた支援物資が邪魔になり、
人災を引き起こしたことを知っていたからだ。

「被災地に何でも送ればいいってもんじゃない。
はっきりいっていらないものを送られても邪魔になるだけ。
そもそも混乱した被災地で仕分けをするのも大変だし、
中身を確認するのも大変。
被災地支援をするには、被害を受けていない隣接の町に、
支援物資を集め、そこから被災地に物資を運ぶべき」
というのが、かつての災害からの教訓でもあった。

この時のために「無駄」とも思える「ぼうさい朝市」を行ってきた。
このネットワークに参加していた商店街の中で、
南三陸に近いのは酒田だった。
「うちらが支援の拠点になる!」
大阪、岡山、鹿児島など、
他の商店街からの支援物資や義援金を、
山形酒田の商店街に送ってもらう。

わざわざ西日本から被災地に駆けつけるには、時間もコストもかかる。
ならば被災地に近い人に、
物やお金だけ送ってもらう方がはるかに効率がいいし、
支援する側の負担も減るという利点もある。

ただ佐藤さんが一番はじめに被災地に行く際、
ちょっと困ったことがあったという。
「『仏壇のさとう』って書いてあるワゴンで、
被災地に行くわけにはいかねえよな・・・」
「支援物資輸送車」というステッカーを作り、対応した。

支援物資を持って、酒田から被災地へと行く。
隣といっても、日本海側の酒田市から、
太平洋側の南三陸に行くまでは車で4~5時間かかるが、
3月18日に被災地に入って以降、
何度もこうした「ぼうさい朝市」のネットワークを活用し、
被災地支援を行ったのだった。

被災地の混乱の中で、
被災していない隣地域とのネットワークが、
いかに大事かということを物語るエピソードがある。

2011年4月のこと。
避難所となっている小学校で、ノロウイルスが流行し、
このままでは全滅しかねないとの、
切迫した支援メールが被災地からきた。
酒田で消毒液となる材料をすぐさま集め、翌朝に配送した。

その早さに被災地では驚いたという。
実はすぐそばの避難所にも、
消毒液の材料があったということが後日わかったらしいのだが、
混乱した被災地では、避難所同士の連絡もままならない。
同時被災していない、隣の町に頼んだ方が、
着実に届けやすいということもいえるだろう。

「2008年から朝市という形で顔見知りになっていたから、
お互いに信頼しあって支援ができたんだと思う」と佐藤さんはいう。
無駄だと思った「ぼうさい朝市」が見事に役に立ったのだ。

・・・・・
山形酒田で11/17に「被災地取材を通した防災講演」をする際、
これまで東京や宮崎で実施したスライドにプラスし、
最後に「同時被災しない場所とのつながりを。
ぜひ私とツイッターやフェイスブックでつながっていただければ、
何かあったら酒田に行きます!」というのを加えた。
その翌日、仏壇のさとうさんに話を聞くことになり、
同時被災しない場所とのつながりの重要性を聞いた。

災害時の企業の防災対策では、
同時被災しない場所に第二本社を置くとか、
データセンターを分散しておくといったことが重要だと言われる。
それと同じように個人レベルでも、
同時被災しない場所とのつながりを、
持っておくことが重要だ。

ただ残念なことに、今回の東日本大震災でわかったことは、
こんな大災害が起きているにもかかわらず、
いや、こんな大災害が起きたからこそ、
「お隣」同士が対立しあい、協力しない場面も多く見られた。

山形の交流会で福島から来た人に、
「福島だと中通りと浜通り、会津の3つにわけているけど、
そんなに違うんですか?」と質問していた人がいた。
県外から見れば、中通りも浜通りも会津も同じ福島だが、
県内感情でいうと同じ福島でも地域が違えば、
人種が違うがごとく考える人も中にはいる。
福島のいわき市なんかでも感じたことだけど、
市内の町の人と津波でやられた海側の人は、
また「人種が違う」といい、あまり仲がいい感じはなかった。

別に福島に限った話ではないが、
本来助け合うべき隣合い同士は、
距離が近すぎるがゆえに、些細な違いを大きく取り上げ、
いがみ合い、ライバル視する傾向が強い。
日本、中国、韓国のいがいあいが、
西洋人から見たらバカらしいかもしれないが、
ヨーロッパ同士が未だに一つの国にならず、
県みたいな小さい単位で国として存在していることが、
アジアから見ればバカらしいと感じるように。

そうした感情論の対立はどうしても発生してしまう。
ならば少し離れた隣町と、つながりを持っておき、
いざという時には助け合えるようにしておくのは、
非常に重要だなと思った。

今はネットがあり、ツイッターでもフェイスブックでも、
県内の狭いつながりから脱して、
ぜんぜん違う地域の人とつながりやすくなった。
そうしたつながりを利用し、
災害が起きた時に助け合えるようになれれば、
災害後の人災は随分減るだろうなと思う。

私もネットを通じていろんな読者と、
オフ会や講演会を通じて知り合っているので、
そうしたネットワークで災害時に助け合えたり、
または被災地からSOSがあった時に、
私が現地に飛んで情報を拡散するといった、
そんな役割ができるのではないかと思っています。

かさこツイッター(お気軽にフォローどうぞ。基本フォロー返しします)
http://twitter.com/kasakoworld

かさこフェイスブック(お気軽にフォローどうぞ)
http://www.facebook.com/kasakotaka

by kasakoblog | 2012-11-28 22:32

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


by kasakoblog