あぶく銭で稼いだ町や人間は滅亡する~NHKEテレ「福島浜通り原発の町」を見て
2014年 01月 05日
そう遠くない未来に「死の町」になっていたのではないか。
1/4にNHKEテレで放送した「戦後史証言プロジェクト~日本人は何をめざしてきたのか」の、
第5回「福島・浜通り」を見てしみじみ思った。
貧しかった福島県浜通り。
福島県内の自治体の中で所得が56位だった双葉町が、
なんと4位にはねあがり、そして1位にまでなったのは原発を誘致したからだった。
まさに起死回生の一発逆転の政策だ。
しかし福島原発は運転当初からトラブル続き。
地元では原発の危険を察知し、反対運動が持ち上がった。
しかし貧すれば鈍するというべきか、人の心は金で買えるというべきか、
原発を作れば莫大な交付金が国から支給されることにより、
原発の危険はともかく、目先のあぶく銭に誘惑され、原発推進へと町は再び傾いていった。
番組では、原子力運送という地元の会社に注目していた。
産業が何もなかった貧困地域に原発ができるということで、
地元の人が原発の建設資材を運搬する運送会社を設立。
トラック5台でスタートしたが原発建設バブルにわき、
一時はトラック30台にまで膨れ上がった。
この方だけではない。
何にもなかった貧困地域にふってわいた魔法の玉手箱により、
雇用が生まれ、あぶく銭が国からふってわき、
「出稼ぎに行かなくても住む」「地元で働くことができる」と原発景気に沸いた。
神様仏様原発様というわけだ。
それで町が繁栄し続ければ、
原発は地域振興のために欠かせないものだったといえるだろう。
しかし一時のバブルで沸いた景気など長続きはしない。
様々なカラクリが原発立地自治体を苦しめていくことになる。
まずあぶく銭である電源三法交付金。
原発建設中や原発運転当初は莫大な金が国からふってくる。
固定資産税だけでも莫大な金額だ。
これによって地方財政は支えられていたのだが、
年月が過ぎると、交付金も固定資産税も目減りしていく。
原発建設当初はいいが、だんだん金が減っていき、
一時の繁栄から一転してじわじわ衰退の一途をたどる。
これに追い打ちをかけたのがあぶく銭で作られた豪華公共施設。
国や電力会社から危険を押し付ける代償として、
豪華公共施設の金を出してもらい、町の人口に似つかわしくはない施設を、
大喜びで作り放題作った挙句、その施設の維持管理費が財政を圧迫するようになっていた。
原発誘致して財政が豊かになったはずなのに、
むしろそのせいで後々財政は苦しくなっていたのだ。
原子力運送のような原発に依存した地元業者も同じ。
建設中は仕事はあるが、建設が終わってしまえば仕事は激減。
トラック台数や社員数を増やしてしまい、困ってしまう。
そこで地元住民や政治家は何を求めたか。
原発増設である。
原発がまた新たにできれば、交付金や固定資産税が入ってくる。
建設バブルで地元業者にも仕事が入る。
こうして当初は国のエネルギー政策の観点から、
原発が必要だから建設されたのかもしれないが、
もはやエネルギー政策など関係なく、首都圏に電気を作るためなんかではなく、
原発麻薬が切れて発狂寸前の原発麻薬患者が原発増設を求めるから、
原発を作るという、論理にすり替わっていった。
こうして福島だけでなく新潟しかり福井しかり、
次々と原発が増設されていったのだ。
増設さえすればまたあぶく銭がわいてくる。
一時、町はまた繁盛する。
しかしまた同じ過ちの繰り返しだ。
再び交付金も固定資産税も目減りし、どんどん財政はひっ迫していった。
再び原発増設を求める原発立地自治体。
もはや原発に頼って生きていくしか方法はない。
しかし電力会社が検査結果を改ざんしたり、事故を隠ぺいしたり、
トラブルが起きたりと、原発運営についての不信感が募り、
原発増設は困難になっていった。
さらにもう1つの問題が起きる。
使用済み核燃料の問題だ。
原発を稼働することによって出るゴミを処分する場所がない。
