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自尊心が低い人ほど弱者好き~乙武批判した車椅子ユーザーインタビュー2

「障がい者は自分より“下の存在”。
だからかわいそうなので助けてあげるという思考の健常者の人ほど、
自尊心が低く、下の存在を庇護することで、
自尊心を満たしているのではないかと感じることもあります。

でもそういう人に限って、こちらが頼んでくれたことはあまりしてくれず、
自分がしたい手助けを押しつけてくることもあったりもします。
むしろ『お金のために仕事としてやっているだけ』という意識のヘルパーさんの方が、
余計なことはせず、頼んだことはしっかりやってくれて、
妙な同情や押しつけがない分、こちらも付き合いやすいこともあります」

乙武騒動時に障がい者の立場から乙武氏批判をしたブログを立ち上げた、
まるみえ星人こと柴野恭兵さんが先日の取材の際に、
こんな話をしていて、「それはまるで被災地でのボランティアと同じだな」と思った。

障がい者支援でもそう。被災者支援でもそう。
障がい者や被災者を一人の大人の人間として見ることなく、
まるで子供かペットのように、無意識的に「見下して」支援をしている人が結構いる。
自分は弱者に対して圧倒的強者になれる。
日常生活で自尊心が満たされない人にとっては得がたい絶好の機会だ。

障がい者や被災者は確かにある一面では「弱者」であることは間違いない。
健常者と違って、身体的な機能が一部損なわれているため、不便を強いられている。
突如起きた自然災害により、家や家族を失い、町が壊滅し、仕事を失ってしまっている。
通常の状態とは違って明らかに「不利」な状況に追い込まれた人たちを、
社会全体は助け、支援することには何の異存もない。
でもそれはある部分だけの話であって、すべての部分で弱者なわけではない。

ところが自尊心を満たすために弱者探しをして、
弱者支援で自己満足している人たちって、
柴野さんが指摘しているように、足りない部分を補うことだけでなく、
頼んでもいないことや、弱者側でもできることを、
自己満足のために勝手にやってしまう。
「かわいそうな弱者をこんなにもして助けてあげた私ってえらい」という論理だ。

こうして必要以上のよけいなお節介をすることで、
障がい者や被災者が自立できなくなり、
その人の支援なしでは生きていけない状態になってしまう。
しかし支援する側も大きな経済的負担を背負うことになり、
共依存的な関係性になり、結局は共倒れしてしまうという、
不幸な支援になってしまいかねない。

被災地取材でも経験したが、こうした「よけいなお節介」を批判すると、
「被災者を助けて何が悪い!」と逆切れされる。
また被災者や障がい者を批判することもタブー視される。
でもそれっておかしくないか?
被災者だろうが障がい者だろうが健常者だろうが、
おかしな行動にはおかしいという。
それが対等な人間としての付き合い方ではないのか。
被災者だから障がい者だから何をやってもいい、
弱者なんだから批判はしていけないって、
対等な人間として見ていない証拠だと思う。

そうやって弱者批判をタブー視し、よけいなお節介をすればするほど、
双方にとって長期的にはマイナスだ。
自己満足を押しつけることで自立を損なう結果になれば、
むしろ支援というより迷惑行為に他ならない。
でもこうしたことが障がい者支援など福祉の分野で、
少なからず存在しているという指摘ははっとさせられた。

中国人や韓国人をむやみやたらに苛烈に批判している人も、
日常生活では自尊心が満たされないから、
自分より「下の存在」を作り上げ、そこを批判することで、
自分のプライドが維持されるという構造に近いと思っている。
でもそういうのって歪んだ精神構造だ。
それによって一時、心が満たされたとしても、
長期的に永続的に心の底から自尊心が満たされることはない。

ブラック企業に隷属してしまう人たちも似ている。
自尊心を徹底的に叩き潰されているから、
ブラックであろうとその会社にしがみつくしかない。
「自分は何もできない」という恐怖を植え付けられているからだ。
こうした自尊心が満たされない人は、
ブラック企業やカルト教団や軍国主義に利用するにはうってつけの人材だ。

おかしな組織に騙され、利用されないためにも、
健常者だろうが障がい者だろうが、
何か自分の心のよりどころになるものが1つでもあるといい。
それは自分一人でできることが望ましい。
心のよりどころを他人にするのはやめた方がいい。
手っ取り早いのは、恋人だったり子供だったり親だったりする。
しかしどんなに親しい人でも、人を心のよりどころにするのはおすすめできない。
なぜなら他人だからだ。
いつまでも恋人が恋人でいつづけるかわからないし、
いつまでも子供が親を慕ってくれるかはわからない。
適度な距離感から踏み込み過ぎて、
「あなたが私の生きがい!」みたいになると、だいたいおかしなことになる。

まるみえ星人こと柴野さんは、
「趣味とかがあると健常者の人と普通にフラットに付き合えて、
障がいがあることの心のバリアが薄まる。
そういうものがいくつもあると、障がいがあることで後向きにならなくなる」といった話をしてくれた。

私も趣味はとても重要な要素だと思う。
仕事でも家族でもない、生活や利害関係ぬきにした、趣味のような第3の場があると、
自分の楽しみ=心のよりどころかできて、変なことに依存したりしなくなる。

日本の中に漂う閉塞感って、仕事と家族以外の時間がほとんどないことではないか。
男性や独身者なんかだと仕事一本になってしまう。
だから不法行為だろうが仕事だからとやってしまったり、
ブラック企業だろうが抜け出せなかったりする。
心のよりどころか仕事の場しかないからだ。

女性に多いのは子供依存。
子供がすべての生きがいみたいになるのは危険だ。
なぜならいつかは子供も大人になり、親元を離れていくからだ。

仕事でも家族でもない趣味的なもの。
お金がもらえるもらえないとか関係なく、
どんなくだらないことでもいいから、自分の好きなことは続けた方がいい。
好きなことがあれば、弱者を探し出して、
助けてやったからみたいな共依存関係を強いることもなくなるだろう。

そんなこともあって私は度々、好きなことをブログで発信するといいと言っている。
そうすれば仕事関係や家族関係とはまったく違う、
共通の趣味を媒介にした仲間ができ、人生がきっと楽しくなる。
楽しいことが1つでもあれば、いろんなことに前向きになれて、
自尊心を満たすために歪んだ関係を求めたりはしなくなる。

自分より下の存在を見つけ出すことに注力するより、
自分が好きなことをやり続けることの方がよっぽど簡単だし、
幸せな人生になれると思う。

・障がい者の自立した生き方を~乙武批判した車椅子ユーザーインタビュー
http://kasakoblog.exblog.jp/20798656/

・人は与え続けられるとダメになる~被災者をみじめにさせる支援づけ
http://kasakoblog.exblog.jp/17094900/

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by kasakoblog | 2013-07-16 01:44 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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