選手は「よくがんばった」と同情されたいのだろうか?
2014年 02月 24日
優秀な成績を収めることが有望視されていた選手が不甲斐ない結果に終わった時、
「よくがんばった!」と結果を責めずにあたたかい声をかける人が、
増えているような気がする。
でもなんか正直それって気持ち悪い。
なんかこう、弱い者同士で傷のなめあいしているというか、
本心では「メダル逃した!」と思っているくせに、
周囲の受けよく「よくがんばった」といえば言いみたいな。
いつも思うのは、不甲斐ない結果に終わった選手が、
「よくがんばった!」なんて憐みにも近い同情的な声を求めているのか、
ということだ。
自分は絶対に1位になれる!と思っていた選手が10位だったとしたら、
ものすごく悔しいだろう。
そんな時に「結果がすべてじゃない。10位であっても感動した!
よくがんばった!」なんて言われて選手本人はうれしいのかなと。
もしかしたら「何がよくがんばった?あんだけミスして、
全然自分が満足する競技ができなかった。
あんなので感動したなんて同情してほしくない!」と思っているかもしれない。
自分に置き換えてみたらどうだろう。
自分は1位になれると思ったのに10位に終った。
その時に「よくがんばったね!」って言われたら、
バカにしてるのか!嫌味かよ!と思うのではないのか。
期待に反して成績が悪かった選手に、
「よくがんばった」と言わなければならない風潮があるのは、
わが身に置き換えて「そういう声をかけてほしい」、
という想いがあるからではないのか。
自分は仕事をがんばっている。
でも結果がなかなか出ない。
上司からは怒られる。
そんな自分に対して「結果がすべてじゃない。
あなたはがんばっているから、それで素晴らしいのよ」
と言ってほしい深層心理の表れなのではないか。
自分に厳しくしてほしくないから他人に厳しくしない。
他人に厳しくしなければ、自分にも優しい声をかけてもらえるだろうという、
甘えの表れではないか。
結果はすべてではないとしても、
ここまではいけるはずと思った結果を越えられなかったということは、
何かが足りなかったわけで何かを反省しなければならず、
やり方を変えるなり、技術を磨くなり、精神力を磨くなり、
悪い結果を次に活かすための糧にしなければならないはずだ。
でもそこで「よくがんばった」と言われることで、
現状に満足してしまうってそんなんじゃ今後の成長も見込めないだろうし、
何より上を目指している選手にとって、
素人から同情の声をかけてほしいのだろうかと不思議に思ってしまう。
結果至上主義で結果が出なかったからといって大バッシングし、
そのせいで選手が落ち込んでしまい、成長を止めてしまう批判はよくないと思うけど、
みんないい人ぶりたいからって、優しい声をかけてハイ終わり、
悪かった点を指摘するような輩は選手に失礼だみたいなのは、
選手のためになっていないんじゃないのか。
自分を甘やかしてほしいがために、
結果がすべてじゃない、よくがんばったなんて安易に言うのはどうなんだろう。
人それぞれに感想は違えど、
「がんばった選手を批判するのは失礼だ!」みたいな物言いをする人が、
増えているような気がして、それっておかしいんじゃないかなと思う。
まあ公金使って国の代表として観戦に行っているのに、
個別選手の結果にああだこうだ言ったり、
挙句の果てはパラリンピックはかったるいから行きたくないとか、
ロシアの交通は不便だとか言う、とんでもなアホな元首相は論外だが。
・イヤなこともプラスに変える!セルフマガジン「かさこマガジン4」無料配布!
かさこマガジン希望の方は、
郵便番号、住所(マンション名など省かず)、お名前、希望部数を、
kasakotaka@hotmail.comまでメールください。
Amazonで買い物する際、下記よりお願いできればありがたいです。
・Amazon
(有料メルマガに頼らない私の方法 http://kasakoblog.exblog.jp/18718552/)
かさこツイッター(お気軽にフォローどうぞ。基本フォロー返しします)
http://twitter.com/kasakoworld
かさこフェイスブック(お気軽に申請どうぞ。基本承認致します)
http://www.facebook.com/kasakotaka