原発は「トイレのないマンション」といわれるゆえんだ。
こうした問題もあり、原発増設は困難になっていく。
で、原発建設のおかげで大繁盛した原子力運送はどうなったか。
倒産である。
原発関連の仕事をしていた弟の会社の経営が傾き、借金の保証人になったが、
弟の会社が倒産し、結果、連鎖倒産するハメになったと。
原発で繁盛したはずが、原発を作り続けなければ倒産してしまうという、
麻薬なしでは生きていけない体質になってしまったのだ。
そしてとどめを刺すように原発事故が起きた。
もはや倒産なんて甘っちょろいものでは済まされない。
自宅も奪われ、故郷も奪われ、町も奪われ、
避難生活を余儀なくされているのである。
この番組を見て思うこと。
それは福島原発事故が起きなくても、福島浜通りの原発立地自治体は、
やがては「死の町」になっていたのではないかということだ。
なぜなら原発を増設し続けなければ生きていけなくなってしまったから。
でも永遠に原発を作り続けるなんてあり得ない。
ましてや日本が人口が増加しているならともかく、
人口はこの先どんどん減少していくわけで、
それに伴い当然エネルギー需要も減るわけで、
原発を作り続ける必要性は薄れていくのだから。
私はこの番組を見ながら、同じように原発計画を持ちかけながら、
映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」で撮影した、
原発計画を追い出した和歌山県や徳島県の人たちの言葉を思い浮かべていた。
「いつか絶対に事故が起きる」「人が住めないようになる」
「一時の補償金なんかもらったって仕方がない」
「コツコツ自分で稼ぐことが大事」
「子や孫のためにこの土地を汚したくない」
福島原発事故で彼らが言う通りになった。
いや、この番組を見てもわかるように、
同じ思いをしていた福島の人はいた。
でも和歌山や徳島とは違い、目先の金になびく自立ができない人間が多かった。
結果、町は死んだ。故郷はなくなった。
よく「故郷が奪われた」というが、奪われたのではなく、
自分たちが原発誘致したことで、故郷を自ら見捨てたのだ。
2013年にいろんな取材を通して思ったこと。
それは自立することの大切さだ。
残念ながら自立できる人間は少ない。
親に依存したり、恋人に依存したり、酒に依存したり、国に依存したり、
原発に依存したり、会社に依存したり、主要取引先に依存したりする。
結果、依存先から嫌われないように、
危険だろうが犯罪行為だろうが何だってやるようになる。
そして都合のいい時に切られてなきをみる。
自立していない人間が多ければ多いほど戦争するんだと思う。
戦争も原発と同じ。
兵士という「雇用」が生まれ、武器という「産業」が生まれ、
でも戦争によって人間が死んでくれるから、国としても都合がよい。
しかし自立できない人間は「国家のため」という言葉にすがり、
人殺しを正当化し、人殺しをすることを生業とするしか方法がなくなる。
元オウム真理教の上祐氏の話を昨年聞いた時、
“負け組”から右傾化・カルト思想が生まれてくるのだと思った。
自立できない人間が、あやしげな宗教に依存し、あやしげな教祖に依存する。
そして最終的には社会に大迷惑をかけ、自らも破滅する。
自立するのは大変なことだし、苦しい。
でもその苦しさを逃れるために、
楽な方法であぶく銭を稼ごうとした瞬間、
一瞬うまくいったように思えて、その先に待っているのは、
依存地獄の悪循環と最終的な破滅でしかない。
それは原発麻薬に依存し、町が滅亡した福島を見ればよくわかる。
自分が幸せに生きていくためには、はじめは大変だし、苦しくとも、
自立する方法を死に物狂いで模索しなければならないのだと思う。
自立できる人間が多いかどうか。
それによって日本に再び福島原発事故に二の舞が起きるか、
太平洋戦争の二の舞が起きるか、かかっているのだと思う。
